住職のひとりごと

広島県福山市神辺町にある備後國分寺から配信する
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年頭所感 他との共生により生きる

2022年01月02日 16時56分59秒 | 仏教に関する様々なお話
年頭所感 他との共生により生きる

毎朝薬師如来を拝む。供養法とも、行法とも言い、薬師如来を本尊とする仏様方へ心からの供養をささげる真言密教の一座作法である。本尊様を祀る須弥壇前に設えた大壇の中心に仏様をお迎えし供養をささげ、一心に行者と仏様との融合一体なる瞑想に入る。そして、世界の安泰平和と人々の安穏幸福を願うのである。

この行法の中に、いくつもの瞑想法が挿入されている。大壇前の礼盤に座る前にすでに、行者は足の下に蓮華を観じ三礼する。そのあと、半跏趺坐して身支度を整え、神仏へ挨拶を述べる。そして、四無量心観という慈悲喜捨の瞑想に入り、心を浄める。すべての生きとし生けるものに、友情の心から慈しみを願い、悩み苦しみが無きように抜苦を願い、共感の心からよくあることを喜び、分け隔てのない平静なる安らかなることを願う。

それから、心中に本尊様をはじめとする仏様方の世界の映像を観想する。つまり、胸の前に薬師如来の世界である浄瑠璃世界を現出させ、そこに宮殿あり中に曼荼羅壇あって、上に月輪あり中に八葉蓮華座あり、座の上に薬壺あり薬師如来となり、日光月光菩薩十二神将が前後左右に囲んでいる様子を観想していく。そして、外界との交渉を遮断して、閼伽水、塗香、華鬘、焼香、飯食、燈明の六種の供養を捧げてから、この行法の中心をなす三種の瞑想法を行う。

はじめに入我我入観。これは仏様が我に入り、我が仏様に入る、と観じ仏様と我との一体合一を観想する。次に正念誦。これは本尊様の真言を百八回唱え、その唱える声、音が虚空に遍満すると観想する。そして、字輪観。これは自身が宇宙そのものと観じ、宇宙全体との融合一体を観想する。

この後、本尊様他諸尊の真言を唱えてそれぞれの法悦に入り感謝をささげ、再度六種の供物を供養して、この一座の行法の功徳をすべての仏菩薩をはじめとする諸尊と一切の生きとし生けるものの菩提に廻らす。そして、お迎えした仏様方を本所にお帰りいただき、行法を終える。

ここで少し、入我我入観について考えてみたい。さきに仏様が我に入り我が仏様に入ると観ずると述べたが、我に入るのは吸気であり、仏様に入るのは我が呼気である。我が外にある空気そのものを仏と観じるわけだが、そこにすでにおられると観想した仏様そのものの息として外気そのものを仏様ととらえて、仏様が我に入ると感じとる。その場に仏様が満ち満ちておられると観じられ、吸気そのものが仏様であり、我が呼気はそのまま仏様の中に入ると感じられる。

最近になって、この観想は、とても身近な存在として仏様を感得することを教えているのではないかと思えるようになった。そして、あるとき、これは自分という存在そのもののあり方として他なるものとの関係性を教えているとも思われた。この我と仏様の関係を、自と他の関係としてとらえるのである。つまり、吸気を他、呼気を自と捉え、瞑想中にある呼吸は、自と他の交感、融合合一であると。

そう捉えてみると、私たちは、他なるものを自己に取り入れることによって生き、自己を外に出すことによって他が存在していると感じられる。生きるとは、他を取り込み、変化することであり、それを外に出す、つまり他に与えることによって、他が変化し存在すると考えられる。自と他は、そもそも相互に関係し、依存する関係としてあり、生命体が存在するとはそういうことであると言えるのではないか。仏教でいう縁起の教えも、無常・苦・無我も、こうした生きる営みを角度を変えて同じことを言っているように思われた。

しかし、いかなるものもその自然な営みを拒絶するといろいろな摩擦が生じる。上善如水というが、器や環境によって自在に変化する水のように何ものをも拒まず自然に任せることが大切なのであって、人類は今その自然体から逸脱して、所詮無理なことをしているように思える。

つまり、ウイルスは、人類よりもはるか昔からこの地球上に存在し、私たちの体の中にも常在ウイルスといわれるウイルスがゴマンと存在しているというのに、その中のあるウイルスだけなかれと格闘しているかのように感じられる。そもそも自然発生のウイルスなれば自然に任せ、それらとも共存共生共栄することが上善であり、人工的なものを体内に用いるほど、人体も社会も歪になっていることを知らねばならないのではないか。

ある日の行法中にそんなことを思ったのである。


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