ご挨拶
2014年12月7日をもって私の介護生活は終了しました。
介護中、このblogに毒吐きし、多くの介護仲間さんに助けられました。
過去記事を読むと穴があったら入りたい気分でもありますし、今とは考え方も違うところもあります
身勝手な独りよがりも多々ありますが、そんなあれこれも、介護中の方たちのデトックスに一役かえたらという思いから「介護録」として残しておくことにしました。
今後はユルユルと日常をつぶやきながら時に介護や認知症に対する思いを書いていこうと思います。
2014年12月7日をもって私の介護生活は終了しました。
介護中、このblogに毒吐きし、多くの介護仲間さんに助けられました。
過去記事を読むと穴があったら入りたい気分でもありますし、今とは考え方も違うところもあります
身勝手な独りよがりも多々ありますが、そんなあれこれも、介護中の方たちのデトックスに一役かえたらという思いから「介護録」として残しておくことにしました。
今後はユルユルと日常をつぶやきながら時に介護や認知症に対する思いを書いていこうと思います。
パーソンセンタードケア本の三回目デス。
第10章「施設に入るときにきをつけてほしいこと」より (青文字はそのまま引用)
例えば身体的な介護の場合、治療や介護技術の面で自宅ではムリという判断がなされやすいけれど、認知症の場合、
「そう単純ではありません。なぜなら施設に入れるのは介護者の必要性によることが大きいかもしれないからです」
いつか施設処置という日を迎えるのだろうと考えるとき、体が健康な母を思うと、決断のタイミングは何?と思う。それは母の意向でもなく、治療のためでもなく、きっと、私の限界だと思うから複雑な心境。
その時がきたのなら…
「自分自身とあなたが介護する人にどうぞ正直になってください。あなたは罪悪感を覚えるかも知れませんが、あなたの望みも決断のさいに考慮しなければ、罪悪感はかえってひどくなってしまうのです」
そして、必要になる前の情報集め。訪問。このときにチェックすべきポイントが13載っている。長いので省略(^^ゞ(例えば、空間は創造的に使われているか?それとも壁にそってイスがならべられているだけ?…とか、居室には想い出の品が飾られているか?などなど)
たくさん質問してノートをとろう。それを嫌がるような施設は×。
この本では、施設に入ることを話合い、本人の心配事に対応し、安心させ、支えるように、そして、荷物のとりまとめなどに本人が関われるように…と書いてある。
コレに関しては、まるで見当もつきません。そんなことが可能なのか……。
いまでさえ、母に妹などと思われているので、離れることでまったく忘れられるのでは…という不安があlります。(逆に完全に忘れられた方が気楽なのかもしれないけど)
「たとえ相手があなたのことを誰だか分からなくなったり、名前を忘れてしまっても、あなたが自分にとって特別な人だということは分かっているのです。たとえあなたにそうと伝えることができなくても、あなたが訪ねて来てくれることは相手の心の奥に響くものなのです」
ホントにそうかな~そうなのかな~~…。