『ペスト』 23 (世間に存在する悪は、ほとんど常に無知に由来するものであり、善き意思も、豊かな意思がなければ、悪意と同じくらい多くの被害を与えうることがありうる。明織なくしては、真の善良さも美しい愛も存在しない。)カミュ著 宮崎嶺雄訳
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筆者はしかしながら、この保健隊を実際以上に重要視して考えるつもりはない。
筆者の立場に立てば、なるほど、多くの市民が、今では粗脳開く割りを歩調したい誘惑に負けるであろう。
しかし、筆者はむしろ、、美しい行為に課題の重要さを認めることは、結局、間接の力強い賛辞を開くに捧げることになると、信じたいのでああう。
なぜなら、そうなると、美しい行為がそれほどの価値に持つのは、それが稀であり、そして悪意と冷淡こそ、人間の行為においてはるかに頻繁な原動力であるに他ならぬと推定することも許される。
かかることは筆者の与(くみ)しえない思想である。
世間に存在する悪は、ほとんど常に無知に由来するものであり、善き意思も、豊かな意思がなければ、悪意と同じくらい多くの被害を与えうることがありうる。
人間は邪悪であるよりもむしろ善良であり、そして真実のところ、その問題ではない。
しかし彼らは、多少の無知であり、そしてそれが、すなわち美徳あるいは悪徳とは、自ら全てを知っているしと信じ、そこで自ら人を殺す権利を認めるような無知の、悪徳に他ならないのである。
殺人者の魂は盲目なのであり、ありうる限りの 明織なくしては、真の善良さも美しい愛も存在しない。
このゆえに、タルーの尽力により、実現された我々の保健隊も、客観性をもった満足の念をもって判断されねばならぬのである。
P.155-156
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