住職のひとりごと

広島県福山市神辺町にある備後國分寺から配信する
住職のひとりごと
幅広く仏教について考える

この世の流れ2 ジェームス・ブラントの思い

2006年12月25日 09時06分18秒 | 様々な出来事について
前編は昨年の12月15日に書いた。福山市庁の前庭に大きなクリスマスツリーが飾られたとの新聞記事に触発されて書いたものだ。私たちはクリスマスを何のためにするのだろう。クリスマスとは何かを知っているのであろうか。

私たちはその意味、意義さえも知らずにただ真似事をしているに過ぎない。誠におめでたい、軽薄さの中に生きている。外の人たちにはどう見られているであろうか。しかしこの国の多くの人たちはそんなことに気づかない。無頓着の中に生きている。だから、毎年この時期になると同じ事を思い、憂鬱な気分になる。私たちはこんな事で良いのだろうか。

ジェームス・ブラントという英国の歌手をご存知だろうか。彼は、コソボの平和維持軍の将校として3000人の部隊を率いた軍人だった。彼がデビューして何年経つのだろう。昨年欧米で大変な支持を受けて一躍有名歌手となり、今年になって日本ではドラマの挿入歌として流れブレイクした。

彼の歌う曲は、甘い恋人に語りかける恋歌の中に、この世のどうしようもない無力感、時代の耐え難い矛盾を聞く人に訴えかけているようだ。コソボで軍靴を履きながら眠る部下たちを眺めつつ曲を書き歌った。

私たちは何をやっているのか。何のために殺し合うのか。誰もが平和を望んでいながら死と隣り合わせに生きなければならない境遇をどうしたらいいというのか。だからこそ彼の曲は多くの人々の心を打つのだろう。

死の淵にある人たち、平和に暮らしていてもこの世の中の成り立ちに気づきつつある人々は、彼の書く歌詞に共鳴せざるを得ないのであろう。「Back to Bedlam」彼のデビューアルバムのタイトルである。「精神病院にもどれ」とでも訳すのであろうか。

このタイトルを見て多くの人々は何を思うであろう。タイトルへの思いについてインタビューで聞かれた彼がその真意を語ることは出来ない。そこで、私の思い入れと彼が見ていた世界の情景を思い浮かべながら、このアルバムタイトルに込めた彼の思いを私流に勝手に解釈してみよう。

 「私たちはみんな誰もが心を病んでいる。

  為政者たちよ、この世界をどうしようというのか。
 あなたたちのしていることを私は知っている。
 しなかったことも。これからしようとしていることも。
 私たちはしっかりとこの瞼に焼き付かせ語り継ごう。

 戦争のまっただ中で命と引き替えに生きる人々はみんな知っている。
 誰がいかれているのかを。
 あなたたちこそ精神病院に入るべきだ。

 そして誰もが分からなくなって精神が犯されている
 この世の中に生きる人々よ、一度自分を疑ってみよう。
 私もおかしいのではないかと。

 この地上に生きる人々よ。
 何の不安も感じないでいられる今の幸せを大切に。
 それでも、私は歌う。
 すべての人たちの覚醒と未来のために。」

欧米の多くの彼を支持し彼の曲を聴く人たちの思いは様々であろう。しかし、そもそも音楽とはこのようなものではなかったか。心の奥底からわき上がる思いの丈を、このどうしようもない思いを歌にして多くの人たちに訴えかける。世の中よ、人々よ、これでいいのかと。そしてだからこそ多くの人々が共鳴している。私たちの言いたいことを曲にのせて歌う彼を支持する人の声なき叫びを聞く思いがする。  

彼の曲に共感する日本人たちが真に彼の訴えたいものに気づき、それを我が身に置き換えてみる、私のやっていることはどのようなことかと。その一つ一つに気づくとき、何の考えもなくクリスマスをする気にはおそらくならないのではないか。クリスマスとは、人々を戦争に誘導するために利用される宗教の別の一側面に過ぎないのであるから。

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コメント (3)
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