
春先に里山などでいわゆる山吹色の花を咲かせるヤマブキ(山吹)には、武蔵国の武将で江戸城を築城した太田道灌(1432-1486)との有名な逸話が残っています。

ある日、鷹狩り中に急な雨に遭った道灌が蓑を借りようと、一軒の農家に立ち寄りました。
その時、中から出てきた少女は何も言わずに一枝の山吹を差し出しました。道灌はこれに腹を立て立ち去りましたが、後に家来から、少女が「七重八重花は咲さけども山吹の実のひとつだになきぞ悲しき」という古歌を引用し、「実(み)の」と「蓑(みの)」をかけて、“蓑”が無いことをお詫びする気持ちを込めて山吹の花を差し出したことを教えられました。以降、道灌は和歌の勉強に一層励んだといわれています。(太田道灌所縁の地、荒川区立図書館のページより)

この話からヤマブキには実が生らないと思っている方が(仙人も)多いと思いますが、実が生らないのは八重のヤマブキだけということが確認できました。

庭のヤマブキ(一重)を花の終わった後に見ることはありませんが、今回確認したら確かに5粒の実がちゃんと生っていました。

一方、公園で撮った八重のヤマブキです。突然変異で雌しべがない三倍体の植物になり、残った雄しべも花弁に変化してしまったため、もちろん実はならない状態になっています。

まさしく蕊が見当たらない八重のヤマブキ、この希少種を我が先人たちは、平安の時代からすでに観賞の対象にしていたということです。現在でも山野にあるのは一重のヤマブキですが、公園や庭では八重が圧倒的に多く見かけられます。
実が無くても増殖には問題がないようです。ヤマブキは地下茎の伸びがすさまじく、あらゆるところから顔を出すので、我が家でも気を付けないと庭中に溢れてしまいます。
さて、冒頭の和歌は、寛治元年(1087)編纂の後拾遺和歌集にある兼明親王(醍醐天皇皇子)の歌で次のような注釈が付いています。
「小倉の家に住み侍りける頃、雨の降りける日、蓑借る人の侍りければ、山吹の枝を折りて取らせて侍りけり、心も得でまかりすぎて又の日、山吹の心得ざりしよし言ひにおこせて侍りける返りに言ひつかはしける。(小倉の山荘に住んでいた頃の雨が降った日、蓑を借りる人が来ましたので、山吹の枝を折って渡しました。その人はわからないまま帰った翌日に、山吹を折って渡された意味がわからなかったと言って寄こしましたので、返事として詠んで送った歌です)
七重八重 花は咲けども山吹の実のひとつだに なきぞあやしき
(七重八重に花は咲くけれども、山吹には実の一つさえもないのが不思議です、わが家には、お貸しできる蓑一つさえないのです。)
原文の「なきぞあやしき」が1000年の間に「なきぞかなしき」という感情表現に代わってしまったようです。
奈良時代の万葉集や平安時代の源氏物語にも八重のヤマブキが出て来ます。
八重山吹の咲き乱れたる盛りに、露のかかれる夕映えぞ、ふと思ひ出でらるる。
源氏物語第二十八帖 野分
(八重山吹の花が咲き乱れた盛りに 露のかかった夕映えのようだと ふと思い浮かべずにはいられない。)
花咲きて 実は成らねども 長き日に 思ほゆるかも 山吹の花 詠み人知らず
万葉集巻十-1860
(花は咲いても実は生らないのに 長い間待ち遠しく思われるなぁ 山吹の花は)

ところで、ヤマブキに似ている白い花のシロヤマブキ(白山吹)は、ヤマブキにそっくりな姿ですがこれはシロヤマブキ属の別種で、しっかと黒い4個の実が付きます。

花弁はヤマブキの5枚に対して4枚、似た葉ですが出方がヤマブキは互生(枝の両側から互い違いに葉が出る)なのに、シロヤマブキは対生(枝の両側の同じ位置から葉が出る)です。
1000年以上前の先祖たちが、この時期に咲くヤマブキを待ちかねて歌を詠んでいたことになんとも親しみを感じてしまいました。

個人的には一重の方が好きですが、花の種類も少なかったその時代には、新しく生まれた希少種の八重を庭に植えてその華やかさを好んだのかもしれません。
なお太田道灌の伝承が残る東京都荒川区日暮里の駅前には、鷹狩り装束で弓を手にする道灌の騎馬像と、山吹の花を差し出している少女の像が設置されているそうです。
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