一人暮らしの台所事情

2018年4月からストレスによる耳鳴り(頭鳴り)を発症。13年間の降圧剤の服用を止めます。

自分の性格が初めてわかって涙した

2019年05月16日 | 妄想日記



まだ心の整理が出来ていないが、今日もまた、目から鱗の体験
スピリチュアルヒーリングを受けた際、気になっていたことがあった
なぜか、心の中にどんどん膨らんできて、いっそ吐き出したほうが楽かなと思った

それが思わぬ結果となった。私が一人で誤解していたのだった
もっと早くに聞いていれば、こんなことにはならなかったのに、とはいえ
このことにより、自分のことがよく分かった次第なのである

素直な人と自己の強い人、とすれば、私は後者であると思った
昨年、長男に言われた言葉を想い出した

「おかーさん、たまには僕のいう事を聞いて!」
などと、とんちんかんなことを言い出したので、
私ってそんなに聞き分けのない母親だったのか?
まるで他人事のように聞いていた

それが図星だったのである…

そのこともあって、久しぶりにYさんにメールをした
相変わらず、こちらはもっと、とんちんかんであった
もうメールをすることはないだろう
あまりにも会話が成り立たなかった。天性のボケかましか

姉にメールをしてみた。まだ返事はない
自分の事って、本当に見えないし、わからないもの
確かに素直さはない、自己主張が強い、だから医師にも煙たがれる

確か、ポスターに「素直が一番」って書いたこともあった
だから自分が疲れるのか、と思った
自己が強い、と気づいた瞬間、涙が止まらなくなった

ティッシュで、何回も鼻をかんだ
何故、こんなにも涙が出るのかわからなかった
そして、その後、気づいた。私の病が治らない原因て、もしかして、このことなの?

その後、またメールをしていた。結果はわからない、だめかもしれない
それでもいい。自分のこと、気づいたから、傷ついてもよかったと思った

たったこれだけのことで傷ついていたら、命足りないもの
自分の愚かさをしみじみと感じた
私って、大人のようで子供じみている

なんでこんなに精神的に成長がないのだろう、と思った
私は3歳のころの記憶が一つだけ残っていた
それも3歳かどうかも定かではない

ただ、なんとなくその場面と3歳としか、覚えていないのだ
母親に言わせれば、私は体が弱かったので、1年遅れて小学校に入学させたらしい
それってもしかして、頭悪すぎて、入れなかったってことじゃないのか?

ずっとその違和感が消えなく、小さい頃の記憶も断片的
姉、兄と遊んだ記憶も全くないし、すぐ上の姉は私と登校したことは一度もなかった
姉は性格的にはかなりきつくて、何かあるたびに、小言を言われていた

たとえば、夜中に歯ぎしりするな、とか、勝手にパンツを持っていくな、とか
年の離れた兄と姉は見向きもしない、会話もきょうだいという会話ではなかった
確かに家庭環境は複雑だったが、きょうだい仲良く、なんて言葉は全く実在しなかった

たぶん、私が忘れているだけなのだと思うけど
中学生になると、制服でスカートを履きます
黒のストッキングを履いたら、姉がすかさず、こういった

「脚、ほそっ!」

言われるまで気づかなかったのだが、確かにそれまでの私は体も痩せていた
自分の体形に興味を持ったこともなかった
私は何を考えて生きていたのか、本当に覚えていないのだ

かすかに、同級生の男の子と仲良く遊んだ記憶があって、
放課後、自転車の後ろに乗せて貰って、家まで送ってもらったりしていた
その男の子が私に好意があることにも気づかなかった

ある日、遊びでその子のほっぺをたたいた
冗談のつもりだったのに、それ以降、その男の子とは離れた
私がたたいたことにショックを受けたのだろう

それからしばらくして、その男の子は、彼女ができていた
男の子は積極的な性格ではなかったが、ふ~ん、という感じで私は見ていた
なるほいど、女の子はやっぱり女の子らしいほうが、いいんだ、とその時悟った

もう手遅れだったけど、もったいないことをしたのか、わたし?
でも人前でベタベタするのは嫌いだったので、好きとか嫌いとかの気持ちはなかった

そうして中学生になって、バスケ部に入った
弱小チームまっしぐらだったが、その頃から太り出した
クラスは違うが、同じバスケ部ともいざこざがあった

当時、練習中に、水を飲んではいけない、と言われた時代だった
一応、昭和の時代である…



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