草原に立っている一本の木を想像してみる。
普段は地上に出ている部分しか見えてないので、
葉っぱが増えたな、花が咲いたね、、、いや、花が枯れてしまった、葉っぱが落ちた、風で枝が折れた・・・
地上に出ている部分は、気候や風や雨など外的要因・・・つまり他者との関係性に左右されてる状況。
花が咲き、運が良いとか幸せだとか、花が枯れて運が悪いとか、不幸だと一喜一憂してしまう。
でも、自分で気温を司ることも、風を止めることは出来ないし、
花を永久的に咲かし続けることも不可能。
地上に出てる為、目に見えてる部分だから、捉えやすいけど、それはあくまで他力本願?であって、
自分でどうにか出来ない部分がほとんど。
・・・でもどうでしょう?
「根っこ」がしっかりしていれば、また花を咲かすことも出来るし、枝を伸ばすこともできます。
「根っこ=自分の心」と思えば、根っこさえしっかりしていれば自分でどうにか出来るし、
花が散った事を悲しいこととは思わなくても大丈夫。
しっかり水分や栄養(勉強や努力のこと)をとって、根を張って、根を太く成長させることで、
ぐんぐん地上の現実の部分も良くなっていく。常に根っこの部分を清く正しく美しく保つべし!
・・・と言うような自己啓発?倫理なんちゃらって言う会の講演ビデオをyoutubeで見た。
理屈はわかったけど、それって逆に言えば他者は全部必要ない、関係ない!って事じゃん。
唯我独尊・・・山奥で荒行を終えた高僧の悟りみたいで、なんか寂しい考え方だね。
ものすごく孤独であり、虚しくないかい?
花が咲いたら嬉しいし、枯れたら悲しいって事を素直に感じて、傷ついて、癒やされて
そんな繰り返しが、生きてるってことなのでは?
・・・とか思う。
ただ、この「根っこ」の考え方、捉え方をしたら、現実の世界はだいぶ楽にはなるよね。
楽になるのは、良いことなんかな?
良いことなんだよね?(^^)
ただ、楽に生きてるようにみえる人が、羨ましく思う気持ちが自分にあるのは間違いない。
要は、全無視! アウト オブ 眼中!
何も考えない、感じない 阿呆を装い、己だけを高めよ!って感じかな。
違うかな?
・・・違うね。(^_^;)