乱鳥の書きなぐり

遅寝短眠、起床遊喰、趣味没頭、興味津々、一進二退、千鳥前進、見聞散歩、読書妄想、美術芝居、満員御礼、感謝合掌、誤字御免、

『坐敷芸忠臣蔵』32 ///『仮名手本忠臣蔵』十段目(人形まわしの段 天河屋の段)///山東京傳 戯作   歌川豊国 戯画 

2021-08-11 | 山東京傳

『坐敷芸忠臣蔵』32 ///『仮名手本忠臣蔵』十段目(人形まわしの段 天河屋の段)///山東京傳 戯作   歌川豊国 戯画 

 

写真は、『坐敷芸忠臣蔵』十段目

 

『仮名手本忠臣蔵』十段目 (人形まわしの段 天河屋の段)

 

(人形まわしの段)

 ここは摂津堺にある廻船問屋の天河屋である。

 店は繁盛しその暮らし向きは豊かであったが、今この家にいるのは主人の天河屋義平その息子の四つになるよし松、それと丁稚の伊吾八の三人。

 

 ほかの奉公人は義平が理由をつけて辞めさせてしまい、さらに義平は自分の女房さえも実家に帰してしまっているのだった。

 そのわけは、もと塩冶家の用向きを勤めていた義平が高師直を討たんとする大星由良助たちに味方し、そのための用意を手伝っているからで、この秘密を知られないための用心である。

 

 伊吾八は幼いよし松の機嫌をとるため、人形をもてあそびながらあやしている。

 

 時もすでに黄昏時、大星力弥と原郷右衛門が天河屋を訪ねる。

 大星たちは明日にも出立して鎌倉に向かうことになっていた。

 義平は、大星たちが討入りに使う武器や防具類は、すでに船などで送る手はずになっていることをふたりに報告した。

 

 これを聞いた力弥は

「天河屋の義平は、武士も及ばぬ男気な者」

と言い、由良助にも知らせて安堵させようとふたりは店を去った。

 

 そこへ入れ違いに現れたのは、義平にとっては舅の大田了竹である。

 了竹は、もと斧九太夫抱えの医者であった。

 その了竹のところに女房である園(その)を義平は預けていたが、了竹は理屈をつけて娘の園を離縁しろという。

 義平はなにかあるなとは思いながらも、園への離縁状を書いて了竹に渡した。

 なにか胡乱なことをしているらしい義平よりも、娘にはもっと身分のよい男のもとに嫁入りさせるつもりだと、なおも憎まれ口を叩く了竹を義平は蹴飛ばして店から追い出す。

 

(天河屋の段)

 夜になった。

 大勢の捕手が現われ店に踏み込み、義平を捕らえようとする。

「コハ何故」

という義平に対し、塩冶判官の家来大星由良助に頼まれ武器防具を鎌倉に送ろうとしたことが露見したので、義平を急ぎ捕らえに来たのだという。

 

「これは思ひもよらぬお咎め、左様の覚えいささかなし」

と言おうとする義平に捕り手たちは

「ヤアぬかすまい、争はれぬ証拠有り」

と、荷物を持ち込んだ。

 見ればそれは、義平が大星たちのために送る荷を入れた長持で、中には武具防具が入っている。

 そのまだ菰に巻かれて鍵のかかった長持を切り開こうとするのを見て義平は捕り手たちを蹴飛ばし、長持の上にどっかと座った。

 

 これはさる大名家の奥方が使うわけありの道具が入っている、それを開けて見せてはそのお家の名が出て迷惑の掛かる事と、義平は長持を開けさせることを拒む。

 それを見た捕り手の一人が一間の内に駆け入り、義平の子のよし松を引き出した。

 

「有りやうにいへばよし、言はぬと忽ちせがれが身の上、コリャ是を見よ」

と、刀を抜いてよし松の喉もとに差しつけた。

 義平はこれを見てさすがにはっとしたが、顔色は変えずに次のように言った。

「女わらべを責める様に、人質取っての御詮議。天河屋の義平は男でござるぞ。子にほだされ存ぜぬ事を、存じたとは得申さぬ…」

だが捕り手たちもそれに退くことなく、

「白状せぬと一寸試し、一分刻みに刻むがなんと」

というが義平も

「オオ面白い刻まりょう」

と、ついには捕り手たちよりわが子をもぎ取って、自ら絞め殺そうという勢いである。

 

 だがそこへ、

「ヤレ聊爾せまい義平殿」

という声とともに、なんと長持の中から現れたのは由良助であった。

 

 じつは捕手は大鷲文吾や矢間重太郎をはじめとする判官の家臣たちで、由良助は義平の心を試したのだと謝った上で、

「武士も及ばぬ御所存、百万騎の強敵は防ぐとも、左程に性根は据はらぬもの」

と義平を褒め称えるのであった。

 

 捕り手に化けていた人々も

「無骨の段まっぴら」

と、畳に頭を擦り付けるようにして義平に頭を下げる。

 

 やがて由良助はこの場を立とうとするが、義平は目出度い旅立ちに手打ちの蕎麦を差し上げたいというので、由良助は「手打ち」とは縁起がよいとその馳走に与ることにし、義平に案内されてみな奥へと入った。

