「介護録」とユルユル日記

介護終了、ブログタイトルかえました。

ご挨拶

2014年12月7日をもって私の介護生活は終了しました。

介護中、このblogに毒吐きし、多くの介護仲間さんに助けられました。
過去記事を読むと穴があったら入りたい気分でもありますし、今とは考え方も違うところもあります
身勝手な独りよがりも多々ありますが、そんなあれこれも、介護中の方たちのデトックスに一役かえたらという思いから「介護録」として残しておくことにしました。

今後はユルユルと日常をつぶやきながら時に介護や認知症に対する思いを書いていこうと思います。

タティング

タティングは↓こちらに 写真をアップしていくことにしました。
お暇が出来たらのぞいてやって下さい。
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脳トレと認知症って?

2005-12-10 | ●介護録(~2015.2月)
最近は、脳を鍛えて認知症を予防しようと言う。
この間、ラジオの宣伝で、脳トレであなたも一生認知症とは無縁です!って言い切っていた。こういうの聞くと…マジ?って思う。

ここでいう認知症は、私個人的には、加齢によって自然に起こる「ボケ」の範囲のことと理解し、それを、少しでも遅くしようってことなんだと思うことにしている。
だってそう考えなくては「なぜ、母は認知症になったの?」という疑問が湧くから。

手先を使っているとポケにくいという。常に社会と関わってイキイキ生活しているとボケにくいともいう。
例えば、配偶者に先立たれて子供夫婦と同居し家事もしなくなるとボケるとか、仕事を引退した結果何もしなくなってボケた…という話がある。役割を失ったことがボケに繋がったわけだから、そうならないように脳を使って、生きがいも持って…ということになる。

母はどうよ?配偶者は失ったけど急に子供夫婦と同居したでもなく、私との変わらない生活。家事労働を奪ってもないし、買い物にも行き料理もしていた。洋裁だってずっとしていた。
考え方によっては、夫がいなくなって、娘と二人しっかり生きてこう!っておもってもいいはず。あるいは、気兼ねする人がいなくなったから、友人と楽しもうと思っても良かった。
でも認知症になった。(引っ越しがわるかったのか?)

加齢による認知症と病気としての認知症は違うんじゃないのかしら。おおざっぱに「認知症」でくくるのって危険じゃないのかな。

筋トレして健脚になっても、関節や腰の病気になれば歩けないように、脳トレしても「病気としての認知症」には勝てないんじゃないのかな…なんて私は思っているのだけど…素人ですからわかりませんけど。