「介護録」とユルユル日記

介護終了、ブログタイトルかえました。

ご挨拶

2014年12月7日をもって私の介護生活は終了しました。

介護中、このblogに毒吐きし、多くの介護仲間さんに助けられました。
過去記事を読むと穴があったら入りたい気分でもありますし、今とは考え方も違うところもあります
身勝手な独りよがりも多々ありますが、そんなあれこれも、介護中の方たちのデトックスに一役かえたらという思いから「介護録」として残しておくことにしました。

今後はユルユルと日常をつぶやきながら時に介護や認知症に対する思いを書いていこうと思います。

タティング

タティングは↓こちらに 写真をアップしていくことにしました。
お暇が出来たらのぞいてやって下さい。
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家の前の工事が…―〈介護〉

2006-09-29 | ●介護録(~2015.2月)
家の前で工事が始まった。今まで空き地だったけど家が建つ。多分アパート、うちの大家さんの土地だし。

朝から、工事の男性がワサワサと来ているのを見て、母が不穏になった。
最初は「○○がいない」ってことから始まって、外に出た母。
そこで目にした工事のオジサンたちが、「アヤシイ人」という認識になってしまったらしい。
「変な人が入ってくるからここにはいられない」という理屈で、しばらく不安定になった。
玄関を出て二階から、工事現場をずっと監視しようという態勢。
「あの人たちが、イヤな人たちなのだ」と文句イイ通しだ。

ああ、認知症ってやっかいだ~ただの工事なのに、いつもと違う光景がこんな妄想に発展してしまうなんて。
こういう状態を見ていると、地域の中で普通の暮らしをするということがとても困難なのだという気がしてくる。
いつもと違う回りの出来事、セールスマンや勧誘の電話、郵便や宅配は一見認知症には見えない母相手に当たり前のように話しを始める……。
これら全てをいっさいシャットアウトしなくては安定は望めない。
そんな意味からも、介護度2や3の時は、ちよっと細かくて複雑なヤッカイ事があるといえる。
進行してまえば、こういうやっかいさは無くなるだろう。たけど、その時は、コミュニケーションが取れなくなって、寝たきりということだ。

先が見えるといえば見える。やっばり残酷な病気だ。

今日から運命の甲子園決戦

2006-09-29 | ■ファイターズ

こんなに野球が盛り上がった年って過去にあったのだろうか?だってもう10月よ~普通は消化試合よね~スゴイな~
今年はWBCから始まって野球が楽しい一年でした……って、まだ振り返っちゃイカン

昨日はローカルに森本選手、ヒルマン監督など出演。
ヒルマン監督は来年も札幌にいたいと言っていたわ。この方好きです。歌もうまいのよね~(関係ないけど…)
「プレーオフを勝ち進めば、金村さんも戻ってくるし」と語っていたダルちゃん。私服の彼は…美しい
ハムを追いかけて東京から札幌へやってきてスポーツカフェを開いたオジサンがいます。表彰ものです。

そしてそして、今日から運命の甲子園ですよ。ああ、新庄の願いが通じるといいなぁ~。どっちを応援すべきかとても困るけど、なんか幸せ……まだ決まってないけど…。
大好きな二つの球団がこんな形で夢をくれたことに感謝します。
この際、野球盛り上げのために、日本シリーズはトラハムってことで、ダメですかね?ダだよね…スミマセン…。