「介護録」とユルユル日記

介護終了、ブログタイトルかえました。

ご挨拶

2014年12月7日をもって私の介護生活は終了しました。

介護中、このblogに毒吐きし、多くの介護仲間さんに助けられました。
過去記事を読むと穴があったら入りたい気分でもありますし、今とは考え方も違うところもあります
身勝手な独りよがりも多々ありますが、そんなあれこれも、介護中の方たちのデトックスに一役かえたらという思いから「介護録」として残しておくことにしました。

今後はユルユルと日常をつぶやきながら時に介護や認知症に対する思いを書いていこうと思います。

タティング

タティングは↓こちらに 写真をアップしていくことにしました。
お暇が出来たらのぞいてやって下さい。
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「認知症の介護のために知っておきたい大切なこと」2

2006-09-11 | ●介護録(~2015.2月)

この本が「優しい」と思ったのはなぜかなーと考えてみた。
言っていることは、被介護者の視点にたって、こういう風に介護すればいいのよ~ってことだから、大抵の場合、よくある本のように、「介護者に救い」がないって感想になりそうなものなんだけど、(そういう側面もないとはいえないけど)どことなく受け入れやすいのは?

多分、文章の形態ではないかなーと思う。
例えば介護本は「○○の時は、△△してあげましよう」という言い回しが多い。
だけど、この本は「○○の時は、△△なのです。」というニュアンス。そして、その後に○○しましょう。○○させてください。と続くんだけど、「してあげなさい」という強い調子とは違って聞こえる。
そして、「そうすることでお互いが幸せなのです」という締めがくる。

日本は福祉後進国。キリストの慈悲の精神から発達していった社会福祉ってものを考えると、福祉や介護の中で「お互いの幸せ」的な発想って、日本人的感覚にはないんじゃないか……。

そして、実際のケースがたくさん紹介されている。それを評価するというより、事実を伝えているという感じがするので、例えば、ケアの仕事についたばかりの人が、介護者としてあるべき態度、成すべき対応を、理屈を教えられるのではなくそれを読むことで自然と理解出来るような流れを感じた。

当然、家族介護者の場合、割れきれない感情もあるので、パニックになっているときに、これを読んでも受け入れられないかも…と、ちょっとそんな感じもあり。

●「介護者と被介護者が一緒に出来ることのリストを作ろう」という提案
原則は十分にやりがいのあることで、種類が多いこと。
多分、私たちは誰に教えられることなく、自然とそういうことを考えていると思う。それは、何かで時間を使えば徘徊防止になるとか、安定してくれるだろうとか、自分が楽になるための手段でもある。ただ、家族がこれをやり続けるのはかなりの忍耐がいることは間違いない。
そして、どんどん褒めようという。しかし、これは加減がムズカシイそう。

●「ケアは協力」
たとえ出来ることが少なくても、私だけが行い、母がなにもしなければ、結局母は役立たずだと感じることになりかねない。
だから「最高のケアは一種の協力」なんだそうだ。

現実に「母と一緒に」と想像すると、家族に対して出る本能的なワガママや甘えが必ずジャマをするだろうと思える。 うちの場合はとくにその傾向は強そう。

●問題行動に関して
基本はやはり、それを受け止めること。この本では、「それは本当に問題行動ですか?」という問いかけから始まる。
そして、徘徊、妄想など、それぞれについて、どういう不安状態からそうしてしまうかが述べられ、(例えば物をしまい込むのは、物が…自分の一部が…失われていく不安からこれ以上失われないように物をしまい込むのではないか、など)それを受け止めていこうというのが基本。
―<問題ではなく、その人に目を向けて、望みを果たせる方法をさがしてみてください。魔法の言葉や特別なイロハありまんし、解決せずに残る問題もあるでしょう。ですが、あなたの全体的アプローチが問題に焦点をあてたものではなくその人に焦点をあてたものなら、あなたが介護する人も、あなたも今よりずっと幸せになれるでしょう>―

認知症の介護のために知っておきたい大切なこと―パーソンセンタードケア入門

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あと二回くらいこの本のこと書きます…長々と…