広島新四国八十八ヶ所霊場第四番薬師寺から第三番光妙院に行く途中にみた石碑でした。
揮毫した人物が嘉納治五郎という処に目が行きましたので立ち止り撮影しました。
3月に尾道市で、西郷四郎逝去之地碑で、大正12年1月14日講道館師範嘉納治五郎をみて碑文を頼まれれば撰していたことを知りましたので、
ここ大竹市の中川保太郎先生之碑を揮毫してもと思ったのです。
碑文を読んでいると、中川保太郎は、広島の山中権八郎の門下となりとありました。
山中権八郎、何処かでみた名前だと思ったのですが、その時は思い出せなかったのですが、帰宅後わが町の矢口神社の「(静川源太郎翁)武徳碑」の碑文の中に『・・・山中権八郎極司箭流奥技名聞・・・』とありましたので、有名な武道家だったことがわかりました。
中川保太郎先生之碑
広島ぶらり散歩「大竹市」編
揮毫した人物が嘉納治五郎という処に目が行きましたので立ち止り撮影しました。
3月に尾道市で、西郷四郎逝去之地碑で、大正12年1月14日講道館師範嘉納治五郎をみて碑文を頼まれれば撰していたことを知りましたので、
ここ大竹市の中川保太郎先生之碑を揮毫してもと思ったのです。
碑文を読んでいると、中川保太郎は、広島の山中権八郎の門下となりとありました。
山中権八郎、何処かでみた名前だと思ったのですが、その時は思い出せなかったのですが、帰宅後わが町の矢口神社の「(静川源太郎翁)武徳碑」の碑文の中に『・・・山中権八郎極司箭流奥技名聞・・・』とありましたので、有名な武道家だったことがわかりました。
中川保太郎先生之碑
広島ぶらり散歩「大竹市」編