 そのあと、ひとりの女が提灯を持って、天河屋の戸口にまで来る。

 義平の女房の園である。

 鍵がかかっているので伊吾を呼ぶとやってくる。

 園がわが子よし松の様子を案じて伊吾に尋ねていると、義平が来て伊吾を奥へとやり、再び戸口に鍵をする。

「コレ旦那殿、言ふ事があるここあけて」

「イヤ聞く事もなし」

と義平は聞く耳を持たない。

 義平は園の親の了竹が斧九太夫に繋がる悪人なので、園とはいったん縁を切る心であった。

 

 だが園は戸の隙間から、最前了竹が義平に書かせた離縁状を投げ入れた。

 了竹からこの離縁状を盗みこっそり抜け出して来た、了竹とは親子の縁を切るつもりだと園はいう。

 義平も、まだ幼子で母を慕うよし松のことを思うと不憫ではあったが、それでも了竹に渡したはずの離縁状を内緒で手にしては

「親の赦さぬ不義の咎」

筋が通らないから持って帰れと離縁状を返し、戸口もしっかりと閉めてしまった。

 

 ひとり表に残された園は、

「咎もない身を去るのみか、我が子にまで逢はさぬは、あんまりむごい胴欲な」

と、その場で嘆き伏してしまう。

 

 やがて、もうこうなっては親了竹のもとにも戻れない、自害して果てようとその場を立ち駆け出そうとした。

 するとそこへ、覆面をした大男が現われ園をひっ捕らえて髷を切り、園が髪に挿していた櫛や笄、また懐のものまで奪って逃げ去った。

 盗られたのは離縁状である。

 髪を切って離縁状まで奪ってゆくとはなんということか、いっそ殺してと園は泣き叫び、義平もこの表の様子に気付き驚いて飛び出そうとしたがそれを堪え、ためらいつつ門口にとどまる。

 

 そこへ奥より由良助たちが出てきて、義平に暇乞いを述べ、出立しようとする。

 このとき由良助は世話になったお礼にと、白扇に載せたなにかの包み物を義平に贈ろうとしたが、義平はこれを金包みだと思い怒る。

 自分は礼が欲しくて世話をしたのではない、義心からのことであるという義平、しかし由良助は「寸志ばかり」のことと言い残し、そのまま表を出る。

 義平はいよいよ腹を立て、贈られた包み物を蹴飛ばした。

 するとその中から飛び出したのは金子にあらで、最前に園の頭から切った髪と櫛笄、そして離縁状。それらを表から見た園はびっくりして駆け寄る。

 義平も驚きつつ、さてはさっき園の髪を切ったのは由良助たちだったのだと気付く。

 それは由良助が大鷲文吾にやらせたことだった。

 園の髪を切ったのは

「いかな親でも尼法師を、嫁らそうとも言ふまい」

、すなわち尼であれば、同じ屋根の下に暮らしていても夫婦とはいえないから、これで了竹に対しては申し訳が立つだろう。

 そして髪はいずれ伸びるから、その櫛笄が髪に挿せるようになったら改めて夫婦として縁を結べばよい。

 これが世話になった義平への返礼であった。

 義平は園とともに由良助に感謝する。

 そしてさらに由良助は、

「兼ねて夜討ちと存ずれば、敵中へ入り込む時、貴殿の家名の天河屋を直ぐに夜討ちの合言葉」

として、

「天」

と呼べば

「河」

と答えるよう定め、由良助たちは天河屋を出立するのであった。

 

 

 

『坐敷芸忠臣蔵』(『坐敷藝忠臣蔵』)

 山東京傳 戯作 

 歌川豊国 戯画

 山東京傳 1761-1816

 歌川豊国 1769-1825

 小舟町(江戸) : 文亀堂, 文化7[1810]

 19cm

 和装
 印記:只誠蔵,斎藤文庫,洒竹文庫
 関根只誠,斎藤雀志,大野洒竹旧蔵

 早稲田大学図書館 (Waseda University Library)

『坐敷芸忠臣蔵』ヘ13 02377

『坐敷忠臣蔵』  1 山東京傳 戯作  歌川豊国 戯画 小舟町(江戸) : 文亀堂, 文化7[1810] 早稲田大学図書館

『坐敷忠臣蔵』  2 『坐敷藝忠臣蔵』と『仮名手本胸之鏡』は同じか否か。それともよく似ていると言うだけか。部分的に一緒ではあるが、違う本なのだろう。

『坐敷忠臣蔵』 3 表紙   山東京傳 戯作   歌川豊国 戯画 小舟町(江戸) : 文亀堂, 文化7[1810] 早稲田大学図書館

『坐敷忠臣蔵』  4 裏表紙 及び 「坐敷忠臣蔵序」1、2、3  山東京傳 戯作   歌川豊国 戯画 小舟町(江戸) : 文亀堂, 文化7[1810] 早稲田大学図書館 (2枚)

『坐敷忠臣蔵』  5 出演者全員顔見世的一枚(一部、日本語漢文で記されている)山東京傳 戯作   歌川豊国 戯画 小舟町(江戸) : 文亀堂, 文化7[1810] 早稲田大学図書館

『坐敷忠臣蔵』  6 大序(各出演者の簡単な芸などの説明)山東京傳 戯作   歌川豊国 戯画 小舟町(江戸) : 文亀堂, 文化7[1810] 早稲田大学図書館

『坐敷忠臣蔵』 7(大序 かほよの兜「蘭奢待の香るこの兜こそ義貞着用のものに間違いない」)山東京傳 戯作   歌川豊国 戯画 小舟町(江戸) : 文亀堂, 文化7[1810] 早稲田大学図書館

