広島の土砂災害、激甚災害だがまだ名前はない。
我が管理地堂々川も広島地域と同じ花崗岩質の地、
同じ花崗岩質の地からこの度被災された皆様には心からお見舞い・お悔やみ申し上げます。
歴史をひも解けば堂々川も江戸時代1673(延宝元)年63名の犠牲者が出ている。

備後国の国分寺北西に立つ石碑
この災害、時は旧暦5月14日長梅雨と台風の襲来で1間先が見えないほどの豪雨が降り、
上流のため池が決壊し、
狭いところで1間強(約2m)の谷川を2800m程、周囲の土や石や木々を巻き込んだ土石流が下り
戦国時代毛利元就が再興を手伝ったといわれる国分寺を跡形残らず飲み込んだという。
いつの時代でも同じで自然災害だけで大きな人災になったのではないと思う。
江戸時代、戦争が無くなり人々は田畑の開墾を進めたり、産業振興、住み家を建設した。
時の幕府も1666年「諸国山川の掟」を発令し「かくひ掘り」を禁じた。
松の根を掘り出す等をやめさせ山が肌を見せるのを危惧し植林を奨励した。
福山藩においては松永に塩田を造り、財政を賄ったがこの塩田は海水を蒸発させるため
木や炭を燃料とし大量に使用したため近隣の山々は土質が現れていたと思える。
歴史物語は2011年堂々川ホタル同好会が発行の「堂々川今昔」を見てもらえればよくわかる。
国の砂防関係図書館、広島県の図書館、福山市の図書館にはあるはずだ。
残念なことだが我が手元には3冊しか残っていない。
今回の広島の災害も堂々川の歴史と同じように江戸時代の国分寺と同じような地に
家を沢山建てたことも災害を大きくした。
また山の木が松枯れ、ヒノキなどの植林で山の地力が弱くなっていることも関係していると想像できる。
時間100mm以上の雨が降ればどこでも土砂災害は起こるだろうが、
歴史をひも解いた原因調査もして欲しい。
長々と、思いを老いが書いたが最近の堂々川を見てもらう。

9月4日の大雨?神辺雨量計14mm30分

福山市中央部はかなりの量のはず
場所により降る雨の量が異なる
今回は堂々川の土質等を紹介する。
上流域の道路工事が山の中を見せてくれた。

花崗岩の風化が見られる

水を含むと土石流が起こる可能性が見える
すでに対策をされているはずの山肌、少しの雨でも崩れそう

岩肌が崩れまいと我慢している

限界なんだ強い雨よ降るな
すでに隣の岩肌は石を投げ捨てた

石が溝を塞ぐ
塞がれた溝は水を貯めて限界まで我慢する。
我慢できなくなると下流へ、下流では同じ環境の仲間がおり
流れてきた土石流と一緒に力を倍増させて下流へ流れる。
これが土石流の怖いところ!
次の機会では堂々川の砂留(砂防)の現状をレポートする。
堂々川の砂留はその後341年、下流の御野、湯野地域の安全を見守り防いできた。
ただ、誰かが守らないといけない。放置すれば次回?のようなことも起こる。
そして、現在堂々川ではヒガンバナが地域の安全祈願して花を咲かせ始めた。

白に続いて赤花も咲きだした
5番砂留が作る川原の左岸山寄せに白花系アイボリーを含めて200本強
すべて今年植えた球根が花を付けた。
おなじ5番砂留の下流にも花が咲いている。

ここでは3色の揃いぶみ
ここの色、赤色のようで赤でなく、アイボリーいや白のようで見た目はピンク、奥は黄色で
5番砂留を際立たせる。そして下流を守る砂留に感謝をささげている。
本日紹介最後は日本一の石積み堰堤砂防砂留6番

濃い黄色が隠れながら花色をささげる
堂々川のヒガンバナ5日現在350本程度が咲いた。
来訪された皆様花色がすでに8色咲いていますが探してみてください。
ただし夏水仙はすでに終わり花茎だけが残っている。
ちなみにアイボリー、薄黄色、濃い黄色、赤、ピンク、薄オレンジ、オレンジぽい狐のボタン
わかるかな。わからなかったら近くにいるかもわからない筆者に聞いてみて!
我が管理地堂々川も広島地域と同じ花崗岩質の地、
同じ花崗岩質の地からこの度被災された皆様には心からお見舞い・お悔やみ申し上げます。
歴史をひも解けば堂々川も江戸時代1673(延宝元)年63名の犠牲者が出ている。

