テレビ見る時、「リモコンを離さない派」だ。
(その他にどんな派閥があるのか知らんけど)
CMになるとチャンネルをあっちこっち回しちゃうので
いつも家族から批難GOGO。
チャンネル権だけは、父親の唯一の特権であり、
誰人たりとも文句は言わせないのでR。
不要な亭主淡白ぶりじゃなく、関白ぶりのアピール・タ~イム?
なのですが、8月の第四週末のこの時期だけは、
どうも揺らいでしまう・・・
マラソンのゴールとサライの熱唱の時だけは、
女、子供(失礼)たちから、
「俺達にこのテレビ見せないと、何しでかすかわかんねーぜ!」
という熱い熱意というか、殺気に負けてしまう。
そう、昨日の日テレ24時間テレビだ。
「どうも好きになれない」
と言いつつ、毎年、延べ視聴時間の累計では、
結構見ちゃってしまっている。
「どうも好きになれない部分」を自己分析してみると、
言葉は悪いが「見世物小屋」と、どこが違うのか?
って、部分がどうしても引っかかるのだ。
病気の人や、障害のある人を見て
「可愛そう」って言いながら、尻をかきながら画面を見てる。
必至に走ってる姿や、歌ってる姿をビール飲みながら横になって見て
「感動と勇気を貰った」なんて言っちゃたりしてみる。
これって、他人の不幸を見て自分の幸せを確認する
作業なんじゃないの?って、思うわけです。
もうひとつは、
「誠意って?善意って?偽善って?何だろう?」なのです。
貧困にあえぐ子供達に食べ物や衣料・医薬品を与える!
福祉だ!弱者を救え!なんて言ってれば、それでいいのか?
本当に必要なのは、仕事だったり教育だったりするじゃないのかな?
「貧困があらゆる争いごとの原因だ」なんて言う人もいるけど、
本当にお腹の空いてる人は喧嘩なんかできない。
名誉とか宗派とか歴史とかとも言うけど、
末端の死んでいく人々は確かにこれは正しい聖戦だと、
教えられて犠牲になっていくだけで、
結局は「利権」争いなのではないのか?
もちろん、まったくデタラメな募金ではないでしょう。
集まった募金はきちんと必要な場所に配分されていると思うし、
そうあってほしい。
なにより大勢の「懸命さ」が集まって、
更に毎年「続ける」ってことが、どんなに大変で、どんなに意味のあることか?
ってのも解かるような気もする。
そこに純粋で必至に汗をかいている人がいればいるだけ、
それを利用しようとする人たちの、
ほくそ笑んだ顔が写り込んでる気もする。
故意でなくても、民間放送局の主体なんで、
当然、スポンサー企業の宣伝やイメージに利用されているよね。
(これは、ごくあたりまえですよね。)
そして、自己嫌悪ってか、自己矛盾ってか、
「嗚呼、どうして僕は、穿った見方しかできないのだろう?」
と、少し悩んでしまうのです。
どうしても「損得」でモノを判断してしまう自分がいる。
そんな薄っぺらな判断基準しか持ち合わせがない、
心の狭い人間なのだろうか?
けど「面白おかしくその時だけ、自分達だけが
楽しく生きていければいいのだ!」
「他の人なんか関係ねーぜ!」って風潮は、
良いとか悪いとかは別として主流とは言わないが、
本音は確かに多いと思し、それも「どうも好きになれない」とも思う。
なにより、僕みたいに何もしないで、何も見ようとしないで、
批判めいたことをほざいてる人間、傍観者を決め込んでる人間は、
なによりも卑怯だとも思う。
そう、そういう矛盾をいつもこの番組を見ていると、
突きつけられてしまう。
だったら、「見なきゃいいじゃん」なのですが、
見てしまった後に、「どうも好きになれない」なんて
中途半端な表現で逃げてしまうのでしょう。
本当は、この番組がどうのこうのでなく、
自分自身の矛盾が「どうも好きになれない」のだろう。
今年のテーマは、「生きる」とはなんぞや?
・・・禅問答みたいで馬鹿げている質問だと思うが、
竜馬の遺品を海底から引き上げる作業で、
東京都知事の息子さんが、カン高いハシャギ声を出してるのを聞いて、
少し安心したりもしたりするし、
それぞれが、それぞれに、なんだかよくわかんないことを
懸命にやっていて、それ自体に意味や使命なんてものが、
本当に必要なのかな~?って思うのです。
そんな矛盾の中で、葛藤して右往左往しているさまが、
まさに「生きる」なのでは? ・・・なんてね~
ただ、それが本当に「生きる」なのかな?
息をして、飯食って、寝て、起きて・・・それが生きてるってことなのかな?
そこで立ち止まって、足踏みのように思考を停止させていても、
な~んも変わらないのも確かだ。
こんな「僕 よくわかんな~いけど、今日もなんとか息してま~す」
などと幼稚なことを言ってないで、
そろそろ、一歩前へ進むべき時期なんだろうな~。
「僕は一体、何をするべきか? 一体 何ができるのだろうか?」
・・・とりあえず、目先の問題はあのTシャツに、
XLサイズがあるかどうかだな。
>いや、いや、別に黄色いTシャツ着なくても、
何かできるでしょう。(笑)
IT'S A YUKIHIROCK JOKE!