坐敷忠臣蔵』8(序切 とんび役のものはほ(師直)がからす役のもゝの井(桃井若狭之助安近)に向かい小馬鹿にした事ばかりを並べ立てる)山東京傳 戯作   歌川豊国 戯画

『坐敷忠臣蔵』 9( 二段 もゝの井「此しゃくしを耳となしかうもり(蝙蝠)の身振りにてつらはぢをかゝせるつもり」)山東京傳 戯作   歌川豊国 戯画

『坐敷忠臣蔵』 10(二段 『仮名手本忠臣蔵 二段目・諫言の寝刃』と、『坐敷藝忠臣蔵』二段目)山東京傳 戯作   歌川豊国 戯画

『坐敷芸忠臣蔵』 11(『坐敷藝忠臣蔵』 三段  「三段目口」「三段目」 三段目1/3、2/3)(2枚)(2枚)山東京傳 戯作   歌川豊国 戯画

『坐敷忠臣蔵』 12(『坐敷藝忠臣蔵』 「三段目切」(もろなほがもゝの井に悪態をつきまくる)三段目3/3)(1枚)山東京傳 戯作   歌川豊国 戯画

『坐敷忠臣蔵』 13(『坐敷藝忠臣蔵』三段目( 歌舞伎:『仮名手本忠臣蔵 三段目』 ) 山東京傳 戯作   歌川豊国 戯画

『坐敷芸忠臣蔵』 14(『坐敷芸忠臣蔵』四段目(へどのついたる にざかなを うちまもり/\ むねんのしな) 山東京傳 戯作   歌川豊国 戯画

『坐敷芸忠臣蔵』15 四段目切(はつと いちどに立いでしが、思へば無念、と、立かへる)山東京傳 戯作   歌川豊国 戯画

『坐敷芸忠臣蔵』16 ///『仮名手本忠臣蔵』四段目(判官は力弥に尋ねた「力弥、力弥、由良助は」「いまだ参上仕りませぬ」「エエ存命に対面せで残念」)///山東京傳  歌川豊国

『坐敷芸忠臣蔵』17 五段目(定九郎登場^^「五十両〜」に変わって、「はマグ理ならば、四、五升のかさ(量、傘)」)山東京傳   歌川豊国

『坐敷芸忠臣蔵』18 五段目(定九郎、かん平、お軽の親父登場「ぼたん もみぢ てつぽう 吸物 いろ/\」)山東京傳 戯作   歌川豊国 戯画

『坐敷芸忠臣蔵』19 ///『仮名手本忠臣蔵』五段目(金なら四五十両のかさ、縞の財布に有るのを、とっくりと見付けて来たのじゃ。)///山東京傳戯作 歌川豊国戯画

『坐敷芸忠臣蔵』20 六段目(寛平、切腹するのではなく、『坐敷芸忠臣蔵』ではフグの腹を切る。)山東京傳 戯作   歌川豊国 戯画

『坐敷芸忠臣蔵』21 ///『仮名手本忠臣蔵』六段目(身売りの段)(勘平切腹の段 「色にふけったばっかりにぃ〜〜」)///山東京傳 戯作   歌川豊国 戯画 

『坐敷芸忠臣蔵』22 七段目(由良助、酒浸った振りをして、お女中の「手のなる方へ」で千鳥足)山東京傳 戯作   歌川豊国 戯画

『坐敷芸忠臣蔵』23 七段目 2/4(ゆらの助、  手をだしてあしを見せたるたこ身ぶり、「きみよう/\と、ほめにけり」)山東京傳 戯作   歌川豊国 戯画

『坐敷芸忠臣蔵』24 七段目 3/4(おかるハ うへより 見おろせど   字ハあハゆきの とうふもおぼろ)山東京傳 戯作   歌川豊国 戯画 

『坐敷芸忠臣蔵』25 七段目 4/4(おかるてふ/\の身ぶり、平ゑもん柿の木の身ぶり)山東京傳 戯作   歌川豊国 戯画 

『坐敷芸忠臣蔵』26 ///『仮名手本忠臣蔵』七段目(祇園一力茶屋の段)///山東京傳 戯作   歌川豊国 戯画 

『坐敷芸忠臣蔵』27 九段目(「さぞ みやこ、めづらしからう ぼさつ」「まさむねの刀 源のひかのさしそへ」)山東京傳 戯作   歌川豊国 戯画 

『坐敷芸忠臣蔵』28 九段目(ゆらの助、おいしにいひつけおくにハのしやうじをいちまいとりよせてそのかげにはいりしが)山東京傳 戯作   歌川豊国 戯画 

『坐敷芸忠臣蔵』29 九段目、十段目(九団目 まへのつゞき / 十段目 おその へりふんだりの身ふり)山東京傳 戯作   歌川豊国 戯画

『坐敷芸忠臣蔵』30 ///『仮名手本忠臣蔵』九段目(山科の雪転し 山科閑居の段)///山東京傳 戯作   歌川豊国 戯画

『坐敷芸忠臣蔵』31 十段目(天川やかにの身ふり とりての両人)山東京傳 戯作   歌川豊国 戯画

『坐敷芸忠臣蔵』32 ///『仮名手本忠臣蔵』十段目(人形まわしの段 天河屋の段)///山東京傳 戯作   歌川豊国 戯画

 

