答えなしで、整理しきれない思いをつらつら書いてみます。
PTAのあり方、いろいろと考えますと、「PTAの理念と法体系を理解したうえで、目的に賛同し、PTAに自由意思を持って入会する」ことが、一番理想と、わたしは考えます。そして、無理ない活動を模索していってほしい。その中に、日本を変える力があると思うのです。
事情のある方は、PTAに加入しないことで、ぜひ自分を守って欲しい。あるいは、百歩引いて、加入して参加しなくても、役を押し付けられない・責められないPTAであってほしい。
「お便りを読むだけでも、立派にPTAに参加している」と、私は考えております。
でも、「ただ面倒くさいからPTAには参加しません」と、PTA執行部が認識する人はどうなのでしょう?
(120924訂正:言う人、から、「PTA執行部が認識する人」へ)
なかなか難しい問題です。
そう言う方は、もしかしたら、裏に深い事情があって、それを言わないだけかもしれません。
だけれど、給食費を払わないでベンツに乗っている人が話題になったように、ただ利己的な考えの人(例えば社会に出て、脱法行為を知りながら詐欺的商法でぼろ儲けするような人:120924補足)が増殖するのはどうなの?と、考えてしまうのです。
そういう人には、誰が、どうアプローチしていいの?と考えてしまいます。
問題を抱えているご家庭は、閉じてしまいがちです。だから、顔見知りを一人でもおおく、日常であいさつできる近所の人を一人でもおおく見つけてほしい。その有力なツールの一つがPTAである、という見方が、臨床心理学的には成り立ちます。
「助けて!」と誰かに言えるような関係づくりは重要です。日常の愚痴吐きだってかまわないのです。
このことは、万一の災害時にも、役立ちます。知り合いでない人を、助ける気には、なかなかなれませんもの。
エビデンスとしては、3.11の時、「地域と学校の関係がよかったところほど、避難所の雰囲気が良かった」 と、現場を回られた、とある方がおっしゃっていました。
(120924訂正:PTAが盛んだった学校ほど、から、「地域と学校の関係がよかったところほど」へ)
おそらくそれは、いま行政がPTAがにもっとも求めている事柄のひとつ、ではないでしょうか。
保護者をシステマティックに動かせる仕組み、がPTAの機能の一つです。
これを過度に当てにしている行政も、また、存在します。
単位PTA、もしくはPTA連合に属している保護者を、行政が「都合のいい労働力」としてあてこみ、説明を十分せずに当て職として、保護者をただで使うケースをいくつか耳にしました。
これは、とっても失礼なこと。
「子どものための」 PTAに所属することで、我が子をほったらかしにさせられるのですから。ここは、断固抗議してゆきましょう!
また、法的グレーゾーンとして、PTA会費、もしくは何らかの事業収益を、学校に寄付する仕組みはどうなのでしょうか?
とっても深い問題なので、これはいつか考察してみたいと思います。
もっとも、いまの時代、社会に参加するツールは、なにもPTAに限りません。NPO活動でも、生涯学習でも、地元のお祭りでも、誰かとつながることは機会を見つけていくらでも可能です。