2021/06/28
『街場の親子論』の続きです。
おもしろいと思ったところを抜き書き、引用します。
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内田(父):自分は親から情が薄い、要領がいいと言われてきた。 あんたはこういう子だよと断定的に言われると、子どもはそれに合わせて自分を造形してしまう。(P.63)
娘:「親の言葉」ってはずみで出てきたような些細な放言でも、子どものほうは深く囚われてしまって、人生の方向性を決めてしまったり、生涯苦しんだりしてしまう。(p.73)
これは本当にそう思います。私自身、親に言われた言葉で自分を限定してしまったことがあり、親としても気をつけなければと思いますね。
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父:自分は「共感性が低いキャラクター」。
精神科医の名越康文さんに「内田さんはサイコパスですよ」と言われた。(p.65)
少年たちのどういうふるまいが少女たちから見て「好ましい」もので、どういう振る舞いが許せないのか、どの辺が「あと一息」なのか、『若草物語』(オルコット)を読むことを通じて学習した。(p.68)
女の子の眼から男の子を見るように自分自身を見れば、自分の感情を制御する方法がわかるんじゃないかと思った。(P.68)
ぼくの「素のまま」を出しても理解されない。だって変な人だから。でも、「素のままの自分を丸出しにしても理解されないので困っている」という困惑のかたちには一般性がある。そういう人たくさんいますから。(p.69)
自分をそのまま出してもわかってもらえないので、わかってもらえるように、ちょっと遠くから眺めて「こういう人いますよね」というかたちで取り出してみる。(P.69)
自分のことを語る時、ほとんどの人は「説明不足」になります。自分のことを自分はよく知っているから。だから説明を省いちゃうんです。それだとわからない。(p.70)
自分のことを人にわかってもらおうと思ったら、仮説的に「他人の耳で聴く」「他人の眼で読む」という工程をひとつ挟む方がいい。(p.71)
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国会議員が失言を咎められると、「誤解を与えたなら謝罪する」という定型的な言い訳をすること、あれも文章そのものの意味ではなくて、「私は謝らない(だって心に思っていたことを言っただけだし、これからも同じことを言い続けるつもりだから)」というメタメッセージのほうがずっと優先的であって、聴いている方だって、そう聴き取っているんだと思います。
あれはるんちゃんのいう通り、「身内」向けに「ヘヘヘ、オレ、謝ってないでしょ。タフでしょ、オレ」って言ってるんです。
日本人のメッセージでは、コンテンツよりも、それを差し出す時の発信者が「誰か」に対する親疎を示すことのほうが大切なんだと思います。(p.215 )
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こんなふうに捉えたことはなかったけれど、おもしろいこと言ってますね。
前回はこちらです。
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