 

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『坐敷芸忠臣蔵』31 十段目(天川やかにの身ふり とりての両人)山東京傳 戯作   歌川豊国 戯画

2021-08-11 | 山東京傳

『坐敷芸忠臣蔵』31 十段目(天川やかにの身ふり とりての両人)山東京傳 戯作   歌川豊国 戯画 

 

写真は、『坐敷芸忠臣蔵』十段目(天川やかにの身ふり とりての両人)

 

『坐敷芸忠臣蔵』十段目(十段目 天川やかにの身ふり とりての両人)

 

 

 

『坐敷芸忠臣蔵』(『坐敷藝忠臣蔵』)

 山東京傳 戯作 

 歌川豊国 戯画

 山東京傳 1761-1816

 歌川豊国 1769-1825

 小舟町(江戸) : 文亀堂, 文化7[1810]

 19cm

 和装
 印記:只誠蔵,斎藤文庫,洒竹文庫
 関根只誠,斎藤雀志,大野洒竹旧蔵

 早稲田大学図書館 (Waseda University Library)

『坐敷芸忠臣蔵』ヘ13 02377

『坐敷忠臣蔵』  1 山東京傳 戯作  歌川豊国 戯画 小舟町(江戸) : 文亀堂, 文化7[1810] 早稲田大学図書館

『坐敷忠臣蔵』  2 『坐敷藝忠臣蔵』と『仮名手本胸之鏡』は同じか否か。それともよく似ていると言うだけか。部分的に一緒ではあるが、違う本なのだろう。

『坐敷忠臣蔵』 3 表紙   山東京傳 戯作   歌川豊国 戯画 小舟町(江戸) : 文亀堂, 文化7[1810] 早稲田大学図書館

『坐敷忠臣蔵』  4 裏表紙 及び 「坐敷忠臣蔵序」1、2、3  山東京傳 戯作   歌川豊国 戯画 小舟町(江戸) : 文亀堂, 文化7[1810] 早稲田大学図書館 (2枚)

『坐敷忠臣蔵』  5 出演者全員顔見世的一枚(一部、日本語漢文で記されている)山東京傳 戯作   歌川豊国 戯画 小舟町(江戸) : 文亀堂, 文化7[1810] 早稲田大学図書館

『坐敷忠臣蔵』  6 大序(各出演者の簡単な芸などの説明)山東京傳 戯作   歌川豊国 戯画 小舟町(江戸) : 文亀堂, 文化7[1810] 早稲田大学図書館

『坐敷忠臣蔵』 7(大序 かほよの兜「蘭奢待の香るこの兜こそ義貞着用のものに間違いない」)山東京傳 戯作   歌川豊国 戯画 小舟町(江戸) : 文亀堂, 文化7[1810] 早稲田大学図書館

坐敷忠臣蔵』8(序切 とんび役のものはほ(師直)がからす役のもゝの井(桃井若狭之助安近)に向かい小馬鹿にした事ばかりを並べ立てる)山東京傳 戯作   歌川豊国 戯画

『坐敷忠臣蔵』 9( 二段 もゝの井「此しゃくしを耳となしかうもり(蝙蝠)の身振りにてつらはぢをかゝせるつもり」)山東京傳 戯作   歌川豊国 戯画

『坐敷忠臣蔵』 10(二段 『仮名手本忠臣蔵 二段目・諫言の寝刃』と、『坐敷藝忠臣蔵』二段目)山東京傳 戯作   歌川豊国 戯画

『坐敷芸忠臣蔵』 11(『坐敷藝忠臣蔵』 三段  「三段目口」「三段目」 三段目1/3、2/3)(2枚)(2枚)山東京傳 戯作   歌川豊国 戯画

『坐敷忠臣蔵』 12(『坐敷藝忠臣蔵』 「三段目切」(もろなほがもゝの井に悪態をつきまくる)三段目3/3)(1枚)山東京傳 戯作   歌川豊国 戯画

『坐敷忠臣蔵』 13(『坐敷藝忠臣蔵』三段目( 歌舞伎:『仮名手本忠臣蔵 三段目』 ) 山東京傳 戯作   歌川豊国 戯画

『坐敷芸忠臣蔵』 14(『坐敷芸忠臣蔵』四段目(へどのついたる にざかなを うちまもり/\ むねんのしな) 山東京傳 戯作   歌川豊国 戯画

『坐敷芸忠臣蔵』15 四段目切(はつと いちどに立いでしが、思へば無念、と、立かへる)山東京傳 戯作   歌川豊国 戯画

『坐敷芸忠臣蔵』16 ///『仮名手本忠臣蔵』四段目(判官は力弥に尋ねた「力弥、力弥、由良助は」「いまだ参上仕りませぬ」「エエ存命に対面せで残念」)///山東京傳  歌川豊国

