皆さんに背中押していただいたお陰で、
土曜日の夜は、がっちり飲みながら良い話ができました。
あ、今日は「自分劇場」の顛末記であります。
まず、ひとつだけ気が付いたのは、
彼と話す前までは、「自分劇場」の発想しかなかったですが、
実は、同じキャスティングで主役が入れ替わっている、
「他人劇場」ってのも同時上映されていた!という新事実。
よく考えれば、当たり前のことなんだけど、
自分が主役の劇があれば、それと同時に相手が主役の劇ってのも
あって、そこでは僕が脇役になってる訳ですね、
それは同時刻に同じセリフで同じセットの舞台で展開されるのだが、
内容はまったく違う劇になっている。
まず持って訂正とお詫びからさせてもらうと・・・
>どこか、最後は逃げてしまう部分がすごく見えてきてしまって、
>最近は、ちょっとした不協和音も無きにしもあらずだったんだが、
>それはあくまで仕事上のことで、個人的にはワダカマリはなかったつもりだった。
の部分ですが、全然、そうではなく、
「きちんと逃げずに責任をとる方」でした。
ここのところは、ほんと申し訳ない。全然違ったので訂正させてください。
で、この話は少し複雑なので話の概略を説明します。
僕らは建設会社に勤めてるのですが、彼は営業で、僕は施工管理。
施工管理と言ってもいろいろな立場があるのですが、
ちょっと説明しにくいので、いつも人に聞かれると
「現場監督で~す!」って簡単に言うんだけど、
正確には「現場代理人」といいまして、見積りや予算組、
下請会社の選定、交渉、工期、工程管理、安全管理、利益確保など、
いち社員なのですが、責任や権限は経営者の社長の代理として、
執行する立場におります。
動かす金額も何十万~何億って金額になることもあります。
会社を辞める方は、大手のゼネコンにいて現場もわかるし、
今は営業としてこの会社に勤めていたのですが、
僕が今の会社に入った時に一緒に、すごく競争の激しい叩き合いの
1億ちょい超の物件を、受注競争から工事完了~精算まで、
営業と施工管理という立場の違いを超えて、励ましあったり、叱咤したり、
時には利益だけを追求する会社に対して説得したり、宥めたりして、
一緒に頑張ってきた経緯があって、結果も頑張った甲斐あって、
良い方向に出てうまくいった。
僕も「やれるんじゃないか?」と思ってはいたけど、
実際にここまで本気にやったことがなく、
その実体験、経験がすごく自信に繋がったし、すごく後押ししてくれ、
今に繋がっておりまして、お互いにすごく信頼関係があったと思っていたのです。
「不協和音」の発端は、直接私が関わっていないのですが、
ある下請業者に営業が手直し工事を指示してその代金が、
1年くらい未払いのままで、毎月請求書が棚上げになってる物件があり、
会社に対して、その方も事情を説明し何度も払うように働きがけしてたのも
知っていたのですが、偶然、その業者とは前の会社から縁があって、
私の所に「なんとかしてくれ~」と頼みこまれ、
彼に「ちゃんとしてあげてください」と強く言ったことが
原因になっていたし、まだその辺もウヤムヤにしたまま
退社を考えてると思っていた。
工事を行った業者への支払いは当然のことなので、
私は「あたりまえのことを言ったまで」と気にもとめてなかったんだけど、
実はその後、そのお金を「個人的に払った」ということ、(しかも 40万も?!)
土曜日に初めて本人から聞いた。
「え~なんで、会社に払ってもらうのが筋でしょう?」
って気持ちと、その前に他の現場でなんとでもしてあげれる立場なんで
「私に相談してくれたらいいのに~」という
ふたつの「何でやねん」の話なのだが、
土曜日誘わずに、又、誘っても断られていたら、
一生聞くことはなかった話だと思うのだが、(ちょい複雑な気持ちはあるが)
その話を聞けてよかった。
で、思ったのが「同時上映・他人劇場」なのでして、
>どこか、最後は逃げてしまう部分がすごく見えてきて
は、完全に間違いで、やり方は問題あるけど、
「ちゃんと彼なりに逃げずに責任はとっていた」ということは、
きちんと訂正とお詫びをしなきゃいけない。
「不協和音」ってのは、お互いにこのことを「気の使い方」と称して、
黙っていた点ということになる。
互いのセリフが「知らない、言わない」んだから、
劇の内容もどんどんすれ違っていくわけです。
そこらへんの話とか、これからの事とか、きっちり
お互いに腹を割った話(3段腹でなく・・ちゃかして ごめんね とよ兄)
が、できて本当に良かった。
今回のことは、「前に進む」という前向きな転職であることも確認できて良かった。
「縁」ってお互いの持ってるジグゾーパズルのピースを交換しあう
ことなんだそうだ。(丁度、土曜のお昼のFMラジオのEPOの散歩道で言ってた)
あのまま、誤解したまま間違った形のピースを貰ったり、渡さなくて良かったと思う。
はて、どんぐらい飲んだかな?
