「介護録」とユルユル日記

介護終了、ブログタイトルかえました。

ご挨拶

2014年12月7日をもって私の介護生活は終了しました。

介護中、このblogに毒吐きし、多くの介護仲間さんに助けられました。
過去記事を読むと穴があったら入りたい気分でもありますし、今とは考え方も違うところもあります
身勝手な独りよがりも多々ありますが、そんなあれこれも、介護中の方たちのデトックスに一役かえたらという思いから「介護録」として残しておくことにしました。

今後はユルユルと日常をつぶやきながら時に介護や認知症に対する思いを書いていこうと思います。

タティング

タティングは↓こちらに 写真をアップしていくことにしました。
お暇が出来たらのぞいてやって下さい。
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母が私を認知しなくなった時

2006-09-08 | ●介護録(~2015.2月)
一般的には重度になってからと言われるけど、母は介護度1で、私(娘)を他人と思うようになった。(24時間ではない)
あきこさんのお母様はその辺の症状がうちの母と同じ。二人の脳萎縮には何か共通項があるのでしょうか…?

母に、最初のその症状が出たのはスーパーでのこと。
「スキなの買って持って帰るといいわ」と母がいった
「○○ちゃん(母の一番下の妹)と間違ってない?」と言うと、「あら、ほんとだ、何いってるんだろ」と我に返った。

それからある時、一緒に茶の間にいた母が、急に私の部屋に行き電気をつけ、なにか探しはじめた
しばらくして「どうしたの?」と声をかけると
「よかった、帰ってたの。女の人がいるんたけど、誰だか分からないから、アンタの友達だろうと思って、何か手かがりはないか探していたの」といった。

さらにある日「あなた、○さん(父の名前)とどういう関係になるの?系図をかいてちょうだい」と言われた。後で書くから…といっているうちに何事もなかった感じに。

こんなふうに、はじめはいつも数分で元に戻っていた。
アヤシイナと思ったら、ちよっと席を外して戻る。それで母は「あら、いたのね」と落ち着いたのだ。

……「あなたは誰?」と言われ「とうとう来たか」と思った……という話を見たり聞いたりする。
そんなとき、「そうやって心の準備が出来ただけマシよ~」なんて思う。
私には「とうとう…」なんて思う余裕はなかったから。

でも逆に「いつか…」と思う不安から解放されているのかもしれない。
もう、母にとっての何者になろうと同じことサ…っていうのはちよっと強がりかなぁ~