「介護録」とユルユル日記

介護終了、ブログタイトルかえました。

ご挨拶

2014年12月7日をもって私の介護生活は終了しました。

介護中、このblogに毒吐きし、多くの介護仲間さんに助けられました。
過去記事を読むと穴があったら入りたい気分でもありますし、今とは考え方も違うところもあります
身勝手な独りよがりも多々ありますが、そんなあれこれも、介護中の方たちのデトックスに一役かえたらという思いから「介護録」として残しておくことにしました。

今後はユルユルと日常をつぶやきながら時に介護や認知症に対する思いを書いていこうと思います。

タティング

タティングは↓こちらに 写真をアップしていくことにしました。
お暇が出来たらのぞいてやって下さい。
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日曜日は大変

2005-12-19 | ●介護録(~2015.2月)
毎日曜は私の仏滅。やはり今回も、午後から七時ころまで徘徊のおつきあい。

一度目の徘徊…それは私にとってかなりショック。
私が「娘」だと分からないことはいまに始まったことではないけど、この日、母は、私も一緒に歩いているのに、大声で私の名を呼びながら探しまわった。
正直、恐かった。
短い時間だったけど私の受けたダメージは大きかった。
泣きそうになって子供を捜す母の声はとても悲しいものでしたが、目の前でそれを見なければならなかった私は、なんだかズタズタ。
逃げたかった。
こんな母は見たくない。
私はここにいるじゃないのー……だから腹が立つ。悔しい。情けない。

ということで、大泣き。

気持ちの回復がなかなかうまく出来ないのに、その後も母の不穏は続き、2度目、三度めの徘徊時には、私はすでに切れまくり。キツイ言葉も飛び出したので、母からはののしられることになり……。

最後は歩きながら、私はブツブツ…あやしい人。
「ほっとけるならそうしたい。でも警察の世話になって皮肉を言われるのはもうイヤだ。なにがちゃんと出来るのよ、帰れなくなるでしょ。なんでも自分でやる?だったら、薬くらい取りに行きなさいよー」などなど。
薬のことを言った時の母の理屈は「行こうと思うと、まだ少し残っている、だから行ってないだけ」なんだそうだ。
昨日はマジに、もうアリセプトなんて取りに行ってやらん!と思った。

キツイのは、あちらは短い時間で全て忘れるけど、こっちはそうはいかないというギャップ。対応するのが辛い…。