昨日は二日酔いで寝てた。
生きてくってのは、いい意味でも悪い意味でも、
他人に迷惑をかけることなんだとは思っていて、
それを恐れていたら、何も出来ないし、何もやる意味がない。
その「かけた迷惑」の分は、別のかたちであったとしても、
きちんと返して生きたいとは思っていて、
そういう覚悟を持っていたつもりでいたけど、
「他人劇場での自分の暴人悪人、大根役者ぶり」ってのを見せられると
やっぱ凹むなー。
「昨日のすまないと思う気持ちを、明日への励みにして行こう!」
結局、それしか出来ないし、ないんだよね。
別れは寂しいが・・・また笑顔で再会できることを祈って
お互い頑張りましょう!!
いざ さらば!
土曜日の夜は、がっちり飲みながら良い話ができました。
あ、今日は「自分劇場」の顛末記であります。
まず、ひとつだけ気が付いたのは、
彼と話す前までは、「自分劇場」の発想しかなかったですが、
実は、同じキャスティングで主役が入れ替わっている、
「他人劇場」ってのも同時上映されていた!という新事実。
よく考えれば、当たり前のことなんだけど、
自分が主役の劇があれば、それと同時に相手が主役の劇ってのも
あって、そこでは僕が脇役になってる訳ですね、
それは同時刻に同じセリフで同じセットの舞台で展開されるのだが、
内容はまったく違う劇になっている。
まず持って訂正とお詫びからさせてもらうと・・・
>どこか、最後は逃げてしまう部分がすごく見えてきてしまって、
>最近は、ちょっとした不協和音も無きにしもあらずだったんだが、
>それはあくまで仕事上のことで、個人的にはワダカマリはなかったつもりだった。
の部分ですが、全然、そうではなく、
「きちんと逃げずに責任をとる方」でした。
ここのところは、ほんと申し訳ない。全然違ったので訂正させてください。
で、この話は少し複雑なので話の概略を説明します。
僕らは建設会社に勤めてるのですが、彼は営業で、僕は施工管理。
施工管理と言ってもいろいろな立場があるのですが、
ちょっと説明しにくいので、いつも人に聞かれると
「現場監督で~す!」って簡単に言うんだけど、
正確には「現場代理人」といいまして、見積りや予算組、
下請会社の選定、交渉、工期、工程管理、安全管理、利益確保など、
いち社員なのですが、責任や権限は経営者の社長の代理として、
執行する立場におります。
動かす金額も何十万~何億って金額になることもあります。
会社を辞める方は、大手のゼネコンにいて現場もわかるし、
今は営業としてこの会社に勤めていたのですが、
僕が今の会社に入った時に一緒に、すごく競争の激しい叩き合いの
1億ちょい超の物件を、受注競争から工事完了~精算まで、
営業と施工管理という立場の違いを超えて、励ましあったり、叱咤したり、
時には利益だけを追求する会社に対して説得したり、宥めたりして、
一緒に頑張ってきた経緯があって、結果も頑張った甲斐あって、
良い方向に出てうまくいった。
僕も「やれるんじゃないか?」と思ってはいたけど、
実際にここまで本気にやったことがなく、
その実体験、経験がすごく自信に繋がったし、すごく後押ししてくれ、
今に繋がっておりまして、お互いにすごく信頼関係があったと思っていたのです。
「不協和音」の発端は、直接私が関わっていないのですが、
ある下請業者に営業が手直し工事を指示してその代金が、
1年くらい未払いのままで、毎月請求書が棚上げになってる物件があり、
会社に対して、その方も事情を説明し何度も払うように働きがけしてたのも
知っていたのですが、偶然、その業者とは前の会社から縁があって、
私の所に「なんとかしてくれ~」と頼みこまれ、
彼に「ちゃんとしてあげてください」と強く言ったことが
原因になっていたし、まだその辺もウヤムヤにしたまま
退社を考えてると思っていた。
工事を行った業者への支払いは当然のことなので、
私は「あたりまえのことを言ったまで」と気にもとめてなかったんだけど、
実はその後、そのお金を「個人的に払った」ということ、(しかも 40万も?!)
