顎鬚仙人残日録

日残りて昏るるに未だ遠し…

春は花…徒然なるままに ②

2020年04月13日 | 季節の花

3密避けて仙人が徘徊するのは、人気のない公園や野山ばかりです。時に厳しい顔を見せる自然ですが、その優しい一面に触れていると思わず早い収束の予感に満たされます。

黄色い花のヘビイチゴ(蛇苺)は、やがて真っ赤なイチゴ色の実を付けます。毒ではありませんが、蛇という名前もあって少年時代は口にはしませんでした。

クマイチゴ(熊苺)はラズベリーなどのキイチゴ属の仲間、赤い実は食べられますが、ゴソゴソしてあまり美味しくない記憶だけが残っています。
 
ニワトコ(接骨木)は名前の通り、骨折の湿布剤に使われるほかいろんな薬効のあることが、日本薬学会のホームページに出ていました。秋の実も薬用酒になるそうです。
 
ナツグミ(夏茱萸)は唐茱萸、苗代茱萸などの仲間があり、その区別がよくわかりません。少年時代は俵茱萸と言ってよく食しました。花や葉や実に細かい斑点があるのが、茱萸の特徴です。

初夏にみずみずしい真っ赤な実をつけるヤマモモ(山桃)ですが、花はびっくりするほど地味な色です。調べたら雌雄異株でこれは雄花のようでした。

ムラサキケマン(紫華鬘)は全国に分布しているケシ科キケマン属の越年草。可憐な花ですが、全草に神経性毒のアルカロイド(プロトピン)を含む毒草です。

長い釣り糸から名前が付いたウラシマソウ(浦島草)は、四国や中国地方では絶滅危惧種に指定されているところもあるそうですが、幸いなことにこの近辺ではまだあちこちで群落も見かけられます。

ヒメオドリコソウ(姫踊子草)はヨーロッパ原産の外来種、笠をかぶった踊子のような花に見えるでしょうか?名前負けしそうですが…。

ヤシャブシ(夜叉五倍子)の花は近年花粉症の原因になるとされました。秋に同じ仲間のハンノキとそっくりの実を付けます。

ムスカリ、別名ブドウヒヤヒンスは30数年前から日本の園芸市場に出ましたが、日本の風土が気に入ったのか今では野生化しているのをよく見かけるようになりました。球根植物ですが種も飛んで増えるようです。

ぽつつりとおのが名知らぬ蛇苺  川島千枝
接骨木の花噴きあぐる立石寺  大坪景章
花終る浦島草は絲残す  高浜年尾
踊子草踊りしままに栞られて  稲畑廣太郎

春は花…徒然なるままに

2020年04月11日 | 季節の花

ますます感染が広がる新コロナウイルス、医療従事者のみなさんにご迷惑かけないように三密を避け、せめて身の回りで春を謳歌している花たちの写真でも撮っているしかありません。

いつもの散歩コースに黄色い花の群生がありました。
調べてみると、ノウルシ(野漆)というトウダイグサ科の多年草、蔓延る様子で外来種?と疑いましたが、在来種でしかも準絶滅危惧種に指定されているそうです。

なかなか豪華な花です。大きな花弁なようなものは、葉苞という花芽を保護するために葉が変形したものです。

名前の由来は、切ると白い液が出てきて、しかも漆のようにかぶれるということによります。有毒植物に分類されています。

花の形がとても面白い、輪生した5枚の葉の間から出た5本の枝先に、各3枚の葉苞が出て、そこから出た短い枝先にまた各2枚の葉苞が出て、その先にトウダイグサ科特有の花弁のない杯状花序が付きます。

日本の野生のスミレは約40~60種とされ、しかも交雑による変種も数十種あるといわれています。この近くで見られるスミレで多いのが、このスミレ科スミレ、まさしくスミレそのものです。

スミレの中にアリアケスミレが顔を出していました。

同じようにどこでも見かけるタチツボスミレ(立坪菫)、茎が立ち上がり庭(坪)に咲く菫という命名です。

タンポポ(蒲公英)は、繁殖力のより強い西洋タンポポが多くなってきましたが、場所によってはまだしっかりと縄張りを守っている日本タンポポも見かけられます。

見分け方は、花の付け根にある総苞片が反り返っているのが西洋タンポポ、上向きなのが日本タンポポです。

キランソウ(金瘡小草)、遠くから見るとスミレの群落に見えます。別名の「地獄の釜の蓋」のほうが知られています。葉や茎がべったりと地面に付く様子から、または薬効があるので地獄の窯へ行かずに済むから、という命名説があります。


枕石寺(常陸太田市)  親鸞聖人が石を枕に寝たという…

2020年04月08日 | 歴史散歩

浄土真宗24拝の第15番寺の枕石寺(ちんせきじ)は、倉田百三の「出家とその弟子」の中の「枕石事件」のストーリーの通り、親鸞の弟子入西房道円の開基として知られています。
それは建暦2年(1212)親鸞聖人が弟子と常陸国の教化途中、折からの吹雪に一夜の宿を求め、日野左衛門という武士の家の門を叩いたことから始まります。この男は文武両道に優れ京で北面の武士を務めていましたが、傲慢な素行のため常陸国に流罪にあっており、この地で門弟を抱え金貸しなども営んでおりました。

日野左衛門はその日、借金の取り立てがうまくいかず、やけ酒を飲んでいたところで、宿を断ってしまいました。聖人は仕方なく門前で石を枕に「寒くとも袂に入れよ西の風弥陀の国より吹くと思へば」と詠まれ、一夜を明かすことになりました。

その夜、日野左衛門の夢に観音菩薩が現れ門前に阿弥陀様がおられると告げられ、すぐに聖人を館に迎え入れ弟子となり入西房釈道円という法名を授けられたということです。

本尊は、延宝元年(1673)に水戸藩2代藩主光圀公が寄贈したという阿弥陀如来で、寺宝として親鸞の筆とされる六字名号、親鸞が大心海の文字を刻んだ枕石が所蔵されています。なお、この枕石は、年に一度、11月26日に公開されるそうです。

本堂わきには久慈川支流の山田川が流れています。
枕石寺は、親鸞が訪れた大門村から内田村に移り、そして天文9年(1541)、9代目道清法師の時に現在地の河合村(常陸太田市上河合町)に移転、建立以来実に808年の歴史をもつ名刹です。
延宝6年(1679)光圀公から「大門山」の山号と額が贈られたと伝えられます。

白山(213m)と白山神社 (城里町)

2020年04月06日 | 山歩き

またまた密集を避けての徘徊は、地元のあまり人気のない低山巡りです。
御前山の東隣にある赤沢富士(275.5m)と白山(213m)は、山桜の色がまだらに春の装いで覆われています。

この白山山頂の白山神社は、永正12年(1515)、全国に約3千社もある白山神社の総本宮で、石川県と岐阜県にまたがる白山(2702m)をご神体とする白山比咩神社(しらやまひめじんじゃ)の神を勧請したと伝わります。
神社への参道が登山道入り口になります。



この山麓一帯は信仰心の厚い土地柄なのでしょうか、山全体にいろんな神々が勧請されていて、参道には小さな祠や石仏などが並んでいます。

その一つ金精神社には、石のご神体が以前はもっと多く並んでいて目を惹きましたが、東日本大震災で倒れてしまったそうです。

距離は短くても急登が多く、一息入れて振り返ると那珂川がゆったりと流れていました。

この辺では標高が150m超える辺りから、トウゴクミツバツツジ(東国三葉躑躅)の群生が見られます。



山頂の白山神社の拝殿と本殿、建材はヘリコプターでも使って上げたのでしょうか、石灯篭などは倒れたままでした。
地元では「嵐よけ」の神として参拝されていたそうなので、コロナの嵐が早く収まるように手を合わせました。

センボンヤリ(千本槍)です。春と秋まるで違う花が咲く珍しい植物で、秋に春とは別の花茎を伸ばして咲く花は蕾のまま開かない閉鎖花で、そのままの茶色い穂先が大名行列の槍のようだと名が付きました。このような閉鎖花は、牧野富太郎博士によると日本では、11科14属19種に見られるということです。

苔玉になるような丸い苔のかたまり…調べてみるとアラハシラガゴケ(粗葉白髪苔)?でしょうか。仙人の名のようで親しみを感じました。

以前は御前山からの縦走で何度か訪れた山ですが、今回は駐車地点から標高差170mくらいの小登山、加齢による衰えを克服して小さな達成感を味わうことができました。


春が来た…自然はいつものように

2020年04月03日 | 山歩き

新コロナウイルスの蔓延が続き、行き場を失って久方ぶりに近くの野山を歩いてみました。驚いたことに、煙るような木々の間に山桜とコブシが咲きだし、もうしっかりと春の息吹に満ち溢れていました。

ニオイタチツボスミレ(匂立坪菫)でしょうか、普通のタチツボスミレより濃い紫色が目を惹きました。

クサボケ(草木瓜)はバラ科、日当たりのいい土手などに見られます。別名シドミ(蔀)は酸っぱい実を意味する「酸ドミ」が転訛したといわれます。

モミジイチゴ(紅葉苺)は葉の形から命名、初夏に黄色い実がなるので、キイチゴともよばれます。山野の苺ではいちばん美味しい少年時代のオヤツでした。

ショウジョウバカマ(猩猩袴)はユリ科、大酒飲みで赤い顔をした架空の動物「猩猩」とロゼット状の葉を袴に見立てた命名です。

さすがシンビジュウムの仲間でラン科の花、シュンラン(春蘭)は雑木林などでよく見ますが、地味ながら気品のある豪華な花です。

ミツバアケビ(三つ葉木通)は雌雄同株、垂れさがっているのは雄花です。

ウグイスカグラ(鴬神楽)、初夏の赤い実をウグイスが食べる様子が神楽を舞うようだというのが命名の由来とか、薄甘い味はいくつになっても郷愁を誘います。

春の山を彩るヤマツツジ(山躑躅)は、新緑によく似合うまさしく春の花です。

やがてすぐ野山は新緑に覆われる気配がいっぱいです。ウイルスは忘れて、ウグイスの初鳴き聞きながらつかの間の清涼感を満喫できました。
医療関係者のご苦労は察するに余りありますが、社会に貢献できなくなった世代のできることは「3密」を避けて、極力ご迷惑かけないように注意するしかありません。