有り余るほどの時間があるので、初めて古河公方公園の桃を見に行ってきました。
新コロナウイルスのおかげで恒例の桃まつりは中止、駐車場は無料になりましたが、お目当ての桃の花は、暖冬のせいかすでに散り始めていました。
室町時代に、幕府が関東支配の拠点として鎌倉に置いた鎌倉公方は、足利尊氏の二男基氏が任じられて以来、代々その子孫が世襲してきました。しかし関東管領上杉家や幕府との勢力争いがたびたび起こり、第5代足利成氏は康正元年(1455)鎌倉を追われ、ここを根拠地として古河公方と呼ばれ、関東の大きな勢力になりました。
後に渡良瀬川沿いに建てた古河城に移りますが、ここは古河城の別館として、寛永4年(1627)に廃止されるまで「鴻巣御所」ともよばれていたそうです。
戦いの明け暮れた当時ですので、防御の要である堀や土塁の跡が残っています。御所沼の中に突き出た半島に位置し、二重の堀に囲まれていた要害であることもわかります。
さて桃の花ですが、江戸時代初期、古賀藩主土井利勝が、江戸屋敷で家臣の子供たちに桃の種を拾い集めさせて領地に送り領民に育てさせたという故事にならい、1975年の古河総合公園の開園を機に花桃(花を観賞する品種)を植えたのが始まりです。
この「矢口」という品種が一番多く見られるようです。
紅白の絞りがきれいです。多分「源平」という品種でしょうか、我が家でも「源平枝垂れ」を植えたことがありましたが、枯らしてしまいました。
咲き方が菊のような「菊桃」という品種です。
もう桜が満開に近くなっています。今年は季節のめぐりが早すぎて、前走者が追い越されてしまいそうです。
館跡の周りを囲む御所沼湖畔には、御所沼復元記念という石碑が建っていました。
柳の芽吹きに往時の御所が偲ばれますが、そんな悠長な時代ではなかったようです。
ところで(1582)古河公方5代目足利義氏の没により嫡流は途絶えますが、秀吉は武士の象徴である源氏の血を引く足利氏の存続をもくろみ、義氏の娘、氏女(うじひめ)を小弓公方足利頼純の子、国朝に娶わせ木連川公方とします。
さらにその後、源氏の末裔を意識する家康も、木連川氏を名乗った一族を特例で優遇し、木連川藩(栃木県さくら市)を立藩させわずか5000石の旗本並みの所領ながら国主大名並みの10万石の格式を与えたという件は、拙ブログで紹介させていただきました。
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