『新ドラゴン危機一発』(原題『新唐山大兄』、ドニー・イェン監督・主演、1995年)
5/9の深夜に読売テレビで放映されたものを録画しておいたのですが、今日やっとこさ見ることができました。タイトルだけ見ればブルース・リーの映画のリメイクっぽいですが、ストーリーは『ドラゴン危機一発』とは何の関係もありません。(ちなみにこのタイトル、今の今まで『ドラゴン危機一髪』だと思ってましたが、本当は『危機一発』なんですね。あちこち検索をかけてみて初めて知りました……)紛らわしいことに、同じくドニー・イェン主演で『ドラゴン 危機一発’97』なる作品もあるようですが、今回見た作品とは関係がないようです。
要するにブルース・リーが主演しそうな感じの映画を作り、ドニーが彼にオマージュを捧げて悦に入りたかっただけなのではないかという気が(^^;) 作品自体の出来は悪くないですが、ブルース・リー映画というよりはきっちり90年代のスピーディーな香港アクションに仕上がってます。
終盤、ギャング団が手斧を持ってドニーを取り囲むというシーンがあるのですが、『カンフー・ハッスル』といい、民国期を舞台にしたアクション物では、ギャング団に手斧を持たせるというのはデフォルトなんでしょうか。
宇野哲人『清国文明記』(講談社学術文庫、2006年5月)
著者の宇野哲人は中国哲学の泰斗です。もともとの書名は『支那文明記』といい、明治39年(1906年)から41年(1908年)にかけて著者が北京、山東、長安、江南の諸地域を旅行してまわった際の見聞記です。
まだ最初の北京の部分しか読んでませんが、名所旧跡の紹介だけではなく当時の北京の街並みや人々の様子なども割と詳しく記録しています。例えば当時の通貨は馬蹄銀や銅銭・銀銭に加えてメキシコ弗(ドル)や仙(セント)といった外国の通貨も通行しており、両替が極めて煩瑣であったこと、当時からスイカやカボチャの種をおやつに食べる習慣があったこと、当時は青天のもと路地でしゃがみ込んで用を足す人が多かったことなどを記述しており、名所旧跡の紹介よりもこっちの方が却っておもしろく読めます(^^;) また当時は義和団事件の衝撃がまだ冷めやらぬ状況であったらしく、義和団事件の影響に関する記述も多いです。
名所旧跡については、京師大学堂(現在の北京大学)の創設や科挙の廃止、西洋の学問の流行が影響して、国子監や貢院が閑散としていたことが興味深かったですね。また頤和園なんかも中を見回っていますが、よく考えたら当時はまだ頤和園の主である西太后が在世しているんですよね。今みたいに入場料を払って見学というわけにもいかないだろうにと思いきや、どうやら特例で見学が許されたみたいです。
また長安の旅では中国史学の泰斗、桑原隲藏と同行し、桑原隲藏の方は『考史遊記』(岩波文庫、2001年)にその時の旅の様子を記録しているとのことです。こちらの本も持っていることは持っているのですが、実は以前に途中まで読んでそのまんまになってます(^^;) 『清国文明記』を読み終えたらこちらもちゃんと読まないといけませんなあ……
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060512-00000022-zdn_n-sci
あとはどの位の出版社が参加するかが問題ですね。しかし出版社や著作権者団体の反発を気にして、グーグル側の動きがやや慎重になっているのが不安であります…… また日本では今の所大学附属図書館との提携の計画が無いというのも気になるところですね。
第25~32話まで見ました。
郭靖夫婦を父親の仇と信じ、仇を討つべく襄陽へと入城する楊過。しかし彼は宋のために必死にモンゴルと戦う郭靖を討つことに、次第に躊躇を覚えるようになる。モンゴル軍の猛攻が続く中、黄蓉は双子の姉弟を出産するが、姉の郭襄は黄蓉がその顔を確かめる間もなく李莫愁に攫われてしまう。郭芙は楊過が妹の拉致に関わったと誤解し、逆上して彼の片腕を斬り落としてしまった。一方、小龍女はかつて自分の操を奪ったのは楊過ではなく、全真教の甄志丙だったと知り、衝撃を受けるのであった……
このパートではまずモンゴルとの激戦の舞台となる襄陽城が物語の舞台となりますが、浙江省象山の撮影場「神雕侠侶城」に襄陽の城塞や街並みを実物大で丸々設置しただけあって、戦争シーンはかなり迫力があります。このあたり、城塞のセットが見るからにショボかったアンディ・ラウ主演版とは大違いです(^^;) 物語終盤の襄陽大戦が楽しみであります。
更にこのパートではいよいよ神雕が登場します。過去のドラマ版や映画版ではこの神雕がショボい着ぐるみで登場するのが常でありました。また今回のドラマでも、エンディングテーマで一瞬映った映像を見る限りでは着ぐるみっぽかったので、果たしたどうなることかとやきもきしていましたが、意外や意外、何とこのドラマでは神雕はCGで処理されております!
