はちみつと青い花 No.2

飛び去っていく毎日の記録。

オリンピックのこと

2021年03月21日 | オリンピック

2021/03/21

 
今日は大雨です。
雨が花粉を洗い流してくれればいいけれど。
 
みんな感じていると思うけれど、オリンピックはどうなるのかなあ~と思いますね。
 
「新聞通信調査会」が20日、新型コロナウイルス感染症が世界的に収束していない中での東京五輪・パラリンピック開催の是非を海外5カ国で尋ねた世論調査結果(昨年12月~今年1月に面接か電話で調査し、各国で約千人ずつから回答を得た)によると、
 
「中止すべきだ」「延期すべきだ」との回答の合計が全ての国で70%を超えた。
タイでは95.6%、韓国で94.7%に達した。
中国は82.1%、米国が74.4%、フランスが70.6%。
 
「日本に行きたいと思うか」の問いに対し、
中国は一昨年の前回比19.4ポイント減の40.3%、
米国が同6.5ポイント減の51.8%、
タイが同5.4ポイント減の77.8%となった。
一方、韓国は同16.8ポイント増の51.0%、
フランスが2.6ポイント増の60.2%だった。(共同)
 
 
 
世界の多くの人が中止、延期を考えているようです。このコロナ禍ではオリンピックに臨むなんて、とてもできないと思います。
 
東京五輪・パラリンピックは、海外からの一般観客の受け入れを断念すると決定しました。観客は来ないわけですが、選手、コーチ、関係者だけでも数万人が来日するのではといわれています。
 
 
そもそも東京2020は、いつ頃から言われだしたんだろうと調べてみると、2007年に当時の石原東京都知事が招致の構想を抱いて「生活文化スポーツ局スポーツ振興部」を新設したということが出てきました。
 
2009年に、2016年の夏季オリンピックでリオデジャネイロに敗れて、2013年に東京に決定したときのことは、まだ記憶に新しい。滝川クリステルさんの「お・も・て・な・し」が流行しましたものね。
 
でも、その間に2011年の東日本大震災が起こっています。これで、日本はオリンピックどころではない状態になった。オリンピック招致を諦めるべきだったんじゃないでしょうか。
 
しかし、石原都知事は2011年7月には、オリンピックに正式に立候補を表明しているのです。まだ震災から4か月で、もう「復興五輪」という言葉を使っています。
 
 
 
浅田彰氏が2016年1月4日付けで、「国立競技場問題をめぐって」という意見を載せています。
ちょっと長いけれど、読んでいただきたいです。
 
〈引用〉
 
「そもそも論」を言えば、そもそもオリンピックを招致したのが間違っていたのは明らかです。ロサンゼルス大会の頃から、現代のオリンピックは、ポピュリスト政治家、土木建設業者、そしてマス・メディアと広告代理店のためのカネまみれのイヴェントになり果てた。
 
「アスリート・ファースト」と言うけれど、それなら良い季節を選んで10月10日に開会した1964年東京大会の例に倣えばいいものを、欧米を中心とするTVのプロ・スポーツ中継がシーズン・オフになる真夏の猛暑の中でしか開けなくなっている。
 
実は、インターネットでのストリーミングなどが盛んになって、10億人以上がTV中継でオリンピックを見る、従ってTV局やスポンサーが巨額の放映権料を支払うというビジネス・モデルは時代遅れになっているのだけれど、そういう状況だからこそ古いマス・メディアや広告代理店(日本なら電通)はオリンピックという「キラー・コンテンツ」にいっそう固執するのでしょう。
 
そもそも日本が本気で誘致しようとしたのは2016年オリンピックでした。このときの安藤忠雄による東京案は、湾岸に10万人規模のスタジアムをつくるほかは既存の施設を最大限に再利用するというもので、オリンピックのコンパクト化という時代の要請にかなっていた。同時に、東京の緑化を進め、東京湾のゴミの島を緑の森に変えようとした——計画のこの部分はいまも生きています。
 
(当時の石原慎太郎都知事は黒川紀章との長年の盟友関係にもかかわらず安藤忠雄を選んだわけで、怒った黒川紀章が都知事選挙に出馬、落選後まもなく死去するという一幕もありましたが、時代の流れを読むのが政治家だとすれば、この件に関するかぎり石原慎太郎の政治家としての勘は正しかったと言えるでしょう——安藤忠雄の大衆的人気に便乗するというオポチュニズムも含めて。)
 
