(地元の福祉施設の講話のために書き下ろした文章をそのまま掲載します)
私はこちらに来て、7年、住職して5年が経ちました。早いものです。昔は10年一昔と言いましたが、今ではどうでしょう5年一昔と言っても良いほどに世の中の動きがめまぐるしいほど速く感じます。
特にこの12月というのはとても忙しい。皆さんもこうして忙しい合間にここへお越し下さって坊さんの話でも聞いてやろうという気持ちを起こされた。誠に奇特な志をもってお越し下さった。ありがたいことです。
私がこちらに来ましたときには、大変なところへ来てしまったと思いました。と申しますのも、この備後という場所は、仏教界、特に真言宗にとっては特別の場所です。近世以後今日まで特にたくさんの優秀な高僧方が管長さんや門跡さんとして本山の要職を担ってこられている。そういう土地柄です。
私の方はお寺の生まれでもなく、色々と勉強して坊さんになり、今があるのですが、昔、チベットの瞑想会に出たとき、仏教は問いから始まるということを教えてもらいまして、その通りなんですね。言うことを聞いているだけではだめなので。後ほど皆さんにも何かお聞きしますから、問いを発していただきたいと思います。
ところで、今という時代は、どうも優しさというものを喪失した時代とも言えるのではないでしょうか。学校にしろ会社にしろ、いじめというものが、ますます横行しています。差別し、他をのけ者にして、優越感にひたる人があります。大人の世界でも、派遣、請負、非正社員という言葉が新聞紙上を賑わせているのが現状です。
下流社会、勝ち組負け組。それでいて、痛みを分かち合いなさいと言う。貧乏人からもドシドシ税金を搾り取る、さらに社会弱者の生活保護も削減しようというのですから、国家自体が優しさをかなぐり捨てたと言っても過言ではないでしょう。
それなのに景気はいいのだと言われています。好景気が戦後最長になったとも言います。本当でしょうか。本当なんでしょう。大企業の数字だけは良いようです。みんな非正社員をこきつかって企業の数字だけは良い。
こんなことで良いのでしょうか。何か階層のようなものができつつある。単一民族の日本でこんな状況は容認できることではないでしょう。勿論他の国なら良いというわけでもありませんが。
そもそも今の国の方針を左右するのは諮問委員会という機関です。これらの委員は学術経験者や実務経験者たち、または、マスコミに登場する識者たちです。この人たちを選出するのは政治家であり、官僚です。決して私たち国民ではありません。つまり彼らの都合のいい人たちだと言えましょう。
選挙で私たちが選んだわけでもない人たちが、官僚や自分たちの都合で決めた方針を支持し、さも国民を代表する意見であるかの如く答申して、それが政策となり法案となる。その内容には、申すまでもなく、米国の意向は反映されているのに、私たち国民の意向は一切反映されない。
だからまったく国家自体が国民に対して優しさを失った時代だというのも仕方ないのかもしれません。ですが、こうして、ともに生きる私たちはその影響を受けずにやはり穏やかに暮らしたい、誰もがそう思うはずです。縁あってともに暮らす人とは安らぎの中で同じ時を過ごしたい。なかなかそれも難しいことですが、ではどうすればいいのでしょうか。
お釈迦様のお話をしましょう。今から2600年前のインドの話です。コーサラ国のパセーナディ王が統治する領土にサーヴァッティという大きな街があり、その近くジェータ林のアナータピンティカ園にお釈迦さまがおられたときのことです。そのころ、アングリマーラという残忍で無慈悲に人や生き物を殺しその指を輪にして首にかけた凶賊がありました。つづく
(↓よろしければ、二カ所クリックいただき、教えの伝達にご協力下さい)
日記@BlogRanking
私はこちらに来て、7年、住職して5年が経ちました。早いものです。昔は10年一昔と言いましたが、今ではどうでしょう5年一昔と言っても良いほどに世の中の動きがめまぐるしいほど速く感じます。
特にこの12月というのはとても忙しい。皆さんもこうして忙しい合間にここへお越し下さって坊さんの話でも聞いてやろうという気持ちを起こされた。誠に奇特な志をもってお越し下さった。ありがたいことです。
私がこちらに来ましたときには、大変なところへ来てしまったと思いました。と申しますのも、この備後という場所は、仏教界、特に真言宗にとっては特別の場所です。近世以後今日まで特にたくさんの優秀な高僧方が管長さんや門跡さんとして本山の要職を担ってこられている。そういう土地柄です。
私の方はお寺の生まれでもなく、色々と勉強して坊さんになり、今があるのですが、昔、チベットの瞑想会に出たとき、仏教は問いから始まるということを教えてもらいまして、その通りなんですね。言うことを聞いているだけではだめなので。後ほど皆さんにも何かお聞きしますから、問いを発していただきたいと思います。
ところで、今という時代は、どうも優しさというものを喪失した時代とも言えるのではないでしょうか。学校にしろ会社にしろ、いじめというものが、ますます横行しています。差別し、他をのけ者にして、優越感にひたる人があります。大人の世界でも、派遣、請負、非正社員という言葉が新聞紙上を賑わせているのが現状です。
下流社会、勝ち組負け組。それでいて、痛みを分かち合いなさいと言う。貧乏人からもドシドシ税金を搾り取る、さらに社会弱者の生活保護も削減しようというのですから、国家自体が優しさをかなぐり捨てたと言っても過言ではないでしょう。
それなのに景気はいいのだと言われています。好景気が戦後最長になったとも言います。本当でしょうか。本当なんでしょう。大企業の数字だけは良いようです。みんな非正社員をこきつかって企業の数字だけは良い。
こんなことで良いのでしょうか。何か階層のようなものができつつある。単一民族の日本でこんな状況は容認できることではないでしょう。勿論他の国なら良いというわけでもありませんが。
そもそも今の国の方針を左右するのは諮問委員会という機関です。これらの委員は学術経験者や実務経験者たち、または、マスコミに登場する識者たちです。この人たちを選出するのは政治家であり、官僚です。決して私たち国民ではありません。つまり彼らの都合のいい人たちだと言えましょう。
選挙で私たちが選んだわけでもない人たちが、官僚や自分たちの都合で決めた方針を支持し、さも国民を代表する意見であるかの如く答申して、それが政策となり法案となる。その内容には、申すまでもなく、米国の意向は反映されているのに、私たち国民の意向は一切反映されない。
だからまったく国家自体が国民に対して優しさを失った時代だというのも仕方ないのかもしれません。ですが、こうして、ともに生きる私たちはその影響を受けずにやはり穏やかに暮らしたい、誰もがそう思うはずです。縁あってともに暮らす人とは安らぎの中で同じ時を過ごしたい。なかなかそれも難しいことですが、ではどうすればいいのでしょうか。
お釈迦様のお話をしましょう。今から2600年前のインドの話です。コーサラ国のパセーナディ王が統治する領土にサーヴァッティという大きな街があり、その近くジェータ林のアナータピンティカ園にお釈迦さまがおられたときのことです。そのころ、アングリマーラという残忍で無慈悲に人や生き物を殺しその指を輪にして首にかけた凶賊がありました。つづく
(↓よろしければ、二カ所クリックいただき、教えの伝達にご協力下さい)
日記@BlogRanking