水戸市六反田にある倶胝密山聖宝院(ぐていみつざん しょうほういん )六地蔵寺は枝垂れ桜で有名な真言宗のお寺です。
開山は平安初期の大同2年(807)、その後室町時代の永享元年(1429)に、宥覚上人によって中興されたと伝わります。
中世にはこの地方を治めた常陸大掾氏の庇護下に置かれ、近世には佐竹氏、水戸徳川家代々の領主から厚遇され、江戸時代には幕府から朱印を頂く格式をもち、境内の地蔵堂、旧法宝蔵は、水戸徳川家2代藩主光圀公によって建立されました。
六地蔵寺の入り口、樹齢1100年、胸高直径6.9m、樹高約33mの大杉などに囲まれています。100台以上の大きな駐車場を備えていますのでこの時期には嬉しい限りです。
六地蔵寺の枝垂れ桜は、エドヒガン系のイトザクラで、光圀公が参詣されたときにその美しさに深く感銘したといわれています。胸高直径2.5m、樹高約10mの現在の樹はその子供で樹齢約180年、境内にはその子孫の樹が30本以上花を咲かせています。
左手、本堂前の樹が後継樹でしたが、老齢化で周りの子孫の樹の方が大きくなっています。
地蔵堂は、江戸時代中期の元禄時代の特徴である裳階(もこし)が付いて二階建てに見えますが、屋根裏の高い平屋建てで、梁に元禄13年(1700)の墨書があることから水戸藩2代藩主徳川光圀公最晩年の寄進によるものと推察されます。堂内に本尊六地蔵菩薩立像が安置されています。
塙保己一の『群書類従』に収集の六地蔵寺版『神皇正統記』など、国、県指定文化財約3000点以上を所蔵する新法宝蔵も桜に覆われています。
室町時代末期の建築様式を残している四脚門から花の世界を覗いてみました。
錫杖と如意宝珠を持つ地蔵菩薩も、いつもと違った顔に見えます。
なお境内には、水戸藩彰考館総裁として「大日本史」の編纂につとめた立原翠軒、その編纂を受け継ぎ完成させた栗田寛の墓所もあります。
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