ブランキーの「ディズニーランドへ」を聴くと、
ひとりの友達(と言っても先輩なんだけど)を想い出す。
彼が逝ってから何年経つだろうか?・・・
20歳の頃、コンビニの店長をやってことがあった。
コンビニってさ、いろんな人が来るのです。
本一冊書けそうなくらいに、いろんな事があった。
その頃、社会人バンドをやっている
仲間達の中に入れてもらっていたのだが、
同じドラマーに、ほんと優しくて、気の良い人がいたんだ。
G.Sが好きで、何を言われてもニコニコ笑っているような人だった。
「精神を病んでいて、病院に通ってる」
と言うことを聞いたのは、出会ってから
そんなに時間が経ってなかったと思う。
今では理解も進みつつあり、「精神病」なんて言葉を
差別的に使う人も少なくなって来たが、
当時は身近にあまり聞いたこともなかったので、
「新鮮」ってのもオカシイが、「へェ~そうなんだ~」
ってくらいにしか思っていなかった。
調子の良い時と悪い時があったのか、
仕事も出来る状態じゃなかったようで、
暇を持て余し、よく僕のお店に遊びに来てくれていた。
他愛のないことを店の前で煙草をふかしながら
二人で話していたけど、
時々、目を真っ赤に充血して来たりした時もあって、
だんだんと来る回数も増えてきて、
「ちょっと面倒くさいな~」ってことを思うこともあった。
僕は、そのお店(雇われ店長だったけど、給料良かったのです)で、
お金を貯め、東京の専門学校に行く決心をしていたので、
2年くらいで辞めて上京し、彼ともそれっきりとなってしまった。
5年くらい前だっただろうか?
地元に戻って、今の建築の仕事に就職して
仕事が忙しく、仕事を覚えるのに必至だったので、
好きなバンド活動もやれなかったので疎遠のままだったが、
ある日、突然、彼のの訃報を聞いた。
明るかった彼の1回忌は湿っぽくやりたくない、
という主旨で、クリスマスも近い頃、
地元の喫茶店に、昔のバンド仲間が楽器を持って集まった時に、
僕も呼んでもらった。
それは、ほんとに楽しい時間だった。
楽器を弾きながら、みんなで歌ったりした。
皆、心の底から笑顔だった。
そして、
そこに飾られていたモノクロの写真の中で笑っている彼も
楽しそうに額が揺れていた。
・・・その晩にだいぶ酔って家に帰ってきた僕は、
ゴソゴソとブランキーを引張り出してきて、
「ディズニーランドへ」を聴いて泣いた。
・・・泣いたのは 哀しいからではない。
自分への怒りだった・・・
けど、僕は「彼の分まで」生きよう
なんて綺麗ごとは言わないし、思わない。
死んでしまったら終わりなのだ。
ただ、
僕はこの先、何十年生き続けられるか知らないが、
あんなに仲間達に自分の死を、
祝ってもらえる生き方ができるだろうか?
--------------------------------------------
でも僕は こう答えたんだ
もちろん行こうぜ 約束するよって・・・
でも僕はたぶん その約束を破る事になるだろう
彼は悲しくて 涙も流さないだろう
・・・そして僕は冷たい人間の仲間入りさ
・・・そして僕は冷たい人間の仲間入りさ
ひとりの友達(と言っても先輩なんだけど)を想い出す。
彼が逝ってから何年経つだろうか?・・・
20歳の頃、コンビニの店長をやってことがあった。
コンビニってさ、いろんな人が来るのです。
本一冊書けそうなくらいに、いろんな事があった。
その頃、社会人バンドをやっている
仲間達の中に入れてもらっていたのだが、
同じドラマーに、ほんと優しくて、気の良い人がいたんだ。
G.Sが好きで、何を言われてもニコニコ笑っているような人だった。
「精神を病んでいて、病院に通ってる」
と言うことを聞いたのは、出会ってから
そんなに時間が経ってなかったと思う。
今では理解も進みつつあり、「精神病」なんて言葉を
差別的に使う人も少なくなって来たが、
当時は身近にあまり聞いたこともなかったので、
「新鮮」ってのもオカシイが、「へェ~そうなんだ~」
ってくらいにしか思っていなかった。
調子の良い時と悪い時があったのか、
仕事も出来る状態じゃなかったようで、
暇を持て余し、よく僕のお店に遊びに来てくれていた。
他愛のないことを店の前で煙草をふかしながら
二人で話していたけど、
時々、目を真っ赤に充血して来たりした時もあって、
だんだんと来る回数も増えてきて、
「ちょっと面倒くさいな~」ってことを思うこともあった。
僕は、そのお店(雇われ店長だったけど、給料良かったのです)で、
お金を貯め、東京の専門学校に行く決心をしていたので、
2年くらいで辞めて上京し、彼ともそれっきりとなってしまった。
5年くらい前だっただろうか?
地元に戻って、今の建築の仕事に就職して
仕事が忙しく、仕事を覚えるのに必至だったので、
好きなバンド活動もやれなかったので疎遠のままだったが、
ある日、突然、彼のの訃報を聞いた。
明るかった彼の1回忌は湿っぽくやりたくない、
という主旨で、クリスマスも近い頃、
地元の喫茶店に、昔のバンド仲間が楽器を持って集まった時に、
僕も呼んでもらった。
それは、ほんとに楽しい時間だった。
楽器を弾きながら、みんなで歌ったりした。
皆、心の底から笑顔だった。
そして、
そこに飾られていたモノクロの写真の中で笑っている彼も
楽しそうに額が揺れていた。
・・・その晩にだいぶ酔って家に帰ってきた僕は、
ゴソゴソとブランキーを引張り出してきて、
「ディズニーランドへ」を聴いて泣いた。
・・・泣いたのは 哀しいからではない。
自分への怒りだった・・・
けど、僕は「彼の分まで」生きよう
なんて綺麗ごとは言わないし、思わない。
死んでしまったら終わりなのだ。
ただ、
僕はこの先、何十年生き続けられるか知らないが、
あんなに仲間達に自分の死を、
祝ってもらえる生き方ができるだろうか?
--------------------------------------------
でも僕は こう答えたんだ
もちろん行こうぜ 約束するよって・・・
でも僕はたぶん その約束を破る事になるだろう
彼は悲しくて 涙も流さないだろう
・・・そして僕は冷たい人間の仲間入りさ
・・・そして僕は冷たい人間の仲間入りさ