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博客 金烏工房

中国史に関する書籍・映画・テレビ番組の感想などをつれづれに語るブログです。

『最後の遣唐使』

2007年12月13日 | 日本史書籍
佐伯有清『最後の遣唐使』(講談社学術文庫、2007年11月)

遣唐使シリーズ第二弾です。本書は1978年に発行されたのを文庫化したもので、実際に実施された中で最後の遣唐使となった838年の承和の遣唐使について検討しています。

前回紹介した『遣唐使』の主要参考文献のひとつということで、内容的には重複している部分も多いのですが、個人的に面白かったのは以下の二点です。

1.小野氏について

承和の遣唐使については副使の小野篁が乗船・渡航拒否をして隠岐に配流となったことがよく知られていますが、本書ではこの小野氏が小野妹子以来対外交渉の部門で活躍してきた一族であり、篁の父小野岑守が後述の張宝高と交流があったようであること、篁自身も新羅商人の間でその名が知られていたことを指摘しています。

篁の乗船・渡航拒否については、遣唐大使の藤原常嗣(この人も対外交渉に従事してきた一族の出身であるとのことですが)の横暴に対する不満からのみ起こされた行動ではなく、そもそも遣唐使自体危険を冒してまで実施する意味の無いものになっていたことを熟知していた篁が政府への不満を表明したものであること、その篁の考えに同調する者が使節や留学生の中に少なからずいたようであることを指摘しています。

小野篁といえば今まで歌人としての側面や、冥府の官吏となって閻魔大王を補佐したというような伝説しかイメージが無かったのですが、対外交渉や交易に従事していたというイメージは新鮮でした。

2.張宝高について

張宝高(張保皐)は前に紹介した韓国歴史ドラマ『海神』の主人公として取り上げられていますが、この人物について詳しい解説がありました。

元々名も無き民であった彼は唐に渡って軍人として武名を轟かせ、新羅に帰国後は国王に面会できるほどの大物となる。海賊に攫われた新羅人が唐でとして売られているのを憂慮した彼は海路の要衝である清海近辺の海賊を制圧し、以後新羅人が奴隷として連れ去られることがなくなったという。その後も彼は手広く交易を行い、新羅王家の王位継承を左右できるほどに勢力を拡大。

ところが彼の娘が身分を理由に時の王の妃になれなかったり、の売買再開を支持する勢力に恨まれたりと色々あり、最後は反乱を起こしたことにされてしまって壮士の閻長(ドラマでも登場)に暗殺される。

こうしてみると、なかなか男前な人生を送っています……
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