土曜日に初めて本人から聞いた。
「え~なんで、会社に払ってもらうのが筋でしょう?」
って気持ちと、その前に他の現場でなんとでもしてあげれる立場なんで
「私に相談してくれたらいいのに~」という
ふたつの「何でやねん」の話なのだが、
土曜日誘わずに、又、誘っても断られていたら、
一生聞くことはなかった話だと思うのだが、(ちょい複雑な気持ちはあるが)
その話を聞けてよかった。
で、思ったのが「同時上映・他人劇場」なのでして、
>どこか、最後は逃げてしまう部分がすごく見えてきて
は、完全に間違いで、やり方は問題あるけど、
「ちゃんと彼なりに逃げずに責任はとっていた」ということは、
きちんと訂正とお詫びをしなきゃいけない。
「不協和音」ってのは、お互いにこのことを「気の使い方」と称して、
黙っていた点ということになる。
互いのセリフが「知らない、言わない」んだから、
劇の内容もどんどんすれ違っていくわけです。
そこらへんの話とか、これからの事とか、きっちり
お互いに腹を割った話(3段腹でなく・・ちゃかして ごめんね とよ兄)
が、できて本当に良かった。
今回のことは、「前に進む」という前向きな転職であることも確認できて良かった。
「縁」ってお互いの持ってるジグゾーパズルのピースを交換しあう
ことなんだそうだ。(丁度、土曜のお昼のFMラジオのEPOの散歩道で言ってた)
あのまま、誤解したまま間違った形のピースを貰ったり、渡さなくて良かったと思う。
はて、どんぐらい飲んだかな?
昨日は二日酔いで寝てた。
生きてくってのは、いい意味でも悪い意味でも、
他人に迷惑をかけることなんだとは思っていて、
それを恐れていたら、何も出来ないし、何もやる意味がない。
その「かけた迷惑」の分は、別のかたちであったとしても、
きちんと返して生きたいとは思っていて、
そういう覚悟を持っていたつもりでいたけど、
「他人劇場での自分の暴人悪人、大根役者ぶり」ってのを見せられると
やっぱ凹むなー。
「昨日のすまないと思う気持ちを、明日への励みにして行こう!」
結局、それしか出来ないし、ないんだよね。
別れは寂しいが・・・また笑顔で再会できることを祈って
お互い頑張りましょう!!
いざ さらば!
>他人に迷惑をかけることなんだとは思っていて、
>それを恐れていたら、何も出来ないし、何もやる意味がない。
うん。ワシよく巻き込む、巻き込まれる、つー使い方
すんだども
それと近い表現なのかね、どーだろう?
巻き込む内容がハッピーじゃない場合は特に、巻き込んだ相手に対して「済まぬ」と自覚していたいし、また相手にその気持ちを伝えたい。と自分は考える。
>その「かけた迷惑」の分は、別のかたちであったとしても・・・
やっぱり相手がピンチとなった際には巻き込んでくれと願うし、自分ができること、考えたり動いたりしたいと伝えたい。どっかで返したい。
時に非力さを痛感することもあるけど。
>「他人劇場での自分の暴人悪人、大根役者ぶり」
それは、ヅカっちにしても彼に不協和音を感じていたのでしょ?
あなたの劇場から観た彼は、やっぱり大根役者になっていたんではないの。
言わないし、そしたら解らないのは互いに当然なんだしさ。
凹むのは、腑に落ちなかった部分がほどけて見えた時の
ショックなんかなー。
自分の行いを省みられるから、そういう視点を持ってテメエを
観られるから、凹むんじゃないかな。
なんでも自分の都合の良いようにしか取れない発想力の貧困な野郎より
ワシは良いと思うんじゃ。
喜怒哀楽、他人のそれに関わったり、また関わってもらったりしていけるのが
(支柱は内にあるとしても)自分を形成するパーツになってくと感じる。
・・・ぜんっぜん、まとめようがなくなってますが(^o^;)
行き違いのパズルじゃなくなっただけでも
やっぱあなたは、人間関係を修復、改善していく力を
自分の能力として身に付けているんだと尊敬しておりますよ。
分けてくれ、肉ごと!!
ほんとに酔っ払って、相手は、な~んも
覚えてないかもしれないが、
例えそうであっても、最後に一緒に飲んだという事実は少なくとも覚えてくれていると思う。
いや、また「他人劇場」視点からいけば、
相手は、はた迷惑だったやもしれないけど、
僕のピースの形は、これしかなかったってことで・・・。
ピースの形を無理やり相手の形に
切り合わせたり、
付いてる色を漂白剤や洗剤で
洗ったりしない方が良いと思うけど、
歳を重ねたり、真剣に相手のことを思いやったりすると、自然に少しづつ角が取れて、
ピッタシの形になることもあるんではないか?と思う。
自宅に会社関係の人を招くのが嫌というか、
下手なんだけど、もし迷ったり悩んだりしたら、
「今度は家に遊びに来いよ!」って言ってくれたのはすごく有難かった。
20歳以上も歳が違うのに・・・有難いですね。
誉めてもらって恐縮ですが、
特別に人間関係の修復・改善能力ってのはないよ。
ただ、今回は皆が後押ししてくれたお陰です。
もっと若い時は恥じのかきっ放し、
迷惑のかけっ放しでこれたけど、
そろそろきちんと、筋は通していかないと・・・って感じですかね。
目をみて、膝を交えて話すってのは、
やはり、大事なんだ~と
いうことは、今回強く感じました。
本人に直接的な恩返しはできなくても、
それによって自分が
これからの道筋を正して生きてくってことが、きっと恩返しになるんだと信じています。
若いのに、あんまし考えすぎて、
生臭坊主みたいなことを言ってんなよ!って笑われたけどね。
最後はそういうキャラなんで☆テヘって感じでした。
ということで、今回の件は、
サンキュー ヤエっち!ということで!
