(つづく!)
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正史『中山世鑑』によると、
中山軍は3月11日に首里を立ち、
12日に名護着、軍を二手に分け、
13日に鬨の声をあげた
とあります。
この描写の通りに考えるとしたら、
道路未整備の時代、
徒歩で1日で名護まで行くのは厳しいだろうから
海路だったのでは?
という説に基づいて
1コマ目の図はそのようにしています。
(名護からの海路は運天港からの上陸にしたけど
今帰仁をぐるっと迂回することになるから
もしかしたら本部港あたりかもしれないな、とも思う)
『中山世鑑』の北山戦は
描写が歴史小説みたいで面白いから
一読をおすすめします★
「キラキラ琉球史☆ゆんたくマンガ」
シリーズ初見の方はこちらもご覧下さい。