「介護録」とユルユル日記

介護終了、ブログタイトルかえました。

ご挨拶

2014年12月7日をもって私の介護生活は終了しました。

介護中、このblogに毒吐きし、多くの介護仲間さんに助けられました。
過去記事を読むと穴があったら入りたい気分でもありますし、今とは考え方も違うところもあります
身勝手な独りよがりも多々ありますが、そんなあれこれも、介護中の方たちのデトックスに一役かえたらという思いから「介護録」として残しておくことにしました。

今後はユルユルと日常をつぶやきながら時に介護や認知症に対する思いを書いていこうと思います。

タティング

タティングは↓こちらに 写真をアップしていくことにしました。
お暇が出来たらのぞいてやって下さい。
→こちら Instagram

「介護うつ」

2005-12-24 | ●介護録(~2015.2月)
昨日の金スマに、大島渚監督夫人、小山明子さんが出演、介護生活について語った。

小山さんの場合、私が想像する「身体介護疲れから追いつめられて」ではなく、「不自由な体でリハビリをガンバル夫に対して、うまく介護出来ない、力になってあげられない」という思いから「うつ」になったという。

これは認知症介護と脳梗塞等身体介護が中心になる場合との違いかなー。
被介護者が不自由を認知している状況は、側にいる家族も辛い。だから、なんとか快適に生活させてあげたいと思って、自分を責めることになるんだろう。

私が介護ウツになったとしても、その原因はまったく違うだろう。
ひよっとすると、どんなにつかれきっても「ウツ」にはならないのかもしれない。
被介護者が「親」か「夫」かでも違いはあるだろう。

いきなり身体介護がドカンと来るのというのは大変だろうなー
私は母が認知症だから、問題行動には振り回されるけど、いきなりの身体介護はない。着替えなどの日常生活のあれこれは、静かに徐々にやって来る。そういう意味では心の準備が出来るのかもれしないし、そうなった頃には、もう本人に認識力はないだろうから、その点での苦しみがない。
ただ、そこへ行くまでの道のりは大変。介護度は上がらないのに問題行動の大変さは結構なもの。
先が見えない。