顎鬚仙人残日録

日残りて昏るるに未だ遠し…

真夏の一の木戸

2015年08月10日 | 水戸の観光



水戸市の姉妹都市、敦賀市の親善友好少年研修団の小学六年生をちょうど黄門まつりの最終日に案内しました。151年前の冬、武田耕雲斎を総大将とする天狗党一行が京に上る途中幕府に降伏し、352名が敦賀市の松原海岸で処刑されました。処刑された人々は、その後敦賀の人たちによって手厚く葬られ松原神社にまつられました。昭和39年10月10日、松原神社100年祭が行われたのを機に、昭和40年4月30日に姉妹都市の盟約を結びました。毎年10月10日の松原神社例大祭には水戸市の関係者が参列するほか、観光交流や親善友好少年交歓研修生の相互派遣など各分野で親善が図られており、今回の研修は第48回となっております。



真夏の偕楽園はとても暑く、蝉の声もうるさいくらいです。表門からの陰陽を説明するのにも、夏は陰の部分が過ごし易いため、どうしてもそこでの滞在が長くなりがちです。皆さん汗をかきながらまた日陰での蚊の襲来にも耐えながら、熱心に耳を傾けてくれました。
表門を入ってすぐの一の木戸、昭和20年8月2日の水戸大空襲で焼け残った数少ない園内建造物の一つで腕木門、さわら板葺きです。もっとも二本の本柱下部1m位は腐食のため新材で補強されていますが…



蝉の抜け殻が門の冠木(かぶき)にしっかり摑まっていました。170年超の材に同化した空蝉の色は精巧な水戸彫金の作品のようでした。

空蝉を抱え眠らせ一の木戸