中区舟入南の(株)桐原容器工業所にモニュメントとして残されている「被爆したレンガ壁」の一部です。
『爆心地から約2,460m
このレンガ壁は、1900年より前に建設された建物内で、戦前、樽用木材の乾燥室の外壁として使用していたものです。
被爆時、この倉庫を含む工場の屋根は吹き飛ばされましたが、レンガ壁は爆風に耐え、2013(平成25)年の新工場建設時まで姿を残していました。』
ここ桐原容器工業所へは2008年4月でしたか、まだ建物の壁として残っていた時で、
会社入口に居られた社員の方に見学と撮影をお願いしたのですが、
『あなたは何処かの平和活動している会の人ですか?』と尋ねられたので、「わたしは、単なる広島市民で平和活動家ではないです。」と答えたら、見学・撮影(の案内)は出来ませんと断れたことがあったのです。
“被爆した壁を撮影できなかった”そのような残念な思い出を拭い去ることができないまま、
今年(2022年)になってモニュメントになったこの被爆壁の一部を撮影し頁を編集したのです。
(裕編集の)(桐原容器工業所)被爆煉瓦のモニュメント
『爆心地から約2,460m
このレンガ壁は、1900年より前に建設された建物内で、戦前、樽用木材の乾燥室の外壁として使用していたものです。
被爆時、この倉庫を含む工場の屋根は吹き飛ばされましたが、レンガ壁は爆風に耐え、2013(平成25)年の新工場建設時まで姿を残していました。』
ここ桐原容器工業所へは2008年4月でしたか、まだ建物の壁として残っていた時で、
会社入口に居られた社員の方に見学と撮影をお願いしたのですが、
『あなたは何処かの平和活動している会の人ですか?』と尋ねられたので、「わたしは、単なる広島市民で平和活動家ではないです。」と答えたら、見学・撮影(の案内)は出来ませんと断れたことがあったのです。
“被爆した壁を撮影できなかった”そのような残念な思い出を拭い去ることができないまま、
今年(2022年)になってモニュメントになったこの被爆壁の一部を撮影し頁を編集したのです。
(裕編集の)(桐原容器工業所)被爆煉瓦のモニュメント
8月9日長崎原爆忌
(安芸区のわが家付近)天候:くもり
28.9℃、81%