2020/05/20
石原慎太郎著『三島由紀夫の日蝕』の感想、4回目となりました。
この本を読む限りでは、三島は出会いからずっと石原氏を羨ましがっていたように受け取れるのです。石原氏のうぬぼれではなく、きっとそうだったのでしょう。
三島より7歳年下の石原氏は健康な体を持つ青年で、運動神経もなかなかのもの、自由奔放に言いたいことを言い、やりたいことをやる。
公式サイトによると、石原氏は身長181㎝の長身、弟・裕次郎も長身で映画俳優だから、かっこいい兄弟だったのでしょうね。
そういう青年は三島にとって憧れの姿だったのです。
小柄で虚弱な体、幼少時は室内で女の子だけと遊び、外で遊ばせてもらえなかった三島は、「アオジロ」というあだ名でした。自分が欲しかったものを持っている青年として石原氏を見ていたように感じるのです。
その憧れが立派な肉体を作ること、男らしいスポーツをすることとなり、ボクシング、剣道、ボディビルになっていくのです。
さらに、もっと様々なものを欲しがる三島の姿が描かれています。
三島は石原氏の議員当選をたいそう羨ましがっていたそうです。
「(三島)氏は実際に議席を持つ政治家になろうと考えていたようだ。母の倭文重さんが親しかった佐藤栄作夫人の寛子さんに語っている。」(p.100)
「私(石原氏)と同じ選挙(参議院全国区)に出馬を考えて、参議院議員の八田氏に相談したようだ。」(p.101)
「私に先を越された形になったので、ひと頃たいそう機嫌が悪く、母親の倭文重さんに駄々をこね手こずらせたと、当の倭文重さんから打ち明けられた。(佐藤栄作夫人談)」p.101
「(三島は)亡くなる前お母さんに、つまらないつまらない、これなら死んだほうがましだとよく言っていた。」「ノーベル賞は川端さんにいっちゃうし、石原は政治家になっちゃうしって子供みたいに駄々こねてたそうですよ。(佐藤栄作夫人談)」p.102
自分の欲しかったものは、みんな人に取られてしまったと感じていたのだろう。
凡人から見れば、たぐいまれな文才だけでも充分だと思われるが、それだけでは飽き足らず、もっと多くのものを手に入れたがる心理は何なのでしょう。
「三島氏は自作、自演、自監督、自制作で映画『憂国』を作ったが、この作品でとにかくどこの映画祭でもいいから、何の賞でもとりたいと七転八倒、東奔西走していた。ヨーロッパのあちこちで行われる映画祭の情報に詳しくそれに関わるいろいろなアレンジメントもしていた。」(p.107)
自分に対する不足感、不満足感なのか・・・それとも、栄誉を手にするのにふさわしい人間という自信、才能への確信なのか?
「剣道の段にせよ、ノーベル賞にせよ、映画祭の賞にせよ、それらは単に名声フェティシズムのためだけではなく、あの手のこんだ自殺のための伏線、小道具のつもりだったろうが、また一方、氏が真摯にそれらのものを望み憧れたというのも間違いないところだろう。」(p.108)
石原氏は「分裂」という言葉で三島を分析しています。
「三島氏との出会いから今までをふり返ってみれば、私はいつも氏のそばで氏の痛々しい分裂を目にし、その証人として立っていたような気がする」(p.124)
「矛盾と嘘とか分裂を糊塗するために政治、国家、文化、はては天皇まで持ち出して自分を飾る。」(p.124)
何が三島を分裂させたのだろう。矛盾と嘘とか分裂、とは何だったのだろう。
まだ、本の後半にある対談にまで、行きついていませんが、今回はこのあたりにしておきます。