『坐敷芸忠臣蔵』17 五段目(定九郎登場^^「五十両〜」に変わって、「はマグ理ならば、四、五升のかさ(量、傘)」)山東京傳   歌川豊国

『坐敷芸忠臣蔵』18 五段目(定九郎、かん平、お軽の親父登場「ぼたん もみぢ てつぽう 吸物 いろ/\」)山東京傳 戯作   歌川豊国 戯画

『坐敷芸忠臣蔵』19 ///『仮名手本忠臣蔵』五段目(金なら四五十両のかさ、縞の財布に有るのを、とっくりと見付けて来たのじゃ。)///山東京傳戯作 歌川豊国戯画

『坐敷芸忠臣蔵』20 六段目(寛平、切腹するのではなく、『坐敷芸忠臣蔵』ではフグの腹を切る。)山東京傳 戯作   歌川豊国 戯画

『坐敷芸忠臣蔵』21 ///『仮名手本忠臣蔵』六段目(身売りの段)(勘平切腹の段 「色にふけったばっかりにぃ〜〜」)///山東京傳 戯作   歌川豊国 戯画 

『坐敷芸忠臣蔵』22 七段目(由良助、酒浸った振りをして、お女中の「手のなる方へ」で千鳥足)山東京傳 戯作   歌川豊国 戯画

『坐敷芸忠臣蔵』23 七段目 2/4(ゆらの助、  手をだしてあしを見せたるたこ身ぶり、「きみよう/\と、ほめにけり」)山東京傳 戯作   歌川豊国 戯画

『坐敷芸忠臣蔵』24 七段目 3/4(おかるハ うへより 見おろせど   字ハあハゆきの とうふもおぼろ)山東京傳 戯作   歌川豊国 戯画 

『坐敷芸忠臣蔵』25 七段目 4/4(おかるてふ/\の身ぶり、平ゑもん柿の木の身ぶり)山東京傳 戯作   歌川豊国 戯画 

『坐敷芸忠臣蔵』26 ///『仮名手本忠臣蔵』七段目(祇園一力茶屋の段)///山東京傳 戯作   歌川豊国 戯画 

『坐敷芸忠臣蔵』27 九段目(「さぞ みやこ、めづらしからう ぼさつ」「まさむねの刀 源のひかのさしそへ」)山東京傳 戯作   歌川豊国 戯画 

『坐敷芸忠臣蔵』28 九段目(ゆらの助、おいしにいひつけおくにハのしやうじをいちまいとりよせてそのかげにはいりしが)山東京傳 戯作   歌川豊国 戯画 

『坐敷芸忠臣蔵』29 九段目、十段目(九団目 まへのつゞき / 十段目 おその へりふんだりの身ふり)山東京傳 戯作   歌川豊国 戯画

『坐敷芸忠臣蔵』30 ///『仮名手本忠臣蔵』九段目(山科の雪転し 山科閑居の段)///山東京傳 戯作   歌川豊国 戯画 

『坐敷芸忠臣蔵』31 十段目(天川やかにの身ふり とりての両人)山東京傳 戯作   歌川豊国 戯画

 

 

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『坐敷芸忠臣蔵』30 ///『仮名手本忠臣蔵』九段目(山科の雪転し 山科閑居の段)///山東京傳 戯作   歌川豊国 戯画 

2021-08-11 | 山東京傳

『坐敷芸忠臣蔵』30 ///『仮名手本忠臣蔵』九段目(山科の雪転し 山科閑居の段)///山東京傳 戯作   歌川豊国 戯画 

 

写真は、『坐敷芸忠臣蔵』九段目

 

『仮名手本忠臣蔵』九段目 山科の雪転し

 

 (雪転し〈ゆきこかし〉の段)

 雪の深く積った山科の由良助の住い。

 そこにあるじの由良助が、幇間や茶屋の仲居に送られて朝帰りである。

 由良助はいい歳をして積った雪を雪こかし、すなわち大きな雪玉にして遊ぶ。

 奥より由良助の妻お石が出てきて由良助に茶を出すが、それを一口飲んだ由良助は酔いが過ぎたかその場でごろりと横になってしまう。

 せがれの力弥も出てきたので、幇間や仲居たちは帰っていった。

 やがて由良助も丸めた雪が溶けぬよう、日陰に入れておけと言い残しお石や力弥とともに奥へと入った。

 

(山科閑居の段)

 加古川本蔵の妻戸無瀬と、その娘の小浪がこの山科の閑居に来る。

 小浪はすでに花嫁衣裳のなりで、本日この場で力弥との祝言をあげようという心積もりである。

「頼みましょう」

という戸無瀬の声に下女のりんが出て母娘を座敷に通し、やがてお石が二人の前に現われた。

 戸無瀬は、以前よりいいなづけの約束があった力弥と小浪の祝言をあげさせたいので、本日娘を連れ、夫本蔵の名代として訪れた旨をお石に話す。

 だが、それに対するお石の返答はにべもない。

 以前確かにいいなづけの約束はしたが、今は浪人者のせがれでは下世話にいう提灯に釣鐘というもの。つりあわぬ縁だからこっちには気遣いせず、どこへなりともよそへ縁組して下さいというので、戸無瀬は思わぬ返答にはっとしながらも、もとは千五百石取りの国家老だった由良助殿、五百石取りの本蔵と釣合いが取れぬはずが無いというのを、「イヤそのお言葉違ひまする」とお石はさえぎった。

 

「五百石はさて置き、一万石違うても、心と心が釣合へば、大身の娘でも嫁に取るまいものでもない」

「ムムこりゃ聞きどころお石様。心と心が釣合はぬと仰るは、どの心じゃサア聞こう」

と戸無瀬はお石に詰め寄るが、お石は、旧主塩冶判官が師直に殿中で斬りつけたのは、師直よりあらぬ侮辱を受けて起こったこと、それに引き換えその師直に進物を贈って媚びへつらう追従武士の本蔵の娘では釣合わないから嫁にはできぬという。