>実は、同じキャスティングで主役が入れ替わっている、
>「他人劇場」ってのも同時上映されていた!という新事実。
なんですよね。ココって以外と気づかないんだけど、
「相手がいて、自分がいて、初めてなりたつ」じゃないっすか。でも、上のコメでネェが言ってるけど、
「自分が中心の太陽」じゃ無いって事を、少なくとも
あにぃは感じたじゃないっすか?
そこでの「相手の舞台」での演じ方というか、
「相手側に立てる」って事が人として重要な気がしたんですね。オイラは。それもデキねぇやつも多いのが事実だし。
>あのまま、誤解したまま間違った形のピースを貰ったり、渡さなくて良かったと思う
と思えるのは、やっぱりまず「相手が認められる人」というか、しっかりした(年上に向かってなので失礼承知で書きます)方だったの言うのが、まず前提であると思うんですね。その上で、きちっとした「腹割った話」が出来たから、「自分の劇場」と「他人の劇場」での誤差を埋められたんじゃないかなって。
コレを埋められないでずーっと目をつぶって過ごしたら、きっといつまでたってもどっかに「後悔」というか「悲しみ」がついてくる訳じゃないすか。
けど、今回の話でそこの「わだかまり」は溶けたのだから、あにぃにとっても、その方にとっても「これから」を
お互いが初めてきちっと目を向けられるんじゃないかと。
それが「出来る」人と「出来ない」人は、最終的な人生の過ごし方はきっと全く違っちゃうんだろうなぁと。
生意気小僧の言葉になっちまいました。
きちんと理解しようとしてくれて
本当にありがとうございます。
「人の痛みをわかる人、わかろうとする人」
というのは尊敬に価すると思っています。
簡単に「優しい人」と言っちゃうと
なんだか安っぽくなってしまう。
「迷惑」って言葉が適切じゃ
ないような気もするが、ボキャブラリー狭いので・・・
「人に迷惑をかける大人にだけは、なってはいけない」
と子供に教える大人も多いけど、
犯罪とかはもちろん別として、
迷惑をかけて、かけられてこそ
人と人なんだと思うようになってきた。
ただ、その時に伴う、痛みや、
深さがわかる人にはならなきゃいけないと思った。
渡り鳥はあんな小さい鳥が、
地球を半周したりするじゃないですか。
長距離飛行の秘訣は、V字に編隊を組んで飛ぶんだそうな。
先頭を飛んでる鳥は風をまともに受けてシンドイ。
疲れた鳥は後ろに廻り、前を飛んでる鳥の上昇気流で楽に飛べるようになり、
そうやってお互い助け合って
長距離飛行をして進むそうです。
大事なのは、
お互いに自分の翼で空を飛んでいるという前提はあるということ。
自分でやれること、やるべきことをきちんとやっていてこそ、
人に助けてもらえるんだろう。
今回の件、無理やり
「ちょっといい話」にしてしまったな。
自分の力で飛んでいる、
痛みのわかる人たちに、背中押してもらえて、
ほんとに良かったです。
ありがとうございました!!
誰でも正しく生きようとしているけど、生き方に無知なんだよ。無知で失敗し、失敗を取り戻そうとまた間違いをする。悲しいね。
他人を誤解し、誤解に仕返しをして絡まった糸がほどけなくなる。
酒飲んで話し合う機会が持てたってことは幸運だね。
自分にとって、悪か正義か?は、
自分劇場では相手が悪であっても、
その裏でやってる他人劇場では、
自分が悪になってる訳で・・・。
表裏は一体なのですよね。
更に「無知ってのは罪」ってのは感じます。
もっと知ろうとしたり、知る努力は必要ですね。
今回は話し合う機会が持ててホントに良かったです。
確かに誤解が絡まりすぎると、
その機会すら持てない時もありますもんね。
せっかくのお誘いでしたが、
さすがに、送別会を2回もするのは
「そんなに送別会 面白いか?」みたいにとられ、
オカシイ人だと思われそうで・・・。
今回の件、ちょいオーバーに書きすぎた
部分もあるのですが・・・
こう見えて、結構 悩んでいるのですよ~♪
またお気づきの点ございましたら、
コメントお願い致します。