住職のひとりごと

広島県福山市神辺町にある備後國分寺から配信する
住職のひとりごと
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インド思い出話6-比丘となる

2007年02月14日 20時10分04秒 | インド思い出ばなし、ネパール巡礼、恩師追悼文他
インドに住み込み、3ヶ月ほどが過ぎ、やっと生活に慣れてきた6月。カルカッタのダルマパル・バンテーから手紙が来た。突然だが、ウパサンパダー(正式な比丘になる受戒を行う具足戒式)をするから22日までに来いとのことだった。後藤師と共に、夜行の急行に乗り込み、翌朝雨の降るハウラー駅に到着した。

二人でゲストハウスに泊まる。カルカッタのお寺で暗い朝、聞こえてくるお経は本当に素晴らしいものだった。22日の9時頃、後藤師がかつて寄付したオレンジ色に塗られた「ふそうバス」で、15人ほどの比丘がたとともにフーグリー河に向かい、船に乗り、船室で私とボーディパル師の具足戒式が行われた。

10畳ほどの部屋に、10人以上の比丘が一つの境界をなし、受者である私とボーディパルとは離れたところに座らされた。二人ともダルマパル師に、「尊師よ私の和尚になって下さい」と三度言い、袈裟一枚が入った鉢を手にする。これら問答はすべてパーリ語でなされる。

暫く待たされ、その間、他の比丘たちに教誡師が、比丘志願者がいることを告げ、その後、二人の所に来て、癩病、皮膚病、肺病、顛狂病などがあるかどうか、人間かどうか、男性かどうか、借金がないか、王の家来か、父母に許されたか、二十歳を過ぎたか、衣鉢を調えているかなどと、伝統に則り、教誡して、その後、比丘衆に教誡が済んだことを述べ、受者は比丘衆に具足戒を三度乞う。

そして、比丘衆の中に受者を入れて、改めて、教誡師は、受者に対して、先に述べた病気がないかどうか、人間かなどと問い、そのつど受者は「はいそうです。尊師よ」と返答していく。

そして、その後、長老比丘が、「ダルマパル師を和尚として二人の沙弥が比丘になることを志願し障害なく清浄であるので、僧伽に機が熟せば具足戒を授けてはどうか。同意する方は黙って下さい。同意しない人は言って下さい」と同じ文句を三度唱えます。

三度誰も何も言わないことを確認して、僧伽によって、ダルマパル師を和尚にして具足戒が授けられました。黙っているので同意したと了解します」と教誡師が述べる。この問答方式による裁決の仕方を白四羯磨(びゃくしこんま)という。

その後、時計の時刻を正確に記録して、具足戒式は終わり、ダルマパル師から、四資具と四波羅夷について講話があり、その後全員でカラニーヤ・メッタ・スッタ(慈経)を読誦して式が終了した。

四資具とは、托鉢によって食を、糞掃衣という粗末な袈裟を、住まいとして樹下を、牛の尿に漬けた薬を基本とすることを教誡する。そして、四波羅夷とは、僧団を追放される4つの禁戒で、男女の交わり、与えられていない600円相当以上の物を盗む、故意に生き物の命を奪う、悟っているかのような嘘を言うことを戒める教誡がなされた。

そして、甲板に出て、記念写真を撮り、11時頃までにはお寺に戻り、盛大な施食が行われ、その晩には、記念の式典が行われた。ただ、この式典は、もちろん私のためではなくて、ボーディパル師がベンガル仏教会の創立者クリパシャラン大長老の家系出身者であったが為に行われたのだった。彼は今、ブッダガヤの大塔を所有する大菩提寺の住職の要職にある。

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