 

「へつらひ武士とは誰が事、様子によっては聞捨てられぬ…」

と夫を罵られた戸無瀬は、それでもやはり娘可愛さから、なおも小浪を力弥の妻として認めてくれるようお石に頼む。

 が、お石は

「女房なら夫が去る。力弥に代わってこの母が去った」

と言い放ち、襖をぴっしゃりと締め奥へと入ってしまった。

 

 これまでの様子を黙ってみていた小浪は、わっと泣き出す。

 戸無瀬は娘に、力弥のことは諦めてほかに嫁入りする気はないかと尋ねるが、あくまでも力弥と添い遂げたいという小浪の気持は変わらなかった。

 

 こうなってはせっかく送り出してくれた本蔵のところにも、もはや申し訳なさに帰れない。

 戸無瀬と小浪は、この場でともども自害しようとする。

 戸無瀬は、差してきた本蔵の刀でまず娘を斬ろうとした。

 

「母も追っ付けあとから行く。覚悟はよいか」

と立ちかかると、ちょうど表には尺八を吹く虚無僧が来て、「鶴の巣籠り」の曲を奏でている。

 

「鳥類でさへ子を思ふに、咎もない子を手にかけるは…」

と嘆きのあまり足も立ちかね手も震えたが、何とかそれを押さえ、戸無瀬は刀を振り上げ小浪を斬ろうとした。

 

 その下に座す小浪は、念仏を唱えながら手を合わせている。

 このとき、奥より声が聞えた。

 

「御無用」

 娘を斬ろうとする戸無瀬は、思わずこの声に動きを止めた。

 すると表に立っていた虚無僧も、尺八の音を止める。

 とまどう戸無瀬。

 

 いや、今の「御無用」とは虚無僧を追い払うための言葉であろう。

 自分たち母娘の自害を止めたのではないと、戸無瀬は

「娘覚悟はよいかや」

と再び刀を振り上げた。

 その拍子にまたも

「御無用」

の声。

「ムム又御無用ととどめたは、修行者(虚無僧)の手の内か、振り上げた手の内か」

「イヤお刀の手の内御無用。せがれ力弥に祝言さしょう」

と、お石が何も載せていない白木の三方を捧げ持ちながら、戸無瀬と小浪の前に現われた。

「殺そうとまで思ひ詰めた戸無瀬様の心底、小浪殿の貞女、志がいとほしさにさせにくい祝言さす」

というお石。

 だがそのためには、「世の常ならぬ」引き出物をこの三方で受け取ろうという。

 戸無瀬は自分が差している本蔵の刀を差し出そうとするが、お石はそれを受け取らない。

「ムムそんなら何がご所望ぞ」

「この三方へは加古川本蔵殿の、お首を乗せて貰ひたい」

「エエそりゃ又なぜな」

と驚く戸無瀬にお石はさらにいう。

 

 本蔵が止めたせいで塩冶判官は殿中で師直を討ち果たすことが出来ず、むざむざとご切腹なされたのである。

 その憎しみが本蔵にかからないと思うのか。

 家来の身としてそんな本蔵の娘を、何の気兼ねも無しに嫁にできる力弥ではない。

「サア、いやか、応かの返答を」とお石が迫る。

 戸無瀬と小浪はうつむいて途方にくれるばかりである。

 

 そんなところに

「加古川本蔵の首進上申す」

と、それまで表にいた虚無僧が内へと入ってきた。

 

 編笠を脱いだその顔を見れば、それは他ならぬ加古川本蔵だったのである。

 戸無瀬も小浪もびっくりする。

「案に違はず拙者が首、引き出物にほしいとな。ハハハハハ…」

と本蔵は、お石を嘲笑う。

 主人の仇を報じようという所存もなく遊興や大酒に溺れる由良助、そんな

「日本一の阿呆のかがみ」

ともいうべき者の息子へ娘を嫁にやるために、この首は切れぬといって三方を踏み砕いた。

 これにお石は

「ヤア過言なぞ本蔵殿、浪人の錆刀切れるか切れぬか塩梅見しょう」

と、長押の槍を取って本蔵に突きかかったが、本蔵も留め立てする戸無瀬と小浪を邪魔ひろぐなと退きのけてお石と争い、最後はお石が本蔵にねじ伏せられた。

 そこへ怒った力弥が出てきて、お石の手から離れた槍を取り上げ本蔵めがけて突く。

 槍は本蔵の脇腹を突き通した。

 

 槍を突かれて倒れる本蔵に、力弥は戸無瀬や小浪の嘆きも構わずに止めを刺そうとすると、

「ヤア待て力弥早まるな」

と由良助がその場に現れる。

「一別以来珍しし本蔵殿。御計略の念願とどき、婿力弥が手にかかって、さぞ本望でござろうの」と、由良助は娘のためわが身を犠牲にする本蔵の真意を見ぬいていた。

 

