ショット

見えないものを見る 感じたことを写真と文章でつづる暮らしと自然のフォト日記

戦争の爪後残る牛尾山

2012-09-29 16:54:32 | 記録


大井川の両岸に山がある周囲が600メートルの川幅がここだけは半分しかない
420年前はこちらの牛尾山と向うの相賀山はつながっていたそうだ

それを山内一豊達が260メートル切り開き川の流れを変えて土地を作った
そこをさらに150メートル広げて治水能力を高める工事がこれから始まる 

その為の堤防は完成していて 以前あった人家はすでに移動した
今はまだ残る山の新しい堤防がぶつかるあたり そこを登ると

少し平らな場所がある そこにコンクリートの基礎がある
以前は建物もあったようだが不気味な出来事があり取り壊した

この建物は戦争時に敵の飛行機を撃墜する殺人光線を発射する
場所として作られ機械も設置されたが使用することなく終戦を迎えた

近くに住む77歳のSぎ山義男さんは子どもの頃
兵隊が列をつくり作業に行くのを見た

これがあれば爆撃の対象にもなりかねない
完成しなくてよかったとも話した

また420年前に山を削った時にでた丹石は
焼き物の釉薬として使用され後の志戸呂焼となった

など後世に伝えたい話も 川の流れと共に全部流されて消えていく
今書きとめておかなくてはならないことなのだ 

Sさんの話はまだ続いた 作業の兵隊は列をくみ歩くが
曹長は馬にまたがり進んだ列が乱れると馬の上から足で蹴った

蹴られた兵隊が田植えをしたばかりの田んぼに落ちた
それを見た百姓が怒って馬の曹長に喰ってかかった

S少年は子ども心に殺されはしないかと思った 曹長は民間人には
手を出さすことはなく 振り向きもしないで前へ進んでいった

その後進駐軍も来たが隠れて建物を見に行った 磁石などを拾った
進駐軍に見つかると耳の穴から棒を通してつる下げられる

そう脅かされていたので一目散で逃げた
一度見つかったことがあるがその時は お菓子をくれた

ランキング97 カウンター341

下記は静岡新聞より記載 平成24年9月

島田市牛尾の大井川で24日、河川敷に張り出した牛尾山を削って河道を広げ、治水能力を向上させる国土交通省の「平成の大改修」が始まった。大井川の流れの形を大きく変える大規模治水工事は1590年(天正18年)の「天正の瀬替え」以来、約420年ぶり。同日、現地で着工式典が開かれ、関係者が歴史的な節目を祝った。
 牛尾山は河口から約19キロ付近の大井川右岸にあり、標高約120メートル。周囲の川幅が約600メートルなのに対し、山体の半分が河川敷に張り出した牛尾山付近の川幅は約300メートルしかない狭窄(きょうさく)部になっている。
 平成の大改修では、山体の一部を約22万5千立方メートル(25メートルプール約460杯分)削り、川幅を約450メートルに広げる。本年度から2019年度ごろまで7~8年間を掛けた大改修工事となり、総事業費は30億円規模に上る。「牛尾山の岩盤は硬く難工事が予想される。発破も検討している」(国交省)という。
 本年度は約5億円の事業費で先端部約1万6千立方メートルを削る。発生土砂は対岸の島田市神座地区の護岸改修工事などに使用する。
 桜井勝郎島田市長が「流域住民の長年の悲願。治水に対する安全度が格段に改善すると確信している」と期待を述べた。

 天正の瀬替え 西側に大きく蛇行していた大井川の流路を真っすぐにするため、1590年(天正18年)に牛尾山と相賀山の鞍(あん)部を260メートルにわたって切り開いた大井川の歴史上最初の大規模治水工事。水害対策などのため、それぞれ駿河と遠江を治めていた中村一氏と山内一豊が協力して実施した。陸続きだった牛尾山と相賀山は対岸に分かれ、旧河川跡には金谷の村々が発展した。