備後国の国分寺北西に立つ石碑
この災害、時は旧暦5月14日長梅雨と台風の襲来で1間先が見えないほどの豪雨が降り、
上流のため池が決壊し、
狭いところで1間強(約2m)の谷川を2800m程、周囲の土や石や木々を巻き込んだ土石流が下り
戦国時代毛利元就が再興を手伝ったといわれる国分寺を跡形残らず飲み込んだという。
いつの時代でも同じで自然災害だけで大きな人災になったのではないと思う。
江戸時代、戦争が無くなり人々は田畑の開墾を進めたり、産業振興、住み家を建設した。
時の幕府も1666年「諸国山川の掟」を発令し「かくひ掘り」を禁じた。
松の根を掘り出す等をやめさせ山が肌を見せるのを危惧し植林を奨励した。
福山藩においては松永に塩田を造り、財政を賄ったがこの塩田は海水を蒸発させるため
木や炭を燃料とし大量に使用したため近隣の山々は土質が現れていたと思える。
歴史物語は2011年堂々川ホタル同好会が発行の「堂々川今昔」を見てもらえればよくわかる。
国の砂防関係図書館、広島県の図書館、福山市の図書館にはあるはずだ。
残念なことだが我が手元には3冊しか残っていない。
今回の広島の災害も堂々川の歴史と同じように江戸時代の国分寺と同じような地に
家を沢山建てたことも災害を大きくした。
また山の木が松枯れ、ヒノキなどの植林で山の地力が弱くなっていることも関係していると想像できる。
時間100mm以上の雨が降ればどこでも土砂災害は起こるだろうが、
歴史をひも解いた原因調査もして欲しい。
長々と、思いを老いが書いたが最近の堂々川を見てもらう。

9月4日の大雨?神辺雨量計14mm30分

福山市中央部はかなりの量のはず
場所により降る雨の量が異なる
今回は堂々川の土質等を紹介する。
上流域の道路工事が山の中を見せてくれた。

花崗岩の風化が見られる

水を含むと土石流が起こる可能性が見える
すでに対策をされているはずの山肌、少しの雨でも崩れそう

岩肌が崩れまいと我慢している

限界なんだ強い雨よ降るな
すでに隣の岩肌は石を投げ捨てた

石が溝を塞ぐ
塞がれた溝は水を貯めて限界まで我慢する。
我慢できなくなると下流へ、下流では同じ環境の仲間がおり
流れてきた土石流と一緒に力を倍増させて下流へ流れる。
これが土石流の怖いところ!
次の機会では堂々川の砂留(砂防)の現状をレポートする。
堂々川の砂留はその後341年、下流の御野、湯野地域の安全を見守り防いできた。
ただ、誰かが守らないといけない。放置すれば次回?のようなことも起こる。
そして、現在堂々川ではヒガンバナが地域の安全祈願して花を咲かせ始めた。

白に続いて赤花も咲きだした
5番砂留が作る川原の左岸山寄せに白花系アイボリーを含めて200本強
すべて今年植えた球根が花を付けた。
おなじ5番砂留の下流にも花が咲いている。

ここでは3色の揃いぶみ
ここの色、赤色のようで赤でなく、アイボリーいや白のようで見た目はピンク、奥は黄色で
5番砂留を際立たせる。そして下流を守る砂留に感謝をささげている。
本日紹介最後は日本一の石積み堰堤砂防砂留6番

濃い黄色が隠れながら花色をささげる
堂々川のヒガンバナ5日現在350本程度が咲いた。
来訪された皆様花色がすでに8色咲いていますが探してみてください。
ただし夏水仙はすでに終わり花茎だけが残っている。
ちなみにアイボリー、薄黄色、濃い黄色、赤、ピンク、薄オレンジ、オレンジぽい狐のボタン
わかるかな。わからなかったら近くにいるかもわからない筆者に聞いてみて!