ただ、さすがに『ナルニア国物語』のクリーチャー並みにリアルというわけにはいかず、一目見てCGとわかるシロモノなので、画面から少し浮いた感じがするのが残念であります…… まあしかし、10年後、20年後に再びドラマ版が制作されるとしたら、その時はかなりリアルな神雕にお目にかかれるのではないかと。
タイトルだけ見たら何の本かわからないかもしれませんが、要するに戦争や紛争にちなんで発行された切手や封書をあれこれ紹介している本です。正直、内容的に深みはないものの、アヘン戦争から現代のイラクまでと扱っている時代と地域が幅広く、(この本によると、アヘン戦争の始まった1840年はイギリスで世界最初に切手が発行された年にあたるそうです。)近現代史の小ネタ本としてはよくできています。
ネタとして面白かったのは、第二次大戦中に発行されたヒトラーの横顔が描かれた切手の話です。これはもともとドイツで発行されていたのを、まずアメリカがそれをそっくり似せた偽造切手をつくり、ドイツ国内に散布します。それにあきたらず、ヒトラーの顔を骸骨に変えたパロディ切手までバラまきます。今からすると子供じみたバカバカしい行為にしか思えませんが、大戦中はその子供じみたバカバカしい行為に心血を注いでいたわけですね…… ちなみにドイツの方もイギリスの切手の図案をいじってこの種のパロディ切手を作っていたとのことです。
乾隆帝がちょっと身なりのいい一般人に身をやつし、重臣の劉墉と鄂容安を引き連れ、揚州の街をぶらつくといった内容で、乾隆帝一行が揚州八怪の一人、鄭板橋を騙して絵を描かせたり、占い師が乾隆帝の正体を言い当てたばかりに死ぬ運命に遭ったり、地方役人のドラ息子が町娘に言い寄ろうとするのを助けたりといったエピソードを複数寄り集めていますが、特に山場らしい山場のない、実にまったりとしたコメディです。
『戯説乾隆』のように、悪代官が毎日筋トレに励んでいて、乾隆帝と15分に渡るバトルを繰り広げたりとか、街で知り合った娘さんが実は朝廷の役人であった父親を冤罪で亡くしていて、有罪の断を下した乾隆帝を父の仇として付け狙っているとか、そういうハードな展開は一切ありません(^^;)
この作品、シリーズで4本ほど作られているようですが、他の作品もこんな調子なんでしょうか。またパッケージには「乾隆下江南に関わる野史と民間伝奇をミックスした」というような文言があり、個々のエピソードには元ネタがあるのかもしれませんが、実際の所はどうなのかよくわかりません……
【追記】あちこち検索してみてわかったのですが、この作品は『乾隆下江南』の続集で、こちらの方には『四庫全書』の編纂で有名な紀も登場するとのことです。店頭ではシリーズ中のどれが第一作かわからず、取り敢えず『下揚州』を購入してみたのですが……
上官霊鳳(張栢芝)は現代に生きる義侠夫婦(この夫婦を『カンフー・ハッスル』でおなじみの楊過と小龍女……もとい元華と元秋が演じています)の一人娘として生まれ、十四歳の頃から毎年夏休みに華山で武功の訓練を重ねてきた。それから十年。両親は既に離婚し、霊鳳は普通のOLとしてくらしていた。彼女は若くして企業の重役を務める古龍(古巨基)の秘書に抜擢される。一方、妻や娘と別れて動物園に勤める父親は、娘の誕生日プレゼントとして神雕を贈る。その頃、『九陰真経』に秘められた奥義を身につけ、武林の公敵として忌み嫌われる白眉(パイメイ)は、自分たちの悪事の目撃者である古龍の抹殺をはかっていた。霊鳳は父親と神雕の手助けを得て、白眉の魔の手から古龍を守ろうとするが……
王晶監督というあたりでだいたいの内容が察せられると思いますが、上のあらすじの通り、武侠物のパロディが満載のコメディです。誕生日プレゼントの神雕というのは、もちろん金庸の『神雕侠侶』の神雕です。この神雕、金庸の小説のように霊鳳に武功でも授けるのかと思いきや、霊鳳とテレビのチャンネル争いをしたり、古龍の監視に失敗したり、霊鳳と古龍を乗せて華山まで向かうはずが、途中でメスの鶴に見とれて富士山に来てしまったりと、まるで役に立ちません(^^;)
古巨基演じる古龍というのも武侠小説家の名前から取ってます。その友人で金庸(という役名の人物)も登場します(笑)
