裏ユキヒロック

ロックとバイクとラーメンが大好きだ。

東京タイムトラベル2018 春 その2

2018年03月21日 | ひとりごと・日記
その1の続き。)

東京メトロ 銀座線 青山1丁目駅へ移動。。。移動してもいいどー! いいども!

青山通り、赤坂郵便局の前を通って、「高橋是清記念公園(たかはしこれきよ きねんこうえん)」へ。
え?寒い?じゃー、、、これ着よ!(このペースで駄洒落みたいなの入れてく気か?・・・正気か?)





高橋是清 記念公園とは
明治時代後期、日本の金融界の重鎮であり、大正から昭和初期にかけて首相、蔵相をつとめた政治家、高橋是清(1854~1936)の邸宅跡です。昭和13年、記念事業会が東京市に寄与して同16年に記念公園として開園し、昭和50年に港区が管理をするようになりました。
邸宅は移築され、現在では都立小金井公園内の「江戸東京たてもの園」にて公開されています。
大蔵大臣だった昭和11年に2月26日、赤坂にあったこの建物の2階で、陸軍皇道派の影響を受けた青年将校らによる「昭和維新断行・尊皇討奸」を掲げて起こしたクーデター未遂事件、俗に言う「2.26事件」により暗殺されました。


風貌が達磨に似ていたので、「だるまさん」と呼ばれ親しまれたらしいです。波乱万丈な人生で、12歳で渡米留学した時に、奴隷として売られたり、相場詐欺や銀鉱山の開発の詐欺など何度か全財産を失うことがあったそうです。達磨だけに七転び八起きな人生。日銀では手腕をふるい首相より、蔵相の時の方が評価が高いそうです。蔵相なのに、ずいんぶん、明るそうですよね。

そうなんです、ここで「ニ・ニ六事件」の舞台が登場しました。言わば事件の被害者側の史跡になります。この後、渋谷に移動しますが、そこで加害者側の史跡に立ち寄りますので「ニ・ニ六事件」の詳細はその時に詳しく。

駅に戻るようにして、今度は乃木神社へ、徒歩で・・・とほとほ移動。(とぼとぼ・・やね)

本来は寄る予定はなかったようですが、建築の仕事してる自分の「乃木 旧邸を見てみたい!」と言う希望で廻っていただけることに。

乃木希典とは? 
のぎまれすけ(1849―1912)
陸軍大将。嘉永(かえい)2年11月11日、長州藩士族乃木希次(まれつぐ)の三男として江戸藩邸に生まれる。萩(はぎ)(山口県萩市)の明倫館(めいりんかん)に学び、報国隊に属し、戊辰戦争(ぼしんせんそう)では東北を転戦。維新後、フランス式軍事教育を受け、1871年(明治4)陸軍少佐となる。西南戦争では歩兵一四連隊長として出陣、植木の戦いで西郷軍に軍旗を奪われ、自決を決意したが思いとどまった。1886年11月ドイツ留学、翌1887年6月帰国し、近衛(このえ)歩兵第二旅団長などを経て一時休職となったが歩兵第一旅団長に復職。日清戦争には第二軍に属し、戦争末期には第二師団長となり、台湾に進駐し、1896年に第3代台湾総督となった。日露戦争には第三軍司令官となり、大将に昇進、旅順(りょじゅん)を苦戦のすえに攻略。凱旋(がいせん)後、軍事参議官、1907年(明治40)には学習院長(昭和天皇の教育係とのことです)を兼任、伯爵を授けられる。1912年9月13日、明治天皇の大喪儀(たいそうぎ)当日 妻静子と自刃した。






留学中に見たフランス連隊本部を参考に設計した邸宅だそうです。横張りの黒い外壁が「っぽい」ですね。
この周辺は大使館とか多く、その昔はお屋敷ばかりなのでそれと比べるととてもコンパクトで質素過ぎる建物ですが、人柄が偲ばれます。



中には入れませんが、周囲を橋みたいなので囲んでいるので、中も窓越しに覗けるになってます。内部も質素ですが、キリッとした清潔感のある内装。





レンガ造りの馬小屋の方が立派なくらいです。


乃木神社の入口には枝垂れ桜が咲いてました。ソメイヨシノより早いようですね。



乃木坂46の由来になった「乃木坂」。それまでは「幽霊坂」などと呼ばれていたようですが、乃木将軍の名前をいただき、乃木坂になったそうです。 乃木神社の隣にはジャニーズ事務所があるそうで、平成の世では何故か?アイドルに縁のある乃木将軍。



そして、渋谷へ移動です。

東京メトロの銀座線の車両の黄色とえんじ色が可愛い。東京レトロな感じ。





・・・その3に続く。