昨日、幹部(笑)来沖に伴い、
内々で第4回琉球歴女の会を行いました。
となると、毎度のことながら話題はオギヤカさん。
そこでオギヤカさんの生きた時代を
年齢ごとに追ってみることになりました。
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1445年 生まれる
1453年 志魯・布里の乱(8歳)
1458年 護佐丸・阿麻和利の乱(13歳)
1459年 金丸、御物城御鎖之側任命(14歳)
1460年 尚泰久、没(15歳)
1461年 尚徳、即位(16歳)
1465年 尚真を生む※(20歳)
1466年 尚徳、喜界島征服(21歳)
1468年 金丸、内間に隠居(23歳)
1469年 尚徳没(24歳)
1470年 金丸改め尚円、即位(25歳)
1476年 尚円没(31歳)
1477年 尚宣威即位式+尚真即位(32歳)
1480年 尚真、居仁と結婚(35歳)
1494年 尚真と居仁(正妃)の子、尚維衝誕生(49歳)
1497年 尚真と華后(側室)の子、尚清誕生(52歳)
1500年 オヤケアカハチの乱(55歳)
1501年 玉陵建設(56歳)
1505年 没(60歳)
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20歳の時に尚徳を生んでいるということは、
オギヤカと金丸の結婚は
その1年前か、2年前か、
とりあえず数年前ということになりますね。
個人的なポイントとしては、
金丸がまだ第一尚氏高官の、
尚徳王とバチバチしている時に結婚&尚真出産、
その後、金丸が隠居して内間村で細々と暮らしている時も
幼子尚真もつれて(場合によっては月清らも出産してて)
金丸について行っていただろう、
ということです。
これまでのオギヤカイメージだと、
「田舎暮らしは嫌!私は首里にとどまるわ!」
と言って別居してた可能性も無きにしも非ずですが…
でも金丸が引退&隠居となると、
離縁しないで完全別居とは考えにくいような?
生い立ちなどその人となりは
謎の多いオギヤカですが、
当時の世の中の動きを
年齢ごとに追っていくと
またオギヤカのイメージが変わってきませんか?