食べ物日記   元気 一番

健康へ気配りしながら主に食事を!

面白いが、がっかりした「おち」

2019-12-06 22:52:35 | 今日の出来事

   姫路城

 人はそれぞれ違う。生まれも違えば、育ちも違う。だから事に当たって対応も違えば、発する言葉も違う。当然の事だし、いまさら取り立てる事ではない。そう納得している積りだった。

 生まれが違うと、漫画ドラえもんのスネ夫のように上品とはなる。育ちが違うと、兄弟二人でおやつを競うようにもなる。ご厚意で材料費のみの価格で、Aさんは、新築物入に棚を作って下さった。「ありがたいことだね。材料購入から組み立て仕上げまで」と、私がBさんにメッセージを送った。

 次の日に出会い、「そうだね。ありがたいね。が欲しかったな!」と言うと。「誰に言うの?あなたに?」と。

 「確かに返事は私に伝わるだけ」。考えてみると、私にも、直には相手には伝わらないとわかる。ふと、面白い反論だなと---。しかしがっかりした返事、でもあった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

気持ちの高ぶりを文に

2019-02-17 22:55:46 | 今日の出来事

 気持ちの高ぶり

 日記のように、何気ない出来事を記述できればと願い、「このブログ」を続けている。出来事には毎日出会っているはずである。時間を過ごしており確かに生活しているのだから。

 ところが、その出会う出来事を毎日のように記述したいと願っても、文にするにはエネルギーが十分ではないようである。書けない---。何故だろう。

 この疑問を持ちながら長く過ごしてきた。「いつも同じ曜日に文を書きたい」と机に座っても、ペンは進まない。今日、中国新聞投稿欄「こだま」に、その答えを見つけることができた。それをメモしておきたい。広島市の77歳主婦の投稿文。

 「気持ちの高ぶりを文にした」と。私にとって、この言葉はやっと出会った宝物だった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

10月のトピックス写真

2018-11-02 23:23:14 | 今日の出来事

     

10日花博 2050年の森。

13日運動会 3才孫昨年と違い、本番に強くなった。

26日調理実習 カロリーを考えながらの料理

30日花博 綺麗な花たち。元気な入場者。季節が移り、植え替えも人と時間が必要だ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

お皿

2018-10-05 22:06:59 | 今日の出来事

   ハウステンボス内

 ハウステンボス内に沢山のお皿を並べたミュージアムがある。孫の休みに合わせての旅行だが、それが伊万里磁器と聞いてそこを訪れる。

 「伊万里焼」が人気の時期は古伊万里と伊万里との2回あるという。初めが元禄(1700年)頃から約50年、次が明治の初め頃から約50年だ。それぞれ理由があるようだが、明治期の方はイギリスやフランスの万博に出品されたことだという。

 私の家にも30㎝程度の伊万里?があった。音色の悪いものと良いもの。両親が他界後幾年経過の頃か不明だが、私が40才前後だろう。「蔵に売れる物はありませんか」と訪問者があった。整理が必要と思っていた頃と重なり、数日後に見せて売却した。音の悪い物は不明だが、良い物は2万円だったと記憶している。

 この旅行で「あれは伊万里だった」と思えたのだが、30年前にポンと値を決め支払ってくれた買い手。「何でも鑑定団」の「中島さん」ではなかった。

 当時を思い出させてくれたハウステンボス旅行。老夫婦と娘夫婦一家の計6人。しっかり触れ合えて楽しく、そして一緒に動けない年齢差をしっかり味わえるものだった。もう一つ、「逃がした伊万里は大きい--?」とも。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

石焼ビビンバ

2018-09-30 17:03:05 | 今日の出来事

    関門大橋

 佐賀アウトレットが鳥栖梅坂公園西、県道17号線沿いにある。「そこには私たちの欲しいものがだいたいあり、よく利用する」と子供から。その子供との旅行の帰りに立ち寄った。

 そこは確かに広く、南北に長く3、東西に短く1の割合。店数は130程度あるだろう。丁度中央付近には休憩や食事ができるフードコートもある。

 さて、私はゴルフ道具店を回り、時間は掛ったが、ゴルフシューズを購入できた。間もなくお昼の時間となり、子供たちに連絡をすると「先に食べてて」と言う。それでは、とフードコートに行き、ゆっくりお店を見まわす。その後、孫と二人連れだったので、「Uちゃん、何が食べたい」と聞くと「石焼ビビンバ」という。