何事も、恰好から入りたいタイプなのです。あしからず・・・
(今日は、あくまで、自分自身に問いかけていますので、
軽く読み流してくださいね。
Unknownこと庵野さんとかのコメントいらないです。)
(その他にどんな派閥があるのか知らんけど)
CMになるとチャンネルをあっちこっち回しちゃうので
いつも家族から批難GOGO。
チャンネル権だけは、父親の唯一の特権であり、
誰人たりとも文句は言わせないのでR。
不要な亭主淡白ぶりじゃなく、関白ぶりのアピール・タ~イム?
なのですが、8月の第四週末のこの時期だけは、
どうも揺らいでしまう・・・
マラソンのゴールとサライの熱唱の時だけは、
女、子供(失礼)たちから、
「俺達にこのテレビ見せないと、何しでかすかわかんねーぜ!」
という熱い熱意というか、殺気に負けてしまう。
そう、昨日の日テレ24時間テレビだ。
「どうも好きになれない」
と言いつつ、毎年、延べ視聴時間の累計では、
結構見ちゃってしまっている。
「どうも好きになれない部分」を自己分析してみると、
言葉は悪いが「見世物小屋」と、どこが違うのか?
って、部分がどうしても引っかかるのだ。
病気の人や、障害のある人を見て
「可愛そう」って言いながら、尻をかきながら画面を見てる。
必至に走ってる姿や、歌ってる姿をビール飲みながら横になって見て
「感動と勇気を貰った」なんて言っちゃたりしてみる。
これって、他人の不幸を見て自分の幸せを確認する
作業なんじゃないの?って、思うわけです。
もうひとつは、
「誠意って?善意って?偽善って?何だろう?」なのです。
貧困にあえぐ子供達に食べ物や衣料・医薬品を与える!
福祉だ!弱者を救え!なんて言ってれば、それでいいのか?
本当に必要なのは、仕事だったり教育だったりするじゃないのかな?
「貧困があらゆる争いごとの原因だ」なんて言う人もいるけど、
本当にお腹の空いてる人は喧嘩なんかできない。
名誉とか宗派とか歴史とかとも言うけど、
末端の死んでいく人々は確かにこれは正しい聖戦だと、
教えられて犠牲になっていくだけで、
結局は「利権」争いなのではないのか?
もちろん、まったくデタラメな募金ではないでしょう。
集まった募金はきちんと必要な場所に配分されていると思うし、
そうあってほしい。
なにより大勢の「懸命さ」が集まって、
更に毎年「続ける」ってことが、どんなに大変で、どんなに意味のあることか?
ってのも解かるような気もする。
そこに純粋で必至に汗をかいている人がいればいるだけ、
それを利用しようとする人たちの、
ほくそ笑んだ顔が写り込んでる気もする。
故意でなくても、民間放送局の主体なんで、
当然、スポンサー企業の宣伝やイメージに利用されているよね。
(これは、ごくあたりまえですよね。)
そして、自己嫌悪ってか、自己矛盾ってか、
「嗚呼、どうして僕は、穿った見方しかできないのだろう?」
と、少し悩んでしまうのです。
どうしても「損得」でモノを判断してしまう自分がいる。
そんな薄っぺらな判断基準しか持ち合わせがない、
心の狭い人間なのだろうか?
けど「面白おかしくその時だけ、自分達だけが
楽しく生きていければいいのだ!」
「他の人なんか関係ねーぜ!」って風潮は、
良いとか悪いとかは別として主流とは言わないが、
本音は確かに多いと思し、それも「どうも好きになれない」とも思う。
なにより、僕みたいに何もしないで、何も見ようとしないで、
批判めいたことをほざいてる人間、傍観者を決め込んでる人間は、
なによりも卑怯だとも思う。
そう、そういう矛盾をいつもこの番組を見ていると、
突きつけられてしまう。
だったら、「見なきゃいいじゃん」なのですが、
見てしまった後に、「どうも好きになれない」なんて
中途半端な表現で逃げてしまうのでしょう。
本当は、この番組がどうのこうのでなく、
自分自身の矛盾が「どうも好きになれない」のだろう。
今年のテーマは、「生きる」とはなんぞや?
・・・禅問答みたいで馬鹿げている質問だと思うが、
竜馬の遺品を海底から引き上げる作業で、
東京都知事の息子さんが、カン高いハシャギ声を出してるのを聞いて、
少し安心したりもしたりするし、
それぞれが、それぞれに、なんだかよくわかんないことを
懸命にやっていて、それ自体に意味や使命なんてものが、
本当に必要なのかな~?って思うのです。
そんな矛盾の中で、葛藤して右往左往しているさまが、
まさに「生きる」なのでは? ・・・なんてね~
ただ、それが本当に「生きる」なのかな?
息をして、飯食って、寝て、起きて・・・それが生きてるってことなのかな?
そこで立ち止まって、足踏みのように思考を停止させていても、
な~んも変わらないのも確かだ。
こんな「僕 よくわかんな~いけど、今日もなんとか息してま~す」
などと幼稚なことを言ってないで、
そろそろ、一歩前へ進むべき時期なんだろうな~。
「僕は一体、何をするべきか? 一体 何ができるのだろうか?」
・・・とりあえず、目先の問題はあのTシャツに、
XLサイズがあるかどうかだな。
>いや、いや、別に黄色いTシャツ着なくても、
何かできるでしょう。(笑)
IT'S A YUKIHIROCK JOKE!
何事も、恰好から入りたいタイプなのです。あしからず・・・
(今日は、あくまで、自分自身に問いかけていますので、
軽く読み流してくださいね。
Unknownこと庵野さんとかのコメントいらないです。)