 本蔵は語る。

 主人若狭之助が鶴岡で師直より受けた侮辱によりこれを恨み、討ち果たさんとするのを知った。

 そこで先回りして若狭之助にも知らせず、師直に進物を贈って機嫌を取り持った。

 この賄賂は功を奏したが、今度はその矛先が塩冶判官に向けられてしまった。

 塩冶判官が刃傷に及んだとき、飛び出してその後ろを抱きかかえて止めたのは、師直が軽傷で済めばまさか厳しいお咎めにはなるまいと判断したからであった。

 だがその予想は裏切られ判官は切腹、塩冶家はお取り潰しの憂き目にあう。

 おかげで力弥に嫁入りしようという娘小浪の難儀ともなった。

 だからせめてもの申し訳に、この首を婿の力弥に差し出そうというのである。

 

「忠義にならでは捨てぬ命、子ゆえに捨つる親心推量あれ由良殿」

と、涙にむせ返りながら語る本蔵の様子に、戸無瀬や小浪はもとより大星親子三人もともに嘆くのであった。

 

 由良助は障子を開け、奥庭に置いた雪で作ったふたつの五輪塔を見せる。

 由良助と力弥親子の墓のつもりである。

 覚悟のほどを見た本蔵は、

「婿へのお引きの目録」

と称して師直邸の絵図面を渡す。

 由良助は師直の館へ討入りの際、雨戸のはずし方について自ら庭に降り立ち、庭の竹をたわめてその反動ではずす方法を本蔵に見せると、本蔵は

「ハハア、したりしたり」

と誉めた。

 

 由良助は討入りの用意にすぐさま摂津の堺へと立つことにしたが、本蔵の使った深編笠や袈裟で虚無僧に変装する。

 本蔵は人々が嘆く中に事切れる。

 力弥と小浪は双方の親から晴れて夫婦と認められたが、それも一夜限りのこと、由良助はそんなふたりをあとに残し、堺に向けて出立するのだった。

 

(ウィキペディア引用)

 

 

 

九段目 終了

いよいよ、十段目、そして十一段目

 

 

 

 

『坐敷芸忠臣蔵』(『坐敷藝忠臣蔵』)

 山東京傳 戯作 

 歌川豊国 戯画

 山東京傳 1761-1816

 歌川豊国 1769-1825

 小舟町(江戸) : 文亀堂, 文化7[1810]

 19cm

 和装
 印記:只誠蔵,斎藤文庫,洒竹文庫
 関根只誠,斎藤雀志,大野洒竹旧蔵

 早稲田大学図書館 (Waseda University Library)

『坐敷芸忠臣蔵』ヘ13 02377

『坐敷忠臣蔵』  1 山東京傳 戯作  歌川豊国 戯画 小舟町(江戸) : 文亀堂, 文化7[1810] 早稲田大学図書館

『坐敷忠臣蔵』  2 『坐敷藝忠臣蔵』と『仮名手本胸之鏡』は同じか否か。それともよく似ていると言うだけか。部分的に一緒ではあるが、違う本なのだろう。

『坐敷忠臣蔵』 3 表紙   山東京傳 戯作   歌川豊国 戯画 小舟町(江戸) : 文亀堂, 文化7[1810] 早稲田大学図書館

『坐敷忠臣蔵』  4 裏表紙 及び 「坐敷忠臣蔵序」1、2、3  山東京傳 戯作   歌川豊国 戯画 小舟町(江戸) : 文亀堂, 文化7[1810] 早稲田大学図書館 (2枚)

『坐敷忠臣蔵』  5 出演者全員顔見世的一枚(一部、日本語漢文で記されている)山東京傳 戯作   歌川豊国 戯画 小舟町(江戸) : 文亀堂, 文化7[1810] 早稲田大学図書館

『坐敷忠臣蔵』  6 大序(各出演者の簡単な芸などの説明)山東京傳 戯作   歌川豊国 戯画 小舟町(江戸) : 文亀堂, 文化7[1810] 早稲田大学図書館

『坐敷忠臣蔵』 7(大序 かほよの兜「蘭奢待の香るこの兜こそ義貞着用のものに間違いない」)山東京傳 戯作   歌川豊国 戯画 小舟町(江戸) : 文亀堂, 文化7[1810] 早稲田大学図書館

坐敷忠臣蔵』8(序切 とんび役のものはほ(師直)がからす役のもゝの井(桃井若狭之助安近)に向かい小馬鹿にした事ばかりを並べ立てる)山東京傳 戯作   歌川豊国 戯画

『坐敷忠臣蔵』 9( 二段 もゝの井「此しゃくしを耳となしかうもり(蝙蝠)の身振りにてつらはぢをかゝせるつもり」)山東京傳 戯作   歌川豊国 戯画

『坐敷忠臣蔵』 10(二段 『仮名手本忠臣蔵 二段目・諫言の寝刃』と、『坐敷藝忠臣蔵』二段目)山東京傳 戯作   歌川豊国 戯画

『坐敷芸忠臣蔵』 11(『坐敷藝忠臣蔵』 三段  「三段目口」「三段目」 三段目1/3、2/3)(2枚)(2枚)山東京傳 戯作   歌川豊国 戯画

『坐敷忠臣蔵』 12(『坐敷藝忠臣蔵』 「三段目切」(もろなほがもゝの井に悪態をつきまくる)三段目3/3)(1枚)山東京傳 戯作   歌川豊国 戯画

『坐敷忠臣蔵』 13(『坐敷藝忠臣蔵』三段目( 歌舞伎:『仮名手本忠臣蔵 三段目』 ) 山東京傳 戯作   歌川豊国 戯画

『坐敷芸忠臣蔵』 14(『坐敷芸忠臣蔵』四段目(へどのついたる にざかなを うちまもり/\ むねんのしな) 山東京傳 戯作   歌川豊国 戯画

『坐敷芸忠臣蔵』15 四段目切(はつと いちどに立いでしが、思へば無念、と、立かへる)山東京傳 戯作   歌川豊国 戯画

『坐敷芸忠臣蔵』16 ///『仮名手本忠臣蔵』四段目(判官は力弥に尋ねた「力弥、力弥、由良助は」「いまだ参上仕りませぬ」「エエ存命に対面せで残念」)///山東京傳  歌川豊国

