顎鬚仙人残日録

日残りて昏るるに未だ遠し…

大軍の前に落城…徳宿城

2018年10月12日 | 歴史散歩

鉾田市にある小さな城跡、徳宿城は、平安末期に平国香を祖とする常陸大掾庶流鹿島成幹の長子親幹が築城し徳宿氏を名乗ったといわれています。2代秀幹の長男・俊幹は安房と鉾田を含めた地域を譲渡され、安房氏の祖ともなり、また次男朝秀は、烟田村他三カ村を譲渡され烟田氏となり、この地に勢力を拡げていきました。

文明18年(1486)9代道幹の時、水戸城を本拠とする江戸氏から攻められ、江戸氏総勢2千余名に対し、徳宿氏は総勢3百余名、鹿行下総の大掾氏一族の援軍千五百名の到着が間に合わず、城主、重臣は討ち死にし落城、徳宿氏も滅亡してしまいます。間に合わなかった援軍は樅山において江戸氏と戦うも決着がつかず和睦、多数の死者を出した世にいう「徳宿合戦」「樅山合戦」の幕が閉じます。

なお、那珂西城(城里町)の南東角の杉林の中にこの戦いの134の首級を葬ったと伝わる「首塚」がありますが、当時の那珂西城主が江戸氏に加わって持ち帰ったものか?この地に逃れた一族が葬ったものか?空想はふくらみますが…?。

本丸の曲輪Ⅰ(写真右)の周りは北西部を除き幅の広い腰曲輪が取り巻いています。

曲輪Ⅰにある稲荷神社、その他に熊野三社権現など全部で七ツの社が石碑などで祀られています。

曲輪Ⅰの南端部には、徳宿氏事績考碑という石碑と慰霊の宝篋印塔が建っています。

曲輪Ⅱから本丸へ向かう土塁です。

曲輪Ⅰから曲輪Ⅱに向かう左手の空堀です。

徳宿氏滅亡のあとも戦国時代を生き抜いてこの地区を支配した大掾一族ですが、天正18年(1590)、豊臣秀吉による小田原征伐が発生すると、大掾氏一族は参陣をしなかったため、参陣をした佐竹義重に常陸国が与えられます。すぐに佐竹義重は水戸城を攻めて江戸重通を追い出し、その勢いで府中城も攻め大掾清幹は自害、これにより400年続いた常陸大掾宗家は滅亡します。さらに翌天正19年(1591年)2月、義重は三十三館主と呼ばれた鹿島・行方郡の大掾氏一族の主を太田城に招いて謀殺し、すぐに鹿島、行方郡に軍を進め、大掾氏一族もほとんど滅亡してしまいます。

常陸秋蕎麦 村屋東亭   鉾田市

2018年10月09日 | 食べログ
郊外大型店が並ぶ通りに面した大きな駐車場と大きな屋根の蕎麦店はすぐに分かります。そばの花が出迎えてくれました。

涼しい日だったので、「つけきのこ」を注文、仙人好みの細めの蕎麦は、ふくよかな甘さと上品な香りで、色は濃い目でも軽やかな味わいのつゆと、きのこのシャキシャキ感がピッタリ合いました。

後でネットを見ると大正7年から続く老舗で、現在三代目の当主は「常陸秋蕎麦」を固有の品種として世間に広めた一人で、その栽培育成、品質向上に尽力してきた方でした。しかもそば打ちの世界では超有名な足利一茶庵、片倉康雄氏の直弟子だそうです。師の「蕎麦は、打ち方10%、原料90%」を守っているようでした。

折居の泉と折居神社   水戸市塩崎町

2018年10月05日 | 歴史散歩

水戸市の東部、国道51号線塩崎十文字を南に200mくらいの左手にある折居の泉は、鹿島神宮の主神、武甕槌命(たけみかづちのみこと)が東国を征討したとき、馬から下りてこの地の霊水を飲んだので、そこから「下り井」といわれたそうです。後に、水戸藩9代藩主徳川斉昭公が無量水と名づけました。

かって松の老木が覆い、古来よりこの付近を通っていた塩街道の旅人を癒やした泉も今は枯れてしまい、伝説が残るのみです。(なお、源義家という説もあるそうです)

向かい側にあるのが折居神社、祭神はもちろん武甕槌命(たけみかづちのみこと)です。

創建などの詳しい資料はありませんが、古くは折居大明神と呼ばれていたそうです。

現在の水戸市長はここが地元で、そのブログには「私の住む塩崎町には宮薙という伝統行事があります。毎年7月15日早朝6時に地元の折居神社境内に集合し、神社掃除を行います。」と書かれていました。

参道と境内には、推定樹齢400年の大シイの他に300年のシイ、タブの木が全部で5本あり、水戸市の保存樹に指定されています。

折居神社の後ろは、大串貝塚です。奈良時代に編纂された「常陸国風土記」に記載があり、文献に記録された貝塚としては世界で最も古く、これにまつわる巨人伝説「ダイダラボウ」とともに知られています。

斜面には秋の野草が咲き乱れ、秋の季語「花野」のミニスポットになっていました。
キバナアキギリ(黃花秋桐)は、桐の花に似ているので命名のシソ科の多年草で、花冠より突き出した紫色の雌しべが目立ちます。ミズヒキ(水引)とツユクサ(露草)が色を添えています。

いたるところで目にするヒヨドリバナ(鵯花)、ヒヨドリの鳴く頃に咲くので命名されたキク科の多年草です。

野菊の区別はよくわかりませんが、多分これはカントウヨメナ(関東嫁菜)。奥に見えるのは、大串貝塚の貝層断面閲覧施設です。

アザミの仲間は世界中に300種類以上、日本でも100種類以上あるといわれます。いちばん見かけるノハラアザミ(野原薊)のようです。

花野は、秋の草花の咲き乱れた広い原野などを連想する秋の季語です。

花野に出る筈の道にてかく昏し  能村登四郎
竪横に風の機織花野哉  中川乙由
菊咲てきくの嗅なき花野かな  志田野坡