信州生坂村「山紫水明 食と文化癒しの郷!」

山清路、大城・京ヶ倉等の自然。赤地蔵、百体観音等の伝統。おやき、おにかけ等の食文化を持つ生坂村!

昭津区 農業懇談会

2018年02月08日 | 生坂村の懇談会
 8日(木)午後7時からは、昭津木材ふれあい体験館で昭津区の農業懇談会を開催しました。まず私から挨拶をさせていただいた後、説明や懇談をされる農業改良普及センター、農業委員会長、担当農業委員、JA松本ハイランドの理事、農業公社理事長・事務局、振興課長・係長・担当職員が自己紹介をし、地区担当職員が記録を取るために同席して行われました。


 昭津区の今後の地域農業のあり方は、「当区は、高齢化が進んでおり、農地も急傾斜地に小区画の田畑が点在している地区でして、現在、中山間地域等直接支払事業で、銀杏及び森林公園の周辺に梅の栽培を行っていますが、今後は個人ごと現状を維持しながら農地保全を行う。また、遊休農地抑制を進めるとともに、地域の担い手育成をも推進していく。」となっています。


 主なご意見などは、収入保険制度は、青色申告をしている人が対象で、村内は認定農業者と他に数人であること、組合員については、農業を営んでいる方ということで、自家用栽培をしている人も組合として取り扱わせていただいていること、ノーサイは長野県で統一されたが、地区ごとに担当を置く様に考えていること、農業公社の職員増などによる受委託の充実、荒廃農地対策、新たな担い手の育成など早めに対処していただきたいこと、生坂村での松本農業改良普及センターの活動は草尾、大日向の新規就農者の指導等ですが、高齢者の農作業の指導もお願いしたいこと、村行政、農業関係の皆さんから、広い観点で説明していただき有り難いが、昭津区は19戸でアンケートの回答が8戸ということで、昭津区の地域の課題は深刻であり、家庭菜園程度が精一杯で、実態は厳しい状況にあり、米作りを止めた方もいて、田畑の草を生えない様にすることなど、当区の現状を把握して更にもう一歩踏み込んだ意向調査と現状の対応をお願いしたいこと、道の駅は後発であり、資源をどう集めるか、村内外の品揃えをどうするか、厳しい立地でどう成功させるか、多くの村民の皆さんにご利用していただくために努力をしていただきなど忌憚のないご意見、ご提言をいただきました。

 当村でも高齢化が顕著で農業条件が不利な地区でして、課題解決や方向付けが難しいところですが、更に検討協議をしながら、区民の皆さんと一緒に農地保全に努めてまいりたいと考えます。
 大変寒くお仕事等でお疲れのところ、ご出席くださりご意見、ご提言をいただきありがとうございました。

長野県道路整備期成同盟会「道路講演会」

2018年02月08日 | 私の活動報告


 8日(木)午後1時から、長野市のホテル国際21で、毎年度の「道路講演会」が開催されました。

▽ 私が開会のことばを述べさせていただき、主催者あいさつとして、長野県道路整備期成同盟会長の長野県議会議長 垣内会長さんから長野県土は広く道路の役割は重要であるが、まだ道路整備率が低く、昨年11月にも同盟会で要望活動を行ったが、なかなか要望事項の進捗が見られないことなどから、さらに同盟会が力を合わせて色々な活動をして、道路整備を進めてまいりたいなどと挨拶されました。




▽ 第1部の基調講演は、国土交通省関東地方整備局道路部 道路企画官 鈴木通仁氏から「道路行政をめぐる最近の話題について」と題して講演をしていただきました。


 最初に平成30年度道路関係予算が若干増えていること、道全協等の大会・総会などに出席している長野県の首長の出席者は飛び抜けて多く財特法の延長に繋がったこと、公共事業は殆ど増えていないのに、批判的な中央のマスコミのとらえ方で世論を形成していること、フロー効果とストック効果を考え、人口減少であるから生産性を高めていかなければならないこと、関東地方整備局としての貢献は道路整備であること、当整備局が進めている事例としての圏央道の整備状況、生活道路対策の取組、交通事故の現状啓発、効率的な整備等をしていること、中部横断自動車道の本線工事は3月中の竣工は難しいこと、長野国道事務所管内の改築事業の状況など多岐にわたりご講演をいただき勉強になりました。