『坐敷芸忠臣蔵』17 五段目(定九郎登場^^「五十両〜」に変わって、「はマグ理ならば、四、五升のかさ(量、傘)」)山東京傳   歌川豊国

『坐敷芸忠臣蔵』18 五段目(定九郎、かん平、お軽の親父登場「ぼたん もみぢ てつぽう 吸物 いろ/\」)山東京傳 戯作   歌川豊国 戯画

『坐敷芸忠臣蔵』19 ///『仮名手本忠臣蔵』五段目(金なら四五十両のかさ、縞の財布に有るのを、とっくりと見付けて来たのじゃ。)///山東京傳戯作 歌川豊国戯画

『坐敷芸忠臣蔵』20 六段目(寛平、切腹するのではなく、『坐敷芸忠臣蔵』ではフグの腹を切る。)山東京傳 戯作   歌川豊国 戯画

『坐敷芸忠臣蔵』21 ///『仮名手本忠臣蔵』六段目(身売りの段)(勘平切腹の段 「色にふけったばっかりにぃ〜〜」)///山東京傳 戯作   歌川豊国 戯画 

『坐敷芸忠臣蔵』22 七段目(由良助、酒浸った振りをして、お女中の「手のなる方へ」で千鳥足)山東京傳 戯作   歌川豊国 戯画

『坐敷芸忠臣蔵』23 七段目 2/4(ゆらの助、  手をだしてあしを見せたるたこ身ぶり、「きみよう/\と、ほめにけり」)山東京傳 戯作   歌川豊国 戯画

『坐敷芸忠臣蔵』24 七段目 3/4(おかるハ うへより 見おろせど   字ハあハゆきの とうふもおぼろ)山東京傳 戯作   歌川豊国 戯画 

『坐敷芸忠臣蔵』25 七段目 4/4(おかるてふ/\の身ぶり、平ゑもん柿の木の身ぶり)山東京傳 戯作   歌川豊国 戯画 

『坐敷芸忠臣蔵』26 ///『仮名手本忠臣蔵』七段目(祇園一力茶屋の段)///山東京傳 戯作   歌川豊国 戯画 

『坐敷芸忠臣蔵』27 九段目(「さぞ みやこ、めづらしからう ぼさつ」「まさむねの刀 源のひかのさしそへ」)山東京傳 戯作   歌川豊国 戯画 

『坐敷芸忠臣蔵』28 九段目(ゆらの助、おいしにいひつけおくにハのしやうじをいちまいとりよせてそのかげにはいりしが)山東京傳 戯作   歌川豊国 戯画 

『坐敷芸忠臣蔵』29 九段目、十段目(九団目 まへのつゞき / 十段目 おその へりふんだりの身ふり)山東京傳 戯作   歌川豊国 戯画

『坐敷芸忠臣蔵』30 ///『仮名手本忠臣蔵』九段目(山科の雪転し 山科閑居の段)///山東京傳 戯作   歌川豊国 戯画

 

 

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劇場版『難波金融伝 ミナミの帝王 劇場版 銭の一・二』1993  (沢木の親分は、元チャンバラトリオのゆう輝哲也であった。)

2021-08-11 | 映画

イラン モザイク『ハープ』

 

 

 劇場版『難波金融伝 ミナミの帝王 劇場版 銭の一・二』1993  

(沢木の親分は、元チャンバラトリオのゆう輝哲也であった。)

 

 

 

 劇場版『難波金融伝 ミナミの帝王 劇場版 銭の一・二』もTVで見たことがあるが、銀次郎が若い。

 

 これだけなんども見ているというのに、沢木の親分が元チャンバラトリオのゆう輝哲也さんだという事を知った。

 チャンバラトリオは子供の頃に見た様な気がする。

 チャンバラトリオはよしもと所属で、剣劇に加えハリセンを使っての体を張ったネタを披露していたらしい。

 ゆう輝哲也さんは1941年生まれ。高倉健 師事。同志社大学中退。2021年月に亡くなられていた。

『ミナミの帝王』でも

「銀ちゃぁん」 

の言葉がアクセントの意味合いとなり、毎回楽しみにしていた役者の一人であった。

 

 今回も見たという簡単な記録のみにて失礼いたします。

 

 

 

 

製作年: 1993年

製作国: 日本

出演者: 竹内力 、 大森嘉之 、 竹井みどり 、 天田益男 、 太平サブロー 、 田中忍 、 前田五郎 、 柳沢慎吾 、 渡辺哲

監督: 萩庭貞明 脚本: 長沢慶樹 、 伊藤秀裕 原作者: 天王寺大 、 郷力也 音楽: 梅津和時

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