顎鬚仙人残日録

日残りて昏るるに未だ遠し…

樹木の実―初夏 ②

2017年07月07日 | 季節の花

大洗海岸の道路沿いにヤマモモ(山桃)、やっときれいな色がつきました。摘んでみると爽やかな甘さ…あまりにもジューシーなのでTシャツにシミが付いてしまいました。

道路に落ちています。私の愛読ブログのヒゲ爺さんは、赤黒く熟して落ちるくらいのものを美味しくジュースにすると書いていますので、来年の課題が増えました。
後の建物は大洗リゾートアウトレット…、最近櫛の歯が抜けるようにテナントの数が減っているのが心配です。

やはり熟して落ちている散歩道沿いの梅の実…、甘い、いい香りがします。勿体無いのできれいなのを18個(好きな数)拾って瓶で塩漬けに…、1か月後には暑気払い冷酒のお供になります。

散歩の途中で見つけた桑の実?…今まで撮ったものは楕円形で毛がありましたが、これは木イチゴのようです。調べたらありました!ヒメコウゾ(姫楮)、その名の通り和紙の原料、コウゾ(楮)の仲間ですがお互いに区別しないで使用する場合も多いようです。桑の実よりはさらにうすい甘さでした。

石岡市の国分寺境内にあったシデの木、多分アカシデ?実もこの形になると、まさに紙垂(しで)という名前のイメージにぴったりです。

カエデに似たヘリコプターの羽のような実ですが、葉の形がカナダ国旗型ではないので調べたらウリカエデ(瓜楓)のようです。名前の瓜は、樹皮がマクワウリの果皮に似ていることから付きました。

鉢植えのヒペリカム、オトギリソウ科の耐寒性亜低木、コボウズオトギリ(小坊主弟切)ともいいます。未央柳 (ビヨウヤナギ)の仲間、ヒペリカムは属名で色んな種類があるようです。春の鮮やかな黄色い花よりも、初夏の赤い実の方が好まれて流通しています。

常磐神社下の駐車場にスズカケ(鈴懸)の大木、最近街路樹であまり見かけなくなりました。プラタナスともいいます。名の由来は、実が山伏の着る篠懸衣(すずかけころも)に付いている球状の飾りに似ていることから付きました。(慣れないスマホでのアップ)

(後日、写真を撮り直しました。2017.7.30)

九州では大雨が続き被害が出ているのに、ここは申し訳ない梅雨晴れ…、もう初夏という言葉は完全に場違いと充分自覚していますが。

楊梅(やまもも)の落果鎮守の土を染む  右城暮石
海を見る楊梅をもぐさびしさは  岡井省二

※その形が水楊子という果実に似て、味が甘酸っぱく梅に似ているから、熟した果実を、楊梅(ようばい)と言い、「やまもも」とも読ませています。

紫陽花の花?

2017年07月04日 | 季節の花

紫陽花(アジサイ)が街のあちこちで目につきます。
ここ涸沼自然公園のアジサイは約1万本、広い公園の斜面一帯に咲くので立体的な景観が眺められるのが特徴です。

本アジサイ、いわゆる手まり型のアジサイは、表面を花毬のように飾る大きな花弁のようなものは萼で、その中心の花は装飾花…、本物の花(真花)は下の方に隠れてひっそり咲いて目立たないので、装飾花が受粉作業の虫たちを呼び寄せる役目をします。

本アジサイを下から見ると、装飾花の下に真花がびっしりと隠れているのが見えます。

日本固有種のガクアジサイ(額紫陽花)、周りを額のように囲んでいるので命名されたので、名前のガクは萼ではなく額になります。
これも額の部分は、萼(紛らわしい!)を主体にした装飾花で、真ん中の小さい花の集まりが本物の花(真花)です。額部分の装飾花にもちゃんと小さな花弁と蕊が見えますが、この雌蕊は結実しません。

人気のスミダノハナビ(墨田の花火)、白い装飾花の真ん中に固まって青緑の真花が小さな花を開いています。

最近増えてきたカシワバ(柏葉)アジサイも周りの白い装飾花に囲まれて、地味な緑色の真花が見えます。

罪ありしは桃色時代七変化  香西照雄
老境や四葩を映す水の底  三橋鷹女

※七変化(しちへんげ)、四葩(よひら)はいずれもアジサイの別称

常陸府中藩陣屋門(石岡市)

2017年07月01日 | 歴史散歩
水戸藩の御連枝、府中藩は初代水戸藩主徳川頼房の四男頼隆が2万石で立藩、水戸藩同様の定府制のため、藩主以下大半の家臣は江戸詰め、この地には陣屋を設けて郡奉行以下20数名が駐在していました。

県指定文化財の陣屋門は、陣屋にいくつかあった門のうち表門に当たり、文政11年(1828)に建築されたもので、火災にあった江戸屋敷を再建した際、その余った材料を使って建築したと言われています。いろいろ変遷がありましたが、現在は元の場所の数メートル南側の市民会館駐車場内に移転されています。袖塀は新しく復元され、門にも修復の痕があちこちに見られます。

この門は「高麗門」という様式で、左右の鏡柱からのびた控え柱との間に、それぞれ小さな切妻屋根をのせているのが特徴です。

陣屋門の屋根には鯱(しゃちほこ)が乗っていますが、高麗門に鯱があるのは極めて珍しく、さらに鯱、鬼瓦、鳥衾(とりぶすま)の取り合わせは全国的にもほとんど例がないそうです。(鳥衾:鳥の寝る所で鳥衾と呼ばれるようになったという説もあり、装飾的な瓦ですが、一説による鬼瓦を「鳥の糞から守る」ためとも言われています。)

幕末には早々と新政府軍に恭順の意を表し会津戦線に180名の藩士を出兵させました。その後明治2年の版籍奉還により、歴代の藩主では初めて10代松平頼策が明治4年の廃藩置県までの短い間この陣屋に住み、府中藩の歴史を閉じました。

近くのお寺に同じ高麗門形式の山門があります。高照山養願院東耀寺,天台宗山門派,本尊は阿弥陀如来、養老5年(721)に創建と言われています。

いかにも歴史を感じさせる門の柱の下部、そろそろ補修しないと?と思ってしまいました。

府中藩松平家の歴代墓所、雷電山西向院照光寺も近くにあります。応安7年(1374)常陸大掾隆幹の開基とされる浄土宗の古刹で、幕末の天狗党の乱には田丸稲之右衛門一派の宿舎となりました。

水戸徳川家御連枝の墓所は、常陸太田の瑞龍山に合葬されているとされていますが、ここの案内板には、府中藩歴代藩主の墓は、上屋敷のあった小石川の宋慶寺にあったものを、大正15年(1926)ここに移したと記されています。
墓碑は9代松平頼縄(よりつぐ)と10代頼策(よりふみ)の二柱だけなので、明治になってからは独自の墓所に埋葬されたということなのでしょうか。

本堂は平成になってから建てたようですが、目を見張る彫刻など寺社建築の見本のような建物です。懸魚の下で睨みをきかしているのは魔除け?なんとも愛嬌があります。