ついでに言えば、そのとき国内コンペで落選した——というか財政的に最初から問題外だとされた福岡案は磯崎新によるもので、「オリンピックはTVで見るのだからスタジアムはいらない、スタジオがあればいい」と断じるばかりか、宿泊施設等の建設を抑制し多数の大型客船を集めて博多湾にインスタント・シティをつくる、国境を超え東シナ海沿岸の諸都市と連携して予選会場を分散する、等々の提案を並べたそのラディカルさは、今なお、いや今こそ注目に値します。
 
ところが、出来レースで福岡に勝った東京も、結局2016年オリンピックの招致に失敗したわけですね。ならば東京は手を下せばよかったのに、いわば惰性で手を挙げていたら、2020年はイスラム世界との対話という意味でイスタンブールが最有力だったのが反エルドアン政権のデモが広がって雲行きが怪しくなり、ユーロ危機で次点のマドリッドも怪しくなって、財政的に余裕があるとみなされた東京が安全パイとして選ばれてしまったわけですよ。
 
そもそも招致活動の初期には東京での市民の支持が他都市と比べても低いことがIOC(国際オリンピック委員会)で話題になったくらいで、「日本国民全員が一丸となった招致活動でオリンピックを勝ち取った」というのは結論が出た後にマス・メディアが捏造した幻想です。
 
実際、そういう経緯だったので、今回の東京案は前回の安藤忠雄案と比べてもあまりよく練られたものとは言えなかったんですね。極端に言えば、本当に来ると思っていなかったので適当な案を出していたら現実に来ることになって大騒ぎになったというところじゃないでしょうか。
 
(ついでに言えば、誘致に積極的だった猪瀬直樹東京都知事が辞任に追い込まれ、後任の舛添要一都知事は当然ながらオリンピックについてさほど熱意がないように見受けられる。
いまもって本当にオリンピックに固執しているのは安部首相くらいじゃないか。問題の背景にはこの「当事者不在」の状況もあるような気がします——猪瀬都知事が辞任していなければ事態が改善されていたかどうかはまた別問題ですが。)

ついでに重要なことを付け加えておけば、安倍首相がブエノス・アイレスのIOC総会で東京をアピールしたとき、東日本大震災で大事故を起こした福島第一原子力発電所がすでに「統御下にある(under control)」と強弁した、これは誰の目にも明らかな虚言です。いまだに溶融した炉心がどうなっているかさえわからないし、放射能に汚染された水の漏出を食い止めることすらできていない、その他、問題を挙げ始めたらきりがないというのが現状でしょう。
 
逆に、本当にそれが「統御下」にあって問題ないのであれば、東北の復興を加速するためにも東京ではなく福島でオリンピックを開催すべきだったんです。
現在の日本にとっての急務は4年たっても被災者の生活再建が遅々として進まない状況の打開であって、本当はオリンピックなど開催している余裕はない。
 
視点を変えて見るなら、生活再建を置き去りにして「スーパー堤防」の濫造に象徴される土木主導の「復興」だけが暴走しているのが現状であり、それによる資材や労働力の不足、それゆえの資材価格や労賃の高騰が、新国立競技場建築予算の膨張の背後にもある(逆に言えば、東京オリンピックの強行は需給をさらに逼迫させ、東北復興をさらに困難にする)。
 
つまり、この問題自体、日本がオリンピックを開催すべき状況にないという現実の明白なあらわれなんです。
 
 
2016年の発言ですが、今も状況が変わっていないのが驚くくらいです。
 
浅田彰氏が書いた後でも、オリンピックに関するゴタゴタは続いています。
 
「東京オリ・パラの招致からこれまでの経緯」はこちらでも、詳しく書かれています。
 
 
最近の佐々木氏発言も、1年前のLINEってどういうことでしょうね。
 
それでも、中止という話は出てこない、それが不思議なオリンピック。
 
 
 
 
 
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 花が次々と咲いて | トップ | フィギュアスケート 世界選... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

オリンピック」カテゴリの最新記事