このように武侠物好きならニヤリとする要素が多いですが、言ってみればただそれだけの作品で終わってしまってるのが残念。というか、それ以上のものを求める方が間違っているのかもしれませんが…… 映画の制作過程の中で企画書を書いている段階が一番楽しかったんだろうなあと思わせるような作品です(^^;)
今まで電子辞書に入っている中国語辞典と言えば、小学館の『中日辞典』『日中辞典』が相場でしたが、ここに来て少し状況が変わってきているようです。
このwordtank G90にケチをつけるとしたら漢和辞典ですね。従来の機種と同じように学研の『漢字源』を搭載していますが、三省堂の辞書を搭載しているなら、同じ三省堂の『漢辞海』を搭載してほしいところです。あと、惜しいことに不具合が発見されているようなので、購入するとしてもしばらく待ってからの方が良さそうです。
第15~24話まで見ました。
英雄大宴の後、小龍女が再び楊過のもとから姿を消し、絶情谷で再会を果たした二人が色々悶着の末に谷を出るまでの話です。ここまででようやく物語の折り返し地点です。
このドラマ、どうやらお花畑が楊過と小龍女の関係を表す鍵となっているらしく、やたらお花畑で二人がいちゃつくというシーンが出て来ます。序盤で二人が玉女素心剣や九陰真功を修業するのも古墓の外に広がるお花畑ですし、前回触れたように英雄大宴で二人が再会した時も背景が唐突にお花畑となります。そして絶情谷はと言えば、もちろん情花が咲き誇るお花畑が一面に広がっております(^^;) しかもバックでは公孫止の侍女が軽功で妖精のようにふわりふわりと飛び跳ねています。
小龍女は楊過と再会しても当初は彼を拒み、絶情谷主・公孫止と結婚してしまおうとしますが、次第に心は千々に乱れ、結局楊過と添い遂げるために二人で公孫止と一戦交えることになります。今回の見所はこの楊過&小龍女と公孫止のバトルなのですが、最初は紳士然としていたのが、楊過と小龍女が再会を果たしたあたりから段々と本性が露わになってくるという公孫止の変貌もなかなかの見物であります(^^;)
しかし公孫止も、行き倒れになっていたところを助けた小龍女に土壇場で結婚を拒否され、しかも彼女の名乗った「柳」姓は楊過にちなんだ偽名。しかもこの件がきっかけとなって死んだはずの鬼嫁と再会するハメになるわ、旧悪は暴露されるわと、哀れと言えば哀れであります(笑)
反日デモ、愛国教育、歴史問題、都市と農村との格差問題、台湾問題など、現代中国に関わる外交・社会問題とその背景を解説した本です。歴史問題については、過去の日本の侵略や現在の日本の状況を一方的に断罪するという態度を取らず、過去のことは過去のこととして直視する一方で、現在の中国政府が政治的な都合で歴史解釈をねじ曲げていること、特に靖国問題が外交での駆け引きの材料となっていること、また反日デモが政府に対する不満のハケ口となっていることについても指摘しています。
この本ではこのような諸問題を解消していく鍵は中国の民主化にあるとしています。悪化する一方の中国での対日感情についても、そもそも共産党が報道の自由を認めず、日本に関して明日にでも軍国主義が復活するかもしれないといったようなネガティブな情報や意見しかメディアが伝えないことに問題がある。様々な角度から日本の社会や日本人の考え方が紹介されるようになれば、もっと状況も変わってくるのではないかとしています。そういった観点から、日本政府が天安門事件以後中国政府に民主化と人々の人権の向上を促さなかったことに対して批判を加えています。
結論としては、今後も民主化が進められる見込みがない以上、日中関係は良くなることはない。それを踏まえた上で、中国との付き合い方を模索していく必要があるということになります。
この結論については、莫邦富の『日中はなぜわかり合えないのか』(平凡社新書、2005年5月)も同様のことを主張していました。こちらもなかなか面白い本でしたが、本書とは違って日本に対して手厳しい意見が多いです。また、馬立誠の論文「対日関係新思維」についても、本書とはだいぶ見方が違っております。