 ビビンバとはどんな料理だったかと、店前で掲示された写真を見に近寄る。韓国料理だ。美味しかったことを思い出した。よしと決め、どの味にしようかと選び、1つはコチジャンを少なめにしてもらった。そんなことをしていると、Uちゃんは席をおよそ決めて、そこにお水を2つ持って来てくれた。小学校2年生だが、しっかりしている。

 料理が出来て席に運び、辛くないのはどっちだったか。「こっちじゃん」だったが、美味しかった。後で聞くと、Uちゃんはここに来た時には、多くこの料理を食べると言う。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

杖つく人

2018-09-24 15:22:33 | 今日の出来事

  杖をつくと

 家内は左膝関節の置換手術をした。「痛い」と言いながらの生活で、右膝関節や左股関節までに痛さが広がり、手術の決心をする。

 今年の長い暑い夏に、手術とリハビリを受けて、9月初旬に退院した。術後しっかりリハビリして、普通に生活ができる程度になって退院を、と約1.5か月の入院生活。なかなか腫れがひかず焦り気味だったが、周りの同じ病名の患者と会話し、比較しながら、明るい声で私と話し始めたのが、退院前10日くらいの頃。腫れがなくなってはいないが、杖なしでもこんなに歩けると動いて見せた。

 退院後2週間の今。手術の膝周りの筋肉が固く思い通りにならない様子。杖が欠かせないようだ。先日、「お墓参りに行ってくるよ」という。「わかった」と送り出したのだが、後で想像してみると、お花、線香、掃除道具、共同墓地にあるとはいえ、重い水。杖つきながらの運搬には、よほどの工夫がなければ幾度も往復しての作業となる。さぞ困難だったろう、「一緒に行くよ」と返事しなかったことを後悔した。

 両手は自由に動くが、杖つく時は片手となる。手は器用ではあるが、一つではなんと不器用。ほとんど何もできない。できないことを実感しているが、杖つく人に対しての私の思いやりの無さ、を実感したことでもあった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小林幸子ショー

2018-09-15 11:02:41 | 今日の出来事

 小林幸子 65才と

 「義母と一緒に」と貰ったチケット。米寿祝いの一つ。18時開演の小林幸子ショー。

 義母の縁者5人で、少し遠い会場だが、出かける。大人5人では少し窮屈な車だが、「久しぶりのドライブだね」などと話しながら、宮島の紅い鳥居を右手に走る。

 開場時間にも十分な、17時前には駐車場に入った。ショーは2時間と案内板にでている。「少しお腹に入れておかないと心配だね」と会場にあるコンビニで、小さなパンとジュースとを買い事前に食べた。良く知っている小林幸子だが、ショーが面白くなければ眠気がきそうな量の食事だ。

 開演直前、主役の声で「開演に先立ち、お願いします。写真はご遠慮下さい。私が客席に入ることが有りますが、触るのはちょっとだけにして下さい。---」などと雰囲気を和らげた。幕が開くと、ジャンボな衣装。頂点にいる本人が歌を歌って始まった。生い立ちを紹介しながら、夜のキャバレーのステージ出演で、新潟から東京移住の家族、の生活を支えていた苦労話もあった。「うそつき鴎」1964年以来のヒット曲「思いで酒」1979年で生活も安定。

 約1時間の2部構成であったが、その後に沢山なヒット曲を披露。客席に話しかけて手拍子、また客席に舞台から降りる際には「エスコートを」と近くの人に声をかけ、上手に接触もできていた。最終の曲の前には、字幕があり内容はアンコールに応えての曲と。

 楽器奏者とダンサーそして本人合計11人だと数えたのだが、まるで匠小林幸子中心の匠集団。在りし日のサーカス集団に似ている。着替えの時間はダンサーが客を繋いだ。トークも、そして真顔間に挟むニコも、これがあればこその小林幸子ショーと、私も明るくも楽しくもなれた。

 お腹の加減は眠りに丁度良かったが、その気にさせないショーだった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

形の良い島「柱島」-2

2018-09-01 17:46:54 | 今日の出来事

   赤レンガ造り建物

  第1回イベント

 「柱島」に着いた日は、天気は良く最高気温も32℃程度だった。初めの目的地は武人(奇兵隊第3代総督)生誕場所、首にタオルをかけて細い道を歩く。近くで、草取りのおばあさんに尋ねる。旧郵便局の側にここだと案内板があった。

 次は約10年前より休校となっている小中学校。遠目で分かるので近そうな道で行く。小高い場所で、避難場所となっているようだ。さあ富士山のような、形の良い山への挑戦だ。約280⒨、山頂の脇に赤レンガ造りの旧海軍見張り所跡がある。登り始めると100mごとに標識があり有難い。600m過ぎからは後幾100mと残りの道程に替わる。これも有難い。赤レンガの建物を見つけて下山。見渡せる状態にはなかった。

 その後港まで戻るに、武人の墓、柱島の領主(毛利家家臣)桑原杰之助の墓、加茂神社(秋祭りでは毎年神輿を担ぐ)、そして戦艦陸奥(昭和18年この島と大島との間で謎の爆発事故沈没)英霊之墓に立ち寄る。9時30分頃歩き始めて13時頃に港に戻る。

 クッキーとジュースとで昼食にし、14時頃から松田港方向に歩き、石風呂跡、不老様を訪ねて、もう一度小中学校に立ち寄って15時30分頃に出発地である柱島港に。島を歩いて気付いたことは、空き家が多いこと、出会う人はお年寄りばかり、雨が少ない日が続いているが、畑は多くが、石灰を蒔いた状態に耕されている。出会った人は皆親切であった。

 不老様付近で88才と言う耳の遠い男性と話しする。子供は中に女性、上下に男性の3人いるが、島外で皆家を持ち暮らしている。この家に戻って来る子はいないと。指さしながら、あの家もこの家も空き家。戻っては来ないだろうと。

 港で、釣りに来た人とキップ売りの島の人、そして8月からこの島で働いているという岩国支所の人と世間話。「港の南の方で、子供を1人見かけた。今島には子供は幾人くらいの数ですか」。「島には子供はいない。夏休みに来ている」と。掲示されている写真を見て、「昨年、1昨年には夏に祭りが開かれている。今年は?」「8月13日に第3回が開かれた」写真には若者も写り、元気な島の様子が判る。小中学校の運動場が利用されているようだ。「島の若い漁師さんは幾人程度おられますか」「いない。若い人はいない」と。

 釣りの話も交えながらの待合所での立ち話だが、家や地域を繋ぐ若者が減少している状況は、私の暮らす地域以上に切実な様子だ。今年第3回目という、島を挙げての夏のイベントが、参加の子供たちに良い印象を残すことを期待したいものだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

形の良い島「柱島」

2018-08-29 23:43:35 | 今日の出来事

  

  

 JR山陽線の電車から見ると形の良い島が目につく。周防大島の北にある。「柱島」だ。そこは騎兵隊第3代目の総督赤根武人が生まれた場所。東沢瀉の流刑地。そして戦艦武蔵がそばの海で爆発沈没した。

 一度訪れたいとその姿を見るたび思っていたが、今日実現した。岩国港から約1時間。港で観光案内図を眺めて改めて訪ねる場所を決める。島の支所に行き、その場所を再確認する。同時にメモ用のペンも借りる。現在は小中学校も休校となっており、島には子供がおらず、お店もほとんど機能していない状況だ。

 先ず、形の良い島と訪問場所を記した地図の写真を添付する。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ゲリラ雷雨

2018-08-15 17:25:36 | 今日の出来事

   ゲリラ雷雨ローソン

 幼児期の子供の水遊び場、周りでは親が見守る。都会の広い公園。食事をする場所も大人がゆっくりできるベンチもある。定期的に出て来る噴水に2~30人の子供は声をあげはしゃいでいる。

 我々は、木陰で「暑い」と言いながらシートをずらし日差しを避ける。遊ぶ子供たちを見守り、景色や空を見たりしている。遠い空に黒雲が見えてくる。やがて頭にポツリと雨滴を感じる。「お、雨」「こりゃあ来るぞ」声をかける。話し掛けられた人の反応は鈍い。すぐに周りの人も退避を始めた。子供たちの着替えが先だから、声の割に動きは鈍い。

 雨は強くなってきた。皆着替えも中途に、シートを抱えてビルの雨宿り場所に移動。我々も同じだ。そして雨の、呼吸の間に4人連れの我々は帰り始めた。3人は、雨が気になり自転車に乗り帰って行く。私は急ぎながら歩く。少しすると、歩くことが困難な状況となった。雨宿りして雲が通り過ぎるのを待とうと考えた。20メートル程度先にローソン店があるが、そこにも行けそうになくなった。ローソンのローラー付き看板が風に負け動き、横断歩道上まで移動して行く。2メートル程度奥まった雨よけ場所も膝下は効果が薄く、時おり顔にも雨滴がかかる。ゲリラ雷雨だ。

 居場所に困惑していると、先に帰った者が車で迎えに来てくれた。「ホット」したが、車に移る数秒間にビショ濡れとなった。30分前の穏やかさでは想像できない。写真はローソンの看板。

 人生も同じだが、どんな遭遇があるか分からない。そんな思いを持って過ごすことが大切だとも感じられた。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする