1458年の王軍による勝連討伐の際、
阿麻和利がここから脱出をしたかもしれない
という、勝連グスク二の郭にある肝高の御嶽。
(全体図はこちらから→ ★)
洞窟のようになっているようですが、
現在は(?)塞がれています。
今帰仁グスクにもこのような抜け穴があったらしいですからね。
勝連グスクにあったとしても不思議じゃないかも。
でも、個人的には
阿麻和利は大城賢雄との一騎打ちの末
城と共に滅びた説を取りたいですが、ネ。
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小説「百十踏揚」サイコー
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