生前ご縁のあった
津村喬さん。
私が津村さんの文章を紹介させてほしいと
ご連絡すると
いつも
「どうぞどうぞいつでも使って広めてください」
といってくださったので、
たまに
ご紹介させていただいています。
今回はこれ。
気養生ではこういった話もあり
参考までに。
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私の細胞は150日くらいのうちに(脳細胞と女性の生殖細胞を除いて)すべて入れ替わってしまいます。たえず死に続けることで私は生きています。うんこやアカは私の日々の死体です。私は存在しているのではなく、たえず流れているのです.「逝くものはかくのごとしか」と孔子が渭水のほとりでしみじみと言ったのはこのことです。
私の一日一日は進化しつつある宇宙の最新の波動です。私に食べられる食べ物たちもまた宇宙史がいまここに生み出したものです。私の今からする食事とは「宇宙が宇宙を食べて発展する」儀式にほかなりません。食事の前に手を合わせて、ほんの数秒それを思い出してみると、味わいが少し違うかもしれません。
中国医学では、食べ物の成分をあまり問題にしません。それがどんな性質の気をもっているかを問題にするのです。
それを食べるとからだが温まるのか冷えるのか、気が上がるのか下がるのか、気が補われるのか捨てられるのかといったことを見ます。そしてどの内臓に特に刺激がいくかを見ます。2000年くらい前の医学の本でキャベツを調べてみると、「胃経に帰す」(胃の気の流れを刺激する)と書いてあります。キャベジンができる2000年前から、キャベツは胃の薬だったのです。ただし、胃を元気にする成分があると考えるのではなく、そういう波動があると考えたのです。波動は素粒子か、ひょっとしたらもっと深いレベルの、つまりは「気」のことです。
日常の食べものをすべてそういう観点から調べて、気の性質を明らかにし、その人の弱点を補いバランスをよくするような食事を日々食べて行くというのが中国の食養生の基本です。それがまた医学の基本でもありました。そうした自分にあった食事をしていれば病気にならないはずなのです。しかしなかなか自分の必要な物がわからなかったり、つきあいで食べたり、食べ過ぎが続いて病気になった時に、ふだん食べるとからだに毒なほど気の強い食べものである漢方薬が登場するのです。自分の気を破壊するような食事ばかりしていて、病気になったらお医者さんに「さあ、治せ」というのはちょっと困った態度ですね。
しあわせに生きて食べものになった死体は、なおいきいきとした気を出しています。
そうでなければ、見かけはおいしそうでも、死そのものにすぎません。
食べ、排泄することを通じて私は世界全体と具体的につながっているので、土や水や森を大切にすることは自分のいのちを大切にすることそのものに他ならないのです。