(大法輪誌6月号特集「知っておきたい仏教の常識」掲載文です)
日本仏教は、三国伝来の仏教と言われるが、そのすべての宗派が漢訳された経律論に基づく大乗仏教である。
まず奈良時代に南都六宗(なんとろくしゆう)と呼ばれる学問集団が出来る。三論・法相(ほつそう)・成実(じようじつ)・倶舎(くしや)・華厳・律の各宗である。このうち法相・華厳・律の三宗が今に伝わる。
唯識思想が中国で法相宗の教学として大成され伝来し、それは興福寺薬師寺を中心に長く仏教の基礎学として尊重された。
東大寺を本山とする華厳宗は、漢訳の華厳経をもとに中国の華厳思想を研究し、国家統一の指導原理となる。
律宗は、大乗色の強い四分律に基づいた中国南山律宗の教えが主に伝えられ、仏教の規律管理を司るものであった。
平安時代には、天台・真言という専門の教義を信奉し実践する教団が誕生する。主に、国家鎮護や病気平癒など個人の安寧を祈祷する役割を担った。
天台宗は法華経を第一義として大成された中国天台宗の教義に基づき、真言宗はインドで七世紀に流行する密教を伝え、中国・日本を経て大成された教学を中心に体系づけられた。
天台宗は、法華経の教えに加え、密教、禅、戒の四宗合一の総合仏教を目指したため、鎌倉時代には天台宗から多くの宗派を生むことになる。
鎌倉時代、まず浄土宗、浄土真宗、時宗、融通念仏宗など浄土系の各宗が起こる。それらは中国で生まれた浄土教に基づき、より平易な思想が説かれた。
日蓮宗も同じく法華経を絶対視する独自の思想を宣布。
また、臨済宗、曹洞宗、黄檗宗(江戸時代に伝来)などの禅宗は、中国思想に関わりをもつ中国禅を継承し日本で更なる展開を遂げた。
いずれも、時代とその対象に応じ、求められた教えをより簡潔に説くことで仏教が多様化し大衆化した。
明治時代には、欧州で盛んになった近代仏教学を現地に留学し学ぶ学僧が現れ、サンスクリット語やパーリ語の原典による仏教研究が進められた。しかし、それによって新たな宗派を生むことはなかったのである。
以上のように、日本仏教は中国の仏教が流入し、その時代に応じ、人々の心の歩みにかなう仏教として変遷し培われた教えなのだと言えよう。
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日本仏教は、三国伝来の仏教と言われるが、そのすべての宗派が漢訳された経律論に基づく大乗仏教である。
まず奈良時代に南都六宗(なんとろくしゆう)と呼ばれる学問集団が出来る。三論・法相(ほつそう)・成実(じようじつ)・倶舎(くしや)・華厳・律の各宗である。このうち法相・華厳・律の三宗が今に伝わる。
唯識思想が中国で法相宗の教学として大成され伝来し、それは興福寺薬師寺を中心に長く仏教の基礎学として尊重された。
東大寺を本山とする華厳宗は、漢訳の華厳経をもとに中国の華厳思想を研究し、国家統一の指導原理となる。
律宗は、大乗色の強い四分律に基づいた中国南山律宗の教えが主に伝えられ、仏教の規律管理を司るものであった。
平安時代には、天台・真言という専門の教義を信奉し実践する教団が誕生する。主に、国家鎮護や病気平癒など個人の安寧を祈祷する役割を担った。
天台宗は法華経を第一義として大成された中国天台宗の教義に基づき、真言宗はインドで七世紀に流行する密教を伝え、中国・日本を経て大成された教学を中心に体系づけられた。
天台宗は、法華経の教えに加え、密教、禅、戒の四宗合一の総合仏教を目指したため、鎌倉時代には天台宗から多くの宗派を生むことになる。
鎌倉時代、まず浄土宗、浄土真宗、時宗、融通念仏宗など浄土系の各宗が起こる。それらは中国で生まれた浄土教に基づき、より平易な思想が説かれた。
日蓮宗も同じく法華経を絶対視する独自の思想を宣布。
また、臨済宗、曹洞宗、黄檗宗(江戸時代に伝来)などの禅宗は、中国思想に関わりをもつ中国禅を継承し日本で更なる展開を遂げた。
いずれも、時代とその対象に応じ、求められた教えをより簡潔に説くことで仏教が多様化し大衆化した。
明治時代には、欧州で盛んになった近代仏教学を現地に留学し学ぶ学僧が現れ、サンスクリット語やパーリ語の原典による仏教研究が進められた。しかし、それによって新たな宗派を生むことはなかったのである。
以上のように、日本仏教は中国の仏教が流入し、その時代に応じ、人々の心の歩みにかなう仏教として変遷し培われた教えなのだと言えよう。
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