またもやクリント・イーストウッド監督の
「真夜中のサバナ」。
原題は「Midnight in the garden of Good and Evil」
直訳すると「善悪の庭での真夜中」。
なんかよくわからんが、邦題でもいまいちよくわかんない。(笑)
でも、映画自体はものすごくおもしろい!
2時間30分ほどの映画だけどホントあっという間に過ぎてった感じがする。
無名の記者がサバナに住むお金持ちのクリスマスパーティーの取材に呼ばれてサバナにやってくるところから物語は始まるんだけど
この街は奇妙なことが多く、よそ者である記者はびっくりすることが多いんだけど、さらに驚きなのは、そこに住んでる人たちはそれを受け入れて何事もないように暮らしていることだった。
クリスマスパーティーが終わった後、殺人事件がおき、そのパーティーの主催者であるお金持ちが逮捕されちゃうんだけど、その真相は何なのか?というミステリー映画だったけど、
単なるミステリー映画にしないところが「さすがっ」と、うならせるところ。
きっと、この映画でイーストウッドが伝えたかったのは
物事には「あいまいさ」が付きもので、客観的事実なんていうものは存在しないんだっていうことなんじゃないかって思うんだ。
ヒトにはそれぞれの見方があって、それぞれ隠したいこともあるし、うそもついて生きている。
それをわざわざおおっぴらにして「真実は何か」なんて突き止める必要はないんじゃないかってね。
芥川龍之介の「藪の中」じゃないけど、ヒトの見方や立場によって事実は異なって受け止められ、
その中のどれが正しくてどれが間違ってるなんて吟味するのはナンセンスだって言ってる気がする。
実際、この映画は、ほとんど「藪の中」に近い構成になってる。
まず、犯人のお金持ちの主張があり、目撃者はいないけど、警察の捜査でお金持ちのウソが主張され、最後に呪術者の言葉がある。
結局、お金持ちの告白と呪術者の言葉が同じだから
妻は「そういう霊的なものがあるって言いたい映画なのかな?」なんて言ってたけど
ボクはまったく違う印象を受けたなあ。
芥川龍之介は「藪の中」で、「人間のエゴによって事実はゆがめられる」っていう、人間に対してちょっと批判的な表現をしてるけど、
この映画は「それでもいいじゃないか」っていう人間愛が感じられる。
呪術者の最後の言葉「死者よりも生きてる方を大事にしな」っていうことからも
それは感じとれるんだ。
この「物事にはアイマイさが付きもので、客観的事実っていうものは存在しない」っていう考え方には異論もあるとは思うけど、ね。
この考え方は量子論の「不確定性原理」によく似てるんだ。
ミクロの世界では常にアイマイさが付きまとうっていうやつ。
アインシュタインなんかは「そんなことはありえない」って最後まで認めなかったけどね。
でも、ボクは、これはミクロの世界だけじゃなく、マクロの世界でも通ずるんじゃないかって考えてる。
こういう、「ヒトが感じること」っていうところにそれは顕著になる気がする。
なんか、映画からずいぶん離れた話題になっちゃったな。(笑)
まあ、そんなこんなで面白い映画には違いないんで観てない方にはお勧めの一品ですよ。