▽ 第2部の特別講演は、坂道研究家 山野 勝氏から「『江戸の道路行政と江戸の坂』~番町(千代田区)の道筋形成を中心に~」と題してご講演をいただきました。


 坂道学会とは、銀座の居酒屋でタモリさんと知り合って、タモリさんと江戸の坂道について研究をしようと二人だけ坂道学会を作られ、山野氏が年上ということで会長をされているとのことでした。
 参勤交代は武士が単身で来て暮らしていたので、江戸時代は女性が貴重な存在であり、日本の歴史の中で女性の地位が一番高かったかもしれないということ、駿河台の土で日比谷公園から東京駅の丸の内地区を埋め立てて、江戸城や武家屋敷を建築したこと、幕末頃の地図の改定を重ねた「番町大絵図」と現在の地図で「一番町から六番町」が変わったこと、谷と高台を上手く使って富士山が見える様に道を造ったこと、家臣たちは石高で間口が決まっていて、1石を10万円として100石をいただいても色々引かれて400万円位だったから裕福ではなかったこと、大名屋敷はその後著名な方が住んだり、大使館、病院、学校になったこと、今でも640の坂の名前が残っていて、当時の道からは少し広がったが75%ほど残っていること、江戸全体では、3,000位の坂道があって現在は500位で坂道の由来が書かれている所があり、江戸は台地を川が削ったことから坂道が多いこと、名前を付けた要素は眺望、勾配、形状、状態、人名などであり、土が赤いから付いた赤坂は全国で一番多い坂の名前であることなど、明治維新後に都市開発をされたが、講演をいただいた麹町や番町界隈はほぼ原型を保っていることが分かり、時々要望活動等で訪れる場所ですので、坂道に江戸時代の歴史を感じられるかもしれないと思いました。 


 今回の講演会は、我々道づくりに携わっている者として、今後の地域の道路整備に活かせるとともに、道路の歴史を知ることの大切さを感じた有意義な講演でございました。講師の先生方をはじめ関係の皆さんに感謝申し上げます。

第4回 信州みちビジョン検討委員会

2018年02月08日 | 私の活動報告
 8日(水)午前10時から長野県庁西庁舎の会議室で「第4回 信州みちビジョン検討委員会」が開催されました。


 油井建設部長さんから、委員の皆さんに前回の会議まで有意義な色々なご意見をいただき、パブリックコメントもしまして、今回の会議で「信州みちビジョン(案)」をお決めいただき、県議会の危機管理建設委員会にご報告させていただき、長野県の今後10年間のみちづくりの方向性をお示ししたいなどと挨拶をされてから始まりました。


 続いて委員長の高瀬先生の議事進行で、事務局より「パブリックコメントの実施結果」、「信州みちビジョン(案)」等について説明を受けました。
 そして、委員各位から多くの色々な意見が出され、反映する点や校正する点などを修正して、出来上がった「信州みちビジョン」を、委員各位に1週間内に意見をいただき完成させることになりました。


 基本目標の「つなぐ・まもる・いかす 信州のみちづくり」として、「道路の多面的な機能を地域づくりへ活かす」、「災害や事故から県民等の命や暮らしをまもる」、「県内外にスムーズかつ効果的につなぐ」から「持続可能で快適な暮らし」「県土の強靭化」「観光や産業の振興」の重点分野につなげるために、多くの方向性を示せたビジョンを決めることができました。関係の皆さん、大変お疲れ様でした。

▽ 朝の写真は昭津橋からの風景です。







 今日生坂村では、保育園で身体測定(三歳未満児)、小学校で身体測定(高学年)、なのはなで癒しの空間「フェイスマッサージ」、健康管理センターでマタニティクッキング、公民館でバドミントン教室、昭津区で農業懇談会などが行われました。