中区東白島の現在・日本郵政グループ広島ビル前庭に残されている「旧・広島逓信局で被爆した階段(の一部)」です。
※この(保存されている)階段の一部は、旧広島逓信局(玄関ホールにあった)の階段を復元したものです。
※爆心地から≒1,380m(被爆当時町名は基町でした)
※旧広島逓信局は、1933(昭和8)年3月竣工、1075(昭和50)年6月解体。
側壁に“逓信局の被爆状況”パネルが設置されています。
2006年撮影し頁を編集しました。
コロナ禍の2021年訪ね撮影していましたので、編集頁を更新しました。
(裕編集の)(旧・広島逓信局)被爆した階段
※この(保存されている)階段の一部は、旧広島逓信局(玄関ホールにあった)の階段を復元したものです。
※爆心地から≒1,380m(被爆当時町名は基町でした)
※旧広島逓信局は、1933(昭和8)年3月竣工、1075(昭和50)年6月解体。
側壁に“逓信局の被爆状況”パネルが設置されています。
2006年撮影し頁を編集しました。
コロナ禍の2021年訪ね撮影していましたので、編集頁を更新しました。
(裕編集の)(旧・広島逓信局)被爆した階段
7月28日(安芸区のわが家付近)天候:はれ
時を経ていくと共に原爆の記憶が薄れていくのが心配です。
誰にでも目に付くように保存されることは大変意義深いものと思います。
親から子へ世代を超えて受け継がれていくことが大切ですね
郵政民有化でこれからの保存がどうなるのか?と思って時々みているので記事にしましたが。
隣の逓信病院が(民間医療機関に)売却されるというニュースを今朝中國新聞記事で知りましたので、なおさらです。
逓信病院前には、原爆被災説明板が設置されていますから。
風化を嘆く人も居られますが、
嘆く暇があったら自分で出来ることを少しでも行動に移したらとわたしは思うのですが。