がじゅまるの樹の下で。

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アマミクヌムイの越来グスク【2】

2019年09月24日 | ・琉球史散策/グスク時代

 

前記事のつづき。


越来グスクが国の名勝「アマミクヌムイ」に
追加登録されたことを記念しての講演会、

『神が築いたグスク「越来グスク」』について。


 

後半は、文化庁の平澤さんによる名勝の話。

「名勝」とは何か、
なぜ越来グスクが追加指定されたのか。

 

現在の越来グスクは、戦後の土地開発によって
大きく地形もかわり(山がごっそりなくなるレベル)
かつてはあったという石垣なども皆無だけど、


「名勝」とは、
景色がいいとか、見栄えがいいとか
昔からの状態がそのまま残っているとか
そういうことだけではなくて、

アマミキヨがつくったグスクとして
生活の中で変化しながらも拝み続けられてきたという
その意味・在りよう、も重要なのだとか。

なるほど~。

だから、越来グスクという単体ではではなく、
アマミキヨ関連の場所、
「アマミクヌムイ」という<枠組>がポイントでもあるのね。

 

そもそもワタシは

名勝「アマミクヌムイ」自体
この越来グスクのニュースで初めて気づいたんだけど、
最初は2015年なんだ。

この時点で指定されていたのは、
今帰仁のカナヒャブ(テンチジアマチジ)及びクバの御嶽、
それから久高島のクボー御嶽のみ。

てっきり、その初期段階で琉球七御嶽は登録されているものだと思ったけど、
安須森御嶽や知念グスク、藪薩の浦原、首里森・真玉森グスクは未指定で、
七御嶽以外の、越来グスク、弁之御嶽(弁ヶ嶽)、伊祖グスクは指定済みなのよね。

指定の順番がなんか謎ではあるけど(各自治体文化行政の事情?)、
未指定のものも、これから追加されていくのでしょう。

 

今回話を聞いて思ったのは、

アマミクヌムイに指定されたからこそ、
これからいろいろ始まるんだろうな

ということ。

 

これまで全っ然
アマミキヨ関連は紹介されてなかった越来グスクだけど、
指定されて初めて周知され、
指定されたからこそ行政も一般も関心が高まり、
これからはこの面をどんどん推していって
整備、保護、活用につながっていくんだろうな。

 

少し、越来グスクの見え方も変わってきそうです。

 

 

とりあえず、

コザ十字路の大壁画
神話部分を描き足せたらいいねー。
(今は源為朝伝説が絵のスタートなのだ

 

 

 

*おまけ(後日談)*

この講座のあと、
愛読書『百十踏揚』をぱらりとめくってみたら
本文3ページ目に「(越来城は)アマミキョが造ったと歌われ」
という一文が(!)

…読んでたんかーいっ(苦笑)

 

 

 


 

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