yabanjin-soulのTシャツ魂

ロック魂を手描きで表現するyabanjin-soulのたわごと・ひとりごと

人を信頼するリスク。

2016年03月22日 | たわごと、ひとりごと
人を信頼するということは、

信頼関係を築くうえでなくてはならないものではあるけれど

「だまされてしまう」というリスクも伴う。



もちろん、「だまされる」のは嫌だから

信頼する相手は選ぶのだけれど

それでもミスはしてしまう。

でも、

だからと言って

「絶対人のことを金輪際信頼なんてするものか!」と思うかというと

そうはならない。



やっぱり他の「信頼できる人」を探そうと思うんだよね。

この世の中から詐欺が無くならない原因の一つ。

「他人を信頼したい人」が必ず存在するというところ。

かくいうボクもその中の一人だったりするわけだけどね。(苦笑)

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裸婦画について。

2016年03月21日 | たわごと、ひとりごと
絵画には「人物画」、「風景画」、「静物画」、「抽象画」、「宗教画」・・・と挙げればいろいろあるけれど

この中で自分が一番描きたいのは「人物画」。

しかも、裸婦画がいい。




女性の身体にはなぜだかとても魅力を感じるんだよね。

男性の身体にはイマイチ興味がない。

ボク自身が男性だから、性的な興味も大きいのかもしれないが

女性の身体ならではの曲線に「美」を感じるんだよね。



実際、

彫刻なんかだと男性の裸体は表現されているんだけど、

こと絵画において「男性の裸画」はほとんど見かけない。

きっと画家のほとんどは男性の裸体に興味がないんだろうと思われる。

イエスキリストの磔のシーンを描いた宗教画くらいのもんじゃないかな、男性の裸体が描かれてるのって。

ホントにね、不思議なくらい自分の手で裸婦を表現したくなる。

ホントに不思議。

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花の写真。

2016年03月15日 | たわごと、ひとりごと


最近はよく花の写真を撮ってる。

FBにUPするために撮影してるんだけど

だんだん少しずつ上達してきてる気がする。



そろそろ春が近づいてきてるから

花がどんどん増えてるんだけど、

注目してるのは

梅、モモ、桜といった有名どころの花ではなく

足元に咲いている小さな雑草の花たち。




ほとんどの通行人が見向きもせずに通り過ぎてしまうような小さな花。

けなげに頑張って花を咲かすその姿を応援したいと思ってその姿を残そうとしてるんだよね。

まあ、大した写真ではないけど

ここにもUPしていこうかな。
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3.11

2016年03月11日 | たわごと、ひとりごと
5年前の今日はやはり金曜日だった。

仕事中だった。

ちょうど高台のグラウンドで運動しているときだった。

横浜でも揺れは立ってられないほどひどかった。

そこのグラウンドは広域避難場所にもなっていたのでそのまましばらくはそこに留まってた。

暗くなってくると寒さが身に沁みた。

東北地方での津波のことは帰宅した後知った。

停電していたのでニュースもあまり入ってこなかった。



実は、

この停電も計画的で、別に断線とかではなかったらしいということもあとでわかった。

原子力発電所が止まった状態でも十分電気は足りているということもあとでわかった。

原子力発電所が事故を起こすと手を付けられないモンスター化するんだということがよくわかった。

東京電力のTOPが全くの無責任体質だってこともこの東日本大震災であぶりだされた。

原子力ムラと呼ばれる利権集団が自分たちの都合よく原発を金儲けの手段にしてるということもよくわかった。

スーパーやコンビニから品物が消えてしまい、

東北地方に商品を依存しているということもよくわかった。

人々が自分のためだけに必要以上に買い占めに走ってしまうということもよくわかった。

人々が自ら率先して助け合い、無償で被災者のために頑張ることができるということもよくわかった。

スポーツや芸術や音楽といった生活必需品とかけ離れているものが、

実は人々が生きる上で切っても切り離せない存在だということも、よくわかった。

ほとぼりが冷めたら政府が知らん顔して原発再稼働を始めるということがよくわかった。



こういう非常事態には、

普段は気がつかなかった問題が鮮明にあぶりだされてくるんだということがよくわかった。




ボク自身の夫婦関係もいつのまにか壊れてしまっていたのがこの大震災であぶりだされてしまったのだった。
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植物は地球の支配者。

2016年03月10日 | たわごと、ひとりごと
だんだんと春が近づいているのは植物の様子を見ればわかる。

緑の色が鮮やかになり、

花もどんどん咲き始める。



子どもの頃は植物が「生きている」ということにあまり実感がわかなかった。

動くこともないし、

枝や茎を折っても痛がるそぶりも見せないし、

声を出すこともなければ

移動することもない・・・と思ってた。

でも、

中学の頃かな?

いや、高校だったかな?

何かの本で

「花は植物の生殖器。花を愛でるということはつまり花の生殖器を愛でているということだ」という内容の文章に出会って

確かにそうだなとやけに納得した。



そして植物の生殖行為に昆虫を含む動物を関与させている植物が

まさに生々しく「生きているんだ」ということが腹の底から認識できた。

そういう意識になってようやく「植物も生き物だ」ということが実感できたというわけ。

そうこうするうちに

品種改良なんてしている人間が植物をコントロールしているという意識は単なる錯覚で

実は植物の方が自分隊の子孫繁栄のために人間を含む動物をうまくコントロールしているんじゃないかという風に変わってきた。



そういう目であらためて植物たちを眺めると

その生態がまさにその通りなんじゃないかと思えるようになってきている。



「コントロールしているはずの側が、実はコントロールされていた」なんて

なんだかすごく面白いよね。
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