昨日から引き続き映画「プレステージ」について。
昨日の記事を読んでない人は、あらすじなんかを書いてあるんで、
そちらを先に読んでからどうぞ。
今日もネタバレするから、嫌な人は読まないでくださいな。
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ボーデンは実は双子だった。
本当は違う人格だけど、「マジックのために人生を犠牲にする」ことを厭わず、
人間瞬間移動マジックのために左手指2本を、双子のもう片方と同じように切り落とし、
片方の妻である「サラ」に対し入れ替わり立ち代わり同じように接し、
もう片方の愛人である「アンジャーから送り込まれた女性スタッフ」にも同じように接していくのは、
『あまりにもリスクが高いだろう!サラを前にするときはいつもサラを愛した方がボーデン役になってりゃ何の問題も起きなくない?』
なんていう突っ込みもしたくなるが、
そこらへんは彼らの信条である「マジックのためなら人生を犠牲にするのも厭わない」ということなんだろうな。
孤児院で育ってマジックでのし上がろうっていう野心の固まりだからね。
人間はいつもいつも正しい理屈に沿って判断して行動に移してるわけじゃないからね。
そのときはベストのアイデアだと思って行動しても、
後から振り返ってみれば、「もっとこうしときゃ良かった」なんていうのは人生にはザラにあるもんね。
さらに映画を観直すと、微妙に性格の違いもキチンと演技仕分けてるんだよね、実は。
ボーデン役のクリスチャン・ベイルは、ホントに芸達者だと思うよ。
サラを愛した「ボーデン」の方がマジックを開発したり、タネを見抜いたりするのは得意なんだけど自分の意見を言うのはちょっと苦手な性格で
もう片方(死刑になった方)は、より粗野な雰囲気で「前に、前に」の押し出しは強い感じ。より野心があるように表現されてる。
観れば観るほどそういうのをきちんと描き分けてるのがわかる。
観てる方が勝手に双子じゃないと思い込んでただけなんだよ。
映画の中のアンジャーと同じように、
マジックを見てる観客と同じように、
人の思い込みによる錯覚を利用してるんだよね、この監督さんは。
あと、
この映画では「何かに取り付かれて行動すると破滅を招く」ということが何度もセリフとして出てくる。
ボーデンは「マジック」に、「アンジャーの成功に対する嫉妬」に取り付かれ、
アンジャーは「亡き妻への愛」に、「ボーデンへの復讐心」に取り付かれ、
それぞれ破滅に向かって進んでいってしまう。
もっと違う視点で考えることができれば、この悲劇は起こらなかったのに・・・。
と、まあ、これも人生と同じように
結果の出た後からではどうとでも言える。
ただ言える事は、この映画に出てきた登場人物は、その時々の状況にベストを尽くして対処していたに違いない。
そう思えるほど、しっかりと人物描写ができてる。
それだけ深くキャラクター設定をしてそれぞれ役者がそれを踏まえて演じてるんだよね。
あと、印象に残ったセリフだと
「マジックのトリックは知らない方が良い、知るととたんにしらけてしまう。知ろうとしても絶対にあなたにはわからない、なぜならその場面をあなたは見てないからだ」
というのがある。これもなんだか意味深だ。
この映画を観て、
自分がどういうことを映画に求めてるかもようやくわかった気がする。
結果だけ観ると奇想天外さでは「20世紀少年」の漫画の結末とそんなに変わりはしないのに、
この映画はOKで、20世紀少年はダメだったのは、
それまでの登場人物の描き方の違いによるね。
この映画ではそれぞれの登場人物がなぜそういう行動に出たのかというのがよくわかるんだよね。
キチンとそこらへんが描かれてる。
「20世紀少年」はカツマタくんっていうのが出てくるのが最後の最後だし、何で主人公に執着し、世界中にこんなひどいことをしでかしたのかなんていうのがまったく描かれない。
つまり、「読者をどこまでだませるか」に主眼が置かれてるからダメなんだと思う。
ヒューマンドラマが根底にあって、そこからサスペンスやらヒーローやら奇想天外な設定やら出てきてほしいと思ってるんだね。
悪いことをしでかすその心情を描かないとダメなのよ。
息子が最近いろいろと邦画を選んでくるから一緒に観ることが多いんだけど
全部そこらへんが抜け落ちちゃってるんだよね。
善も悪もステレオタイプで描かれてて、登場人物にまったく深みがない。
薄っぺらくて、ペラペラな人間像なんだよね。だからまったく魅力を感じない。
だからどれを観てもつまんない。
まあ、洋画でもそういうのが大多数かな。
だからこそ、この監督さんはすごいなあと感じてるんだと思う。
とにかく、
この監督さんの他の作品もとにかく全部観るつもりだよ。