中学生の娘と勉強について話していました。ディスカッションしていた感じです。
その過程ででてきた、学習の構造をメモしておきます。
学習する、つまり勉強する目的は、社会問題はじめ、なんらかの課題解決を行うことにあると私は考えています。これは、先日の講演でリヒテルズ直子さんもおっしゃっていたことです。
残念ながら、人の評価はどんなものをアウトプットするか、で行われるのが現実です。教育に携わる人は、学ぶ過程や、行動の途中経過をきちんと評価してくれるのですが、世間一般ではそうもいきません。
大さっぱにみると、学校の勉強は、授業をうけて、テストの結果で評価されるといえます。
つまり、インプット ⇒ アウトプット の関係です。
この関係を細かく見ていきます。
ものを知る(授業を受ける、インプット)
↓
理解する
↓
覚える
↓
関連させる
↓
知識を使う(テスト、アウトプット)
この繰り返しです。
知識を使っていくことで、知識は身について行くと考えています。
脳科学では、知識をインプットして、忘れたころ(1週間~2週間くらい)に復習すると、記憶が定着すると言われています。
私がいう「知識が身につく」とは、テスト結果を上げることだけではなく、もっと有機的なイメージです。知識同士が有機的につながって、「知識を知恵に変えていく(世田谷教育長・堀氏談)」おおもとの力になっていくことを意味しています。
私も小学生のころ読みました、偉人伝。
児童館の図書室にいっぱい揃っていたなぁ。
ヘレンケラーのお話、おぼろげながら思い出しました。
舞台の方はさっぱり存じ上げないのですが…
>「Water!!!」
ヘレンケラーは、この、ものに名前があると知った瞬間から
すごいいきおいで学び始め、お行儀も改善されていった
と記憶しております。
>私達も、日々、「Water!!!」と叫びたくなる程の
>何かを知る喜びと出会いたいですね♪笑。
なんか、ワクワクしますね(≧∇≦)
知識と知識(記憶と記憶)が、むすびついていくことを
「アンカリング」というそうです。
それもまた、驚きであり喜びであると思います。
ヘレンケラーのネタで、とっておきのをひとつ。
鶴見俊輔という人が、アメリカの図書館でヘレンと会ったそうです。
そこでヘレンから教わった言葉です。
"I've learned many things.
But later, I had to unlearn."
「私は沢山のことを学んだが、のちになって学びほぐす
ことになった。」
沢山学んでも、いっぺんは忘れちゃうのがいいみたいです。
必要な時に、必要な情報が頭から取り出せればよいみたい。
小学校の頃に読んだ偉人伝…(偉人伝は、余り好きではありませんでした。笑。お説教ぽくって。)
ヘレンケラーが、サリバン先生から、ポンプで汲み出した
お水を触りながら、必死で伝えられた単語。
「Water!!!」が、忘れられないんです。
どうやって、耳も目も不自由な人に、言葉を教えられたのか?
舞台でも、大竹しのぶさん他有名な女優さんが、サリバン先生を
演じた事がありますよね?舞台を観てはいないのですが。
物には、名前があると知る瞬間の、ヘレンケラーの驚きは
どんなだっただろうと思うと、凄いなぁと思います。
手に井戸水をかけられながら、Waterと綴りを手のひらに
書かれても、私だったら、「冷たいなぁ!何すんのよ!」と
思うくらいが関の山。汗。
私達も、日々、「Water!!!」と叫びたくなる程の
何かを知る喜びと出会いたいですね♪笑。
こんばんは~♪
そうですね!知る・分かるって喜びです!!(*^。^*)
ついでにいえば、
人と話し合っていて答えが見つかっていくのも
喜びです、私にとっては。
知るって、疑問点が解消できますよね。
疑問点が解消できるときもちいいです。
そうすると、また新たな疑問がわいてきて切りがありません(笑)
うちの子は、うるさいくらい物を聞いてきたことって
あったかしら…
単純に読む楽しみ、おっしゃるとおり、それもまたありますよね。
小説やエッセイとかはその典型かと思います(^^)
物を知るというより、本の世界を楽しむというような読み方。
そういえば、このところバタバタしていて
買いためた小説を読んでいません(笑)
>ん?
>単なる読書は、学習とは呼ばないか?笑。
気になって、「学習」を辞書で引いてみました。
***
〔学校などで〕他の生徒と一緒に繰り返しながら
(段階的に)基礎的知識を学ぶこと。
***
Oh!
大人の学びは、学習とは呼ばないようです。
では「生涯学習」とはいったいなんぞや?
という疑問が、新たに湧いてきますが…(爆)
あ、「学習」の意味がもともと学校等を想定していたから
「生涯学習」という言葉の響きが新しく感じるのかも。
うふふふ。現役学生の母親を卒業した今だからこそ(笑)
カッコつけて言っちゃいますよ。爆。
ただ、知る為だけ。知る喜びの為だけに知ると言う事も
あるなぁと思います。分かるって喜びじゃありませんか?
小学校へ上がる前の、何歳頃の子供の事か?
忘れちゃいましたが。
とにかく、何を見ても聞いても、「何で?」「どうして?」
と、煩く質問攻めにされて、最初は丁寧に
「シメシメ♪ 好奇心の芽が出てきたぞ~♪これをチャンスに
教えてあげよう。」などと喜んで、説明していたのに…。
際限もなく繰り返される質問攻めに、
「うるさ~い。ちょっと黙ってて。」
「どうしても、なの!」
なんて返事をしちゃって、後で自己嫌悪…なんてありました。笑。
その頃の子供の知りたがり屋のパワーは、凄いなぁと
思います。乾いた砂に吸い込まれるお水のように
あっという間に、新しい事を覚えて吸収しちゃうんですもの。
大人になってからの学習の目的は、猫紫紺さんの仰しゃることが
ほとんどだと思います。
笑。何で、全てと言わないのか?爆。
大人になってからも、例えば読書でも、教養の為でなく
単純に読む楽しみの為の読書もありますし…
ん?
単なる読書は、学習とは呼ばないか?笑。
…ちょっと、臍曲がりに答えてみましたよ。笑。