顎鬚仙人残日録

日残りて昏るるに未だ遠し…

紫蘇の実

2016年09月19日 | 日記

隣に借りている空き地に自然に出る赤紫蘇と青紫蘇…、赤紫蘇は紫蘇ジュースと梅漬けの着色に、青紫蘇は薬味、刺し身にと大活躍してこの時期の紫蘇の実採りでその恵みを打ち止めにしますが、赤紫蘇にちょこんと乗っているオンブバッタの好物らしく、葉はこの頃になると、食い荒らされています。

紫蘇の実の収穫時期は、穂先に花が2,3個残っている頃、これより早いと実が入ってなく、晩いと実が固くなって食感がゴワゴワ、口に残ります。
さて今がいちばんの収穫期、指先に色が付くので薄いビニール手袋、絶妙な力加減で穂先をしごきますがこれがなかなか難しく、やっとコツを覚えた頃には腰が痛くなります。

半分もいかないうちに今日の作業は終わり、室内に紫蘇のいい香りが充満し、鼻腔には夜までも残りました。これを塩漬け保存し、味噌漬けなどを細かく刻んだものと混ぜて食するのが我が家流です。
しその実に含まれるα-リノレン酸は血液中の中性脂肪を減らし、血液をさらさらにして心筋梗塞や脳梗塞、高血圧を予防し、また食欲増進効果、整腸作用、風邪予防にも効果があるといわれています。

紫蘇の実やつゝましやかに僧の妻  永田青嵐
実紫蘇摘み暫し五体は紫蘇となり  顎髭仙人

江戸小旅行 浅草

2016年09月17日 | 旅行

町内の小旅行、午後は日の出桟橋から水上バスで浅草まで約35分、生ビール片手に風に吹かれての短い隅田川船旅は乙なもの、それにしても来るたびにいわゆるウオーターフロントというのでしょうか川沿いのビルがどんどん増えている気がします。前方にはスカイツリーが見え隠れしています。

浅草寺本堂は、国宝で3代将軍徳川家光建立のものは戦災で焼失し、昭和33年(1958)に鉄筋コンクリート、本瓦葺の同形態で再建されたもの。高さ29.4m、の屋根の勾配が非常に急で、従って棟が他寺院と比較してすこぶる高く、相当遠方からでも望見できるとお寺のホームページから。まわりはお香の煙と外国語の氾濫、来日していちばん手軽な観光地なのでしょう。

宝蔵門前から続く仲見世の賑わいも相変わらず、ここも外国の観光客が多く、中国語の大きな声が飛び交っていました。二天門通りには、中国人観光客向けに同じ中国人が何か売り込みしている姿があちこちで見られ、世界に進出していったさすが華僑の国と納得しました。

江戸小旅行 皇居外苑

2016年09月15日 | 旅行

町内の旅行で東京までの小旅行、道路が空いていたのでバス2時間でもう皇居外苑です。
まず車窓から、大手門入り口が撮れました。
二重橋を臨む緑に囲まれた一角に楠公レストハウス、国有財産で国民公園協会の管理、1967年(昭和42年)に全国から皇居参観に来られる方々や公園を利用する方々の休憩所として建てられ、2002年(平成14年)にリニューアルされ現在の建物になりました。

昼食「参の重」は江戸エコ行楽重と銘打って、当時の行楽料理を再現、地元材料、省エネ仕様で少量多品種、見た目も綺麗でしたが、塩分大好きの仙人向きではありませんでした。
なお、菊のご紋の付いた箸は、使用後持ち帰りできます。

目の前に名前の由来である、建武中興の忠臣・楠木正成公(楠公)の銅像があります。二重橋を正面に見据えるこの像は、住友財閥が1891年(明治23年)に東京美術学校(現・東京芸大)に製作を依頼し、住友傘下の別子鉱山の銅を使い高村光雲をはじめ、山田鬼斎、岡崎雪聲などにより、10年を費やし完成しました。
それにしても外国人、特に中国の観光客が多いのには驚きました。

急ぎ足で撮ったお馴染みの二重橋と奥に伏見櫓(伏見二重櫓)、関東大震災の際に倒壊したため、解体して復元されたもので現存する数少ない建築物です。江戸城としては、当時の建物がほとんど残っていないので、この広大な面積と石垣にその威容を偲ぶしかありません。城内部に行くと切り込み接ぎ布積みの江戸時代初期の石垣が見られるようですが、この辺は打ち込み接ぎ乱積みの石垣でした。

安政7年(1860)3月3日早朝、水戸藩浪士17名、薩摩浪士1名が大老井伊直弼を襲った桜田門外の変は、まさにこの門の外側で起きました。この事件により、日本は大きく動き、7年後には明治維新を迎えました。門の石垣は切込み接ぎ乱積みのようです。

初秋の散歩道

2016年09月13日 | 散歩

センニンソウ(仙人草)はキンポウゲ科 センニンソウ属、学名:Clematis ternifloraとあるようにクレマチスの仲間です。タネに付く白い毛を仙人に見立てて付いた名前なので、仙人ブログとしては親しみを感じますが、全草が有毒で葉や茎の汁に触れると皮膚炎を惹き起すこともあるそうです。

ニラレバでお馴染みの緑黄野菜、ニラ(韮)の花もよく眺めれば可憐、清楚でとてもあの匂いからは想像できません。ユリ科ネギ属、タネが飛んで来て道端に咲いているので相当な生命力です。最近では、花を食べる品種が物産店で売っており、柔らかく甘い味は仙人の大好物になりました。

ツルボ(蔓穂)はユリ科ツルボ属、公家が参内するとき使う長柄傘をたたんだ形に似ているための名前で、別名で「さんだいがさ(参内傘)」とも呼ばれています。ツルボの仲間は世界におよそ90種があり、シラーの名前で広く栽培されているものもあります。

白くきれいだけど不気味な感じが漂うキノコが顔を出していました。調べて見ると、タマシロオニタケらしい、テングダケ属の強い毒をもつキノコ。間違っても食べる雰囲気ではないけれど、くわばらくわばらです。

厄介と言へば死ぬこと韮の花  藤田湘子
韮咲けばまたその花もくらはんと  山口青邨

水戸八景 巌船夕照(いわふねのせきしょう・ゆうしょう)

2016年09月08日 | 歴史散歩
那須三斗小屋に源を発する那珂川が、太平洋に注ぐ直前に涸沼川と合流する崖上にこの碑が立っています。常陸太田産の寒水石(大理石)ですが、形は土の中から出てきたような自然石の感じです。隷書体の文字は、古典文字や装飾文字のようで、風格が感じられます。
碑からの眺望は素晴らしく、右手に那珂川、左手前に涸沼川、そしてこの地方の米どころの水田が続きます。南方には遠く筑波山、まさしく夕焼けに照らされた姿は絶景で、斉昭の時代には今よりくっきりと見えたことでしょう。

筑波山あなたはくれて岩船に日陰ぞ残る岸のもみぢ葉  徳川斉昭

なお、水戸八景すべてについては、拙ブログ「水戸八景…斉昭公選定の水戸藩内景勝めぐり 2020.8